カートが信頼した男、カズ・ウツノミヤに映る、ニルヴァーナの力

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■ニルヴァーナの普遍性

この業界で長年仕事してると、本当にいろんな人と会うんですよ。でも、ただ仕事するだけの間柄じゃなくて、中には自分が死ぬ時に「この人と出会ってよかったな」って思う人がいる。それが僕にとってはフレディ・マーキュリーとジョー・ストラマー、そしてカート・コバーンなんですね。この人達って、本当に自分達を信じてる。

ニルヴァーナは、ヘタなところもあるんだけど、自分達の力で周りの人達を変えられるってことをずっと思っていた人達でね。特にカートは音楽の力はもちろん、自分の力を信じていた人だから、たとえ音楽家になってなかったとしても、同じくらい世間に対する影響力を持ったんじゃないかな。たとえば彼が絵描きだったとしても、あるいはコーヒーショップのウェイターになっていたとしてもね。

本当にニルヴァーナって、ザ・ビートルズ以来の素晴らしい作曲家だと思うよ。僕はその前までイギリスにいてパンクのアーティストを手掛けていたわけだけど、その時の状況と1990年代前半の状況は似てましたよ。ニルヴァーナ、スマッシング・パンプキンズなんかの新勢力が、それまで幅をきかせていたヘアー・メタルと言われていたバンド(ボン・ジョヴィやポイズンなど)を脇へ追いやって、アンダーグラウンドで活動してたバンドに門戸を開いてあげたわけです。でも、パンク・ムーヴメントの時も同じだけど、後世まで残ったバンドってそんなにいないじゃない。トップの一部だけ、中でも“曲”がいいバンドが残りましたよね。だから僕は最終的にはバンドの命運を決めるのは“曲”だと思う。ニルヴァーナの曲のクオリティは、ポピュラー・ミュージックの歴史…たとえば1960年代のモータウンの時代にさかのぼっても、突出したものだと思いますね。ジョン・レノン、フレディ・マーキュリー、カート・コバーン。この3人は20世紀というか、音楽史を代表するソングライターだね。

ニルヴァーナの曲ってね、どんな時代にもリバイバルしてくると思うんですよ。たとえば、どんな国に行ってもクイーンの「ウィー・アー・ザ・チャンピオン」は聴かれているし、スポーツやなんかやる時は「ウィー・ウィル・ロック・ユー」でしょ。日本の甲子園だってそうだもんね。同じように「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」はどこでも聴かれるようになるんじゃないですか?

実は昨日、ブッチ・ヴィグ(『ネヴァ―マインド』のプロデューサー)と夕飯食ったのね。ガービッジ(ブッチ・ヴィグの率いるバンド:1994~2005年に活動)を再結成するってことで新しい音源を聴かせてもらって。それが終わって、帰りに『ネヴァ―マインド』のマスタリングする前の曲を聴いたわけ。これがまたいいんだよね。ホントに歴史上のベスト10アルバムに入る作品だよ。久しぶりに聴いたけど、ホントによかった。やっぱりカートは今世紀最高の作曲家の一人だと思う。ブッチも「『ネヴァーマインド』は自分が作った中で一番のアルバムだ」って言っていたけど、それはあれだけのクオリティの曲が揃ってたから出来たことだ、って。

■カートとの別れ

カートが問題を抱えてたのは知ってました。コートニーの問題もそれ以上に大きなものだったし、そのことでカートはずいぶん悩んでました。彼女には…悪い癖があったんでね、彼がやめようとしても彼女がやめられない。そうすると2人ともやめられないわけです。カートが亡くなる前もまさにそういう状態でしたね。

カートは本当にコートニーのことが好きだったから、彼女の心が離れていくのを感じて、そこから崩れていっちゃったのかな、とも思います。ニルヴァーナが大きくなってしまったからどうこうっていうよりも、コートニーとの関係の方が、彼にとっては大きかったんじゃないかな。

ローマで一回危篤になった時(1994年3月)に僕はロンドンにいたんだけど、ジョン・シルヴァから「カートがヤバい、もしかしたらそういうことになるかもしれないから…」って電話があってね。その時は結局助かったけど、同じ月にもう一回自殺未遂騒ぎがあって…で、彼が亡くなる10日くらい前かな、カートから電話があったんです。ロスに行ったら是非会いたいけど、今はシアトルのファームハウスにいるって。「じゃ、ロスに来た時に会おうか」って言ったんだ。それから数日後に僕がシアトルのファームに電話かけたら全然出なくて…それから一週間後くらいにあの最悪なニュースを聞いた。

フレディ・マーキュリーの時は彼が病気なのは3年ぐらい前から知ってたし、亡くなる2~3週間前にも会ってたから、ある程度心の準備がついてたけど、カートの時は……本当に突然だった。いい友達になれる前に逝かれちゃったなぁ、なんとかできなかったかな、って思ったよ。シアトルにいるカートから電話あった時に、こっちから会いに行けばよかったな、とか…そういう後悔はあった。凄くいい友達になれる直前だったんでね。

彼が亡くなった後、弁護士とコートニー、そしてデイヴ・グロールの3人から「カズは絶対葬式に来てくれ」って連絡をもらったんです。その時にカートも僕に対してそういう意識で接しててくれたのかな、だとしたら嬉しいなって思ったんです。

余談ですけど、後にデビューしたストロークスの弁護士がカートの弁護士と同じでね。その弁護士が、レコード会社と契約する前に、ストロークスに僕に会うようにって言ったんだって。なぜなら「カズはカートが一番好きだった業界人だから、業界に入るんなら一回会いに行ったら」って。それを聞いた時、この業界にいてよかったなって思った。自慢するわけじゃないよ。でも、それは本当に嬉しかったですね。

カートやニルヴァーナと関わることで、僕の人生も変わったんですよ。ヴァージン・アメリカが成功したのは、ニルヴァーナと契約したおかげだと思うしね。

カートが今、生きていたら今でもいい曲をいっぱい書いたでしょうね。バンドもザ・ローリング・ストーンズよりもビッグになっていたし、ストーンズよりもうんと素晴らしい曲を書いてただろうな、と思います(笑)。

僕が一番好きな曲は「オール・アポロジーズ」。『ネヴァ―マインド』じゃなく『イン・ユーテロ』の曲だけど、その前から出来てたのでね。カートがアコースティック・ギターで僕の目の前で弾いてくれた時に「ホントにいい曲だな」って思ったことが忘れられないんです。歌詞はヘヴィだけど、カッコいいじゃない。ああいう曲を誰かに歌ってあげられたら凄くいいと思うんだよね。

ニルヴァーナ以降、僕が凄く好きになったバンドはモデスト・マウスぐらいかな。アイザック・ブロックはちょっとカートに似てるから。カートが生きてたらモデスト・マウスのことは好きになったと思いますよ。ジョニー・マー(元ザ・スミス/2006年にモデスト・マウスに加入)のこともカートは大好きだったしね。

先ほどの話とダブりますけど、これまでいろんなアーティストと関わってきて、死ぬ時に「会えてよかったな」と思うであろうアーティストは、僕の場合、オジー・オズボーンとジェフ・ベック、クイーン、クラッシュ、そしてニルヴァーナだな。もし5枚だけレコードを選ぶということになったら彼らのアルバムになると思う。中でもカートとは、仕事とかそういうの関係なく、本当にいい友達になれたはずだから、ああいう結果になってしまったことは悔しくてね…そういう意味では、彼との関係の中にはとても後悔してることもあるんです。

■ニルヴァーナの影響

何と言っても、すべてのバンドに「僕達にもできるんだ」と思わせた、奮い立たせたという点で、ニルヴァーナの存在は凄く大きなものだったと思います。彼らがいなければ、今のような音楽シーンは出来ていなかったでしょう。

あと、影響ということで言えば、僕はインフラとかSNS作ってる人達にしても感じてて、たとえばショーン・ファニング(Napster創立者/現Path社CEO)とかマーク・ザッカーバーグ(Facebook創立者)とか、あのへんの世代にも影響はあると思う。彼らがやってることって、ああいう音楽に影響を受けてるから出来ることなんじゃないかな。既に確立してるものを、新しい発想や創造、工夫によって駆逐して、塗り替えていく感じに、ニルヴァーナがやったことと共通するものを感じるんですよね。彼らみたいな人達がいなかったらファイル・シェアリングって発想だってなかったと思うし、iTunesだって生まれなかったと思うしね。iTunesがなかったら、それこそiPodとかiPadなんてのも今ほど普及してないわけですよ。ニルヴァーナの音楽には、そういう、“人を刺激する力”があると思うんですよね。それはコンサートの形態にしても、ユース・カルチャーにおけるネットワークの世界にしても、多かれ少なかれニルヴァーナの影響はありますね。

20世紀の音楽界を代表する存在というだけでなく、これからもずっと聴き継がれていくべき音楽、そう思います。

◆BARKS洋楽チャンネル
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