ある意味でグラム・パーソンズは高円寺に生きている~桜井芳樹&Suemarr(スーマー)
10月の晴れた気持ちがいい日曜日の昼間、自宅のドアを叩く人がいる。「どなたですか?」と尋ねると「あのう…本当にいろいろ苦しいことがある世の中だと思うのですけれども…」と語り始めるその男性。「その苦しさを何とかする方法があるのです」「……あ、あの、今仕事しているので、すみません」と追い払う。よく来るのだ。しかしなぜ、そんなに簡単に「何とかできる」のか全く理解できない。そりゃあ、40年以上も生きていれば、僕にだって誰にだって他人になかなか言えない、苦しいこともたくさんある。だが、僕の苦しさを本当に彼や、彼が心酔しているであろう神のようなものが、簡単に理解して解決できるわけがない。自分の問題を解決できるのは自分だけだ。こんなこと書くのは心底恥ずかしいが。
◆桜井芳樹&Suemarr(スーマー)画像
元バーズ、フライング・バリット・ブラザーズでカントリー・ロックの始祖と評価されているグラム・パーソンズが若くして死んだとき、エルビス・コステロは「彼の退場は完璧だった」と語ったらしい。コステロがグラム・パーソンズの何を知っていたのかはよく知らないのであるが、バーズやフライング・バリット・ブラザーズ、ソロ活動におけるグラムのセンシティブな歌声は、彼が抱えている心理的な不安から産まれた儚げでいつでも壊れるような響きを持っていると思うから、コステロが言っていることに心底納得がいく。
結局、人は自分の不安と心中して生きていくしかない。その不安や苦しみを多少とも共有できる、コミュニティと言うのか、共同体と言うのか、他人との空間や時間のなかで。たとえばグラム・パーソンズの場合、それがアメリカにやってきたザ・ローリング・ストーンズのグルーピー・コミュニティだったのかもしれない。そこで名曲「ワイルド・ホーセズ」が生まれたのかもしれない。また彼の人生と音楽がコステロやニック・ロウに受け継がれて新たな共同体を作ったのかもしれない。不確定な前提で申し訳ないが、これがミュージシャン・シップと呼ぶべきもの、あるいは「いい音楽を継承して受け継いでいく、血縁や国境を越えた系譜のようなもの」ではないかと、僕は考えている。それが音楽ならではの力とも思う。
さて、前置きが長くなったが、10月14日(日曜日)高円寺のら犬カフェでの、Lonesome Stringsやカルメン・マキ・バンドのギタリスト桜井芳樹とSuemarr(スーマー:Guitar、Banjo & Vocal)のライブを見に行ったのであるが、まさしく「いい音楽を継承して受け継いでいく、血縁や国境を越えた系譜のようなもの」を感じた。
中村まりをボーカリスト、元Mute Beatの故松永孝義をベーシストとして活動してきたLonesome Stringsは、アメリカのブルーグラス音楽から南米、ケルト音楽など国籍を超えたフォーク・ミュージックの名曲を素材として、それを現代的に解釈して演奏するバンドで桜井芳樹はそこでもギターを中心として各種弦楽器を巧みに演奏し音楽の色彩を豊かにしているが、このユニットにおける演奏も見事! 戦前のアメリカ民謡などのメロディを素材としたSuemarrのオリジナル曲がメインで、Suemarrの苦い想い出を噛みしめるような低音の歌声と桜井の豊かなギターの音色が混ざり合う。
数曲取り上げられた浅川マキのカバー曲などでは、あたかもフェアポート・コンヴェンションの「Sloth」でのリチャード・トンプソンのギターソロや、グラム・パーソンズやクラレンス・ホワイト在籍時のバーズや、ザ・バンド、グリース・バンドのサウンドを聴いているかの如き、何かに“憑かれている”かのような心地よい響きがある。これは全ての良いフォーク音楽が持っている特質だ。
僕は初めて知った。ある意味でグラム・パーソンズは高円寺に生きている。中古レコード店やロック・バーにしか生きていないと思っていたのに、未だ現在進行形の音楽として、この日本で。素晴しいことだと思う。だから、インターネットや古いビニール盤を捨てて、ライブハウスに行こう! 完全には捨てられないですけど、僕も。
文:小塚昌隆
◆Suemarrオフィシャルサイト
◆Lonesome Stringsオフィシャルサイト
◆桜井芳樹&Suemarr(スーマー)画像
元バーズ、フライング・バリット・ブラザーズでカントリー・ロックの始祖と評価されているグラム・パーソンズが若くして死んだとき、エルビス・コステロは「彼の退場は完璧だった」と語ったらしい。コステロがグラム・パーソンズの何を知っていたのかはよく知らないのであるが、バーズやフライング・バリット・ブラザーズ、ソロ活動におけるグラムのセンシティブな歌声は、彼が抱えている心理的な不安から産まれた儚げでいつでも壊れるような響きを持っていると思うから、コステロが言っていることに心底納得がいく。
結局、人は自分の不安と心中して生きていくしかない。その不安や苦しみを多少とも共有できる、コミュニティと言うのか、共同体と言うのか、他人との空間や時間のなかで。たとえばグラム・パーソンズの場合、それがアメリカにやってきたザ・ローリング・ストーンズのグルーピー・コミュニティだったのかもしれない。そこで名曲「ワイルド・ホーセズ」が生まれたのかもしれない。また彼の人生と音楽がコステロやニック・ロウに受け継がれて新たな共同体を作ったのかもしれない。不確定な前提で申し訳ないが、これがミュージシャン・シップと呼ぶべきもの、あるいは「いい音楽を継承して受け継いでいく、血縁や国境を越えた系譜のようなもの」ではないかと、僕は考えている。それが音楽ならではの力とも思う。
さて、前置きが長くなったが、10月14日(日曜日)高円寺のら犬カフェでの、Lonesome Stringsやカルメン・マキ・バンドのギタリスト桜井芳樹とSuemarr(スーマー:Guitar、Banjo & Vocal)のライブを見に行ったのであるが、まさしく「いい音楽を継承して受け継いでいく、血縁や国境を越えた系譜のようなもの」を感じた。
中村まりをボーカリスト、元Mute Beatの故松永孝義をベーシストとして活動してきたLonesome Stringsは、アメリカのブルーグラス音楽から南米、ケルト音楽など国籍を超えたフォーク・ミュージックの名曲を素材として、それを現代的に解釈して演奏するバンドで桜井芳樹はそこでもギターを中心として各種弦楽器を巧みに演奏し音楽の色彩を豊かにしているが、このユニットにおける演奏も見事! 戦前のアメリカ民謡などのメロディを素材としたSuemarrのオリジナル曲がメインで、Suemarrの苦い想い出を噛みしめるような低音の歌声と桜井の豊かなギターの音色が混ざり合う。
数曲取り上げられた浅川マキのカバー曲などでは、あたかもフェアポート・コンヴェンションの「Sloth」でのリチャード・トンプソンのギターソロや、グラム・パーソンズやクラレンス・ホワイト在籍時のバーズや、ザ・バンド、グリース・バンドのサウンドを聴いているかの如き、何かに“憑かれている”かのような心地よい響きがある。これは全ての良いフォーク音楽が持っている特質だ。
僕は初めて知った。ある意味でグラム・パーソンズは高円寺に生きている。中古レコード店やロック・バーにしか生きていないと思っていたのに、未だ現在進行形の音楽として、この日本で。素晴しいことだと思う。だから、インターネットや古いビニール盤を捨てて、ライブハウスに行こう! 完全には捨てられないですけど、僕も。
文:小塚昌隆
◆Suemarrオフィシャルサイト
◆Lonesome Stringsオフィシャルサイト