レオン・ラッセルを讃えて──キース・カフーン

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レオン・ラッセルという名前を聞いて、真っ白な髪とひげが印象的な60代くらいのカントリー紳士風の彼が、エルトン・ジョンと肩を組んでいる写真を最近見たのを思い出す人もいるだろう。2人は、10月後半に発売されるアルバム『ザ・ユニオン』のレコーディングを終えたばかりだ。

1970年代初期からエルトン・ジョンは、自分のアイドルとしてレオン・ラッセルの名前を挙げていた。オクラホマ州タルサ出身のシンガーソングライターで、マルチ・プレーヤーのレオンに対してエルトンが払う多大な敬意には納得がいく。若い世代にはレオンの音楽活動の絶頂期を知らない人、もしくは彼の功績のすべてを思い出せない人もいるだろう。また、ライナーノーツをちゃんと読まなかったために、レオンの名前が様々なアルバムに登場していることに気がついていない人もいるかもしれない。そこで、レオン・ラッセルの作品が、味わって楽しめる素晴らしい音楽である理由を10つ以下に挙げる。

10.スーパースター・セッションマン

音楽活動を始めたばかりの頃、LAに移住したレオンは、ザ・レッキング・クルーという、当時業界で最も指名率の高かったセッションマン・グループに加入、メンバーとなる。そして、グレン・キャンベルやトミー・テデスコといったギタリスト、ベーシストのキャロル・ケイ、ドラマーのハル・ブレインやアール・パーマーをはじめ、フィル・スペクターやスナッフ・ギャレットら伝説のプロデューサーと仕事をする様になる。また、ビーチ・ボーイズ、バーズ、フランク・シナトラ、ハーブ・アルパートなど多数のアーティストのアルバムのレコーディングにも参加。その他にも、アップル・レコード所属のバッドフィンガー最大のヒット曲「デイ・アフター・デイ」でピアノを演奏し、ローリング・ストーンズの「リヴ・ウィズ・ミー」ではピアノ演奏とホーンの編曲を担当している。

9.天才ソングライター

レオン・ラッセルは自身のソロ・アルバムでも素晴らしい曲を多数書いているが、ゲリー・ルイスや、プレイボーイズと「エヴリイバディ・ラブス・ア・クラウン」や「シーズ・ジャスト・マイ・スタイル」を共作した。その他には、エリック・クラップトンがレコーディングした「ブルース・パワー」、B.B.キングとジミー・ペイジがレコーディングした「ハミングバード」、フレディー・キング、ボビー・ブルー・ブランド、スティーヴ・マリオット、ホワイトスネイクの「ヘルプ・ミー・スルー・ザ・デイ」も彼が書いた曲である。

8.サイドマン

ソロ・アーティストとして優れた実績を築いてきたレオンだが、サイドマンとしても偉業を成している。14歳の若さでロニー・ホーキンズのバックで演奏し始めて間もなく、ワイルドなジェリー・リー・ルイスのツアーに参加。デラニー&ボニーとのツアーも経験したが、ジョー・コッカーとのツアーが最も有名だ。

7.バングラデシュのためのコンサート

1971年8月1日、史上初のロック主体の大規模なチャリティ・コンサートがニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで開催された。ジョージ・ハリソンがオーガナイザーを務め、エリック・クラプトン、ボブ・ディラン、ビリー・プレストン、リンゴ・スターら大物達が多く出演した。その数々の秀逸なパフォーマンスの中でも、レオン・ラッセルが披露した「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」のゴスペル風バージョンと、コースターのヒット曲「ヤングブラッド」のエネルギー溢れるバージョン、そしてジョージ・ハリソンと共演した「ビウェアー・オブ・ダークネス」が最高の評価を受けた。「ヤングブラッド」はビートルズがキャヴァン・クラブに出演していた頃によく演奏した曲でもある。

6.「ミー・アンド・ベイビー・ジェイン」

麻薬に溺れて死んでしまった元ガールフレンドの葬式に行く様を描いた、胸が張り裂けるようなバラード。麻薬で愛する人を失った人なら誰でも心を揺さぶられる歌詞だ。ホセ・フェリシアーノ、ニーナ・シモンらがカバー・バージョンをレコーディンしている。この曲は、1972年発表のレオンのベストセラー・アルバム『カーニー』に収録されている。このアルバムには、彼のキャリアの中で最もチャート上位にランクインしたシングル「タイトロープ」など多数の名曲が収録されている。

5.シェルター・レコード

1976年、レオンとプロデューサーのデニー・コーデルはシェルター・レコードを共同設立した。2人のパートナー関係は7年しか続かなかったが、その後もレーベルは、オクラホマ出身でレオンがティーンエイジャーだった頃にバンドを一緒にやっていたJ.J.ケール、ファンクの象徴ギャップ・バンド、そしてヒット曲「アイム・オン・ファイヤー」で知られるドワイト・トゥイリーら優れたアーティストを輩出。トム・ペティを“発掘”し、活動休止状態にあったブルース・ギタリストのフレディー・キングを復活させたことでも知られる。

4.マッド・ドッグスとイングッシュマン

レオンの書いた曲「デルタ・レディ」がヒットしたジョー・コッカーは、レオンにツアー・バンドの編成を依頼。その結果、11ピースのモンスター級バンドが誕生した。バンドには、後にデレク・アンド・ザ・ドミノズで活躍するカール・レイドルとジム・ゴードン、ローリング・ストーンズのレコーディングに多数参加したエース級セッション・ミュージシャンのボビー・キーズとジム・プライス、後にソロ・シンガーとしてスターになるバッキング・シンガーのリター・クーリッジなどがいた。2枚組LPで発売されたこのツアーのライヴ・アルバムは、2位を獲得しミリオン・セラーを記録。コッカーのキャリアで最も成功をおさめた作品の1つとなった。

3.「スーパースター」

レオンがよく一緒に仕事をしたデラニー・ブラムレットと書いた曲。“スーパースター”という言葉が一切使われていない、カーペンターズによるカバー・バージョンが最も有名だ。テレビでベティ・ミドラーが歌うのを見てこの曲を知ったリーチャード・カーペンターは、即座にこの曲のレコーディングを実行。1971年に世界的なヒット曲となった。これまでに、ルーサー・ヴァンドロス、デヴィッド・サンボーン、エルキー・ブルックス、キアヌ・リーヴスのバンド、ドッグスター、モーテルズ、クリッシー・ハインドらにカバーされている。中でも、ソニック・ユースがカーペンターズのトリビュート・アルバムのためにカバーしたバージョンは最高だ。

2.「ディス・マスカレード」

レオンの曲を多数レコーディングしてきたジョージ・ベンソンが、このロマンティックなバラードを歌ってヒットに。1976年にはグラミー賞を受賞した。それ以来、ポップやジャズ・バージョンで何度もレコーディングされてきた曲だ。

1.「ソング・フォー・ユー」

後悔、自責の念、不滅の愛を歌った完璧なまでに美しい曲。これまでに、多数の日本人アーティストをはじめ、100人以上のアーティストにレコーディングされている。特に有名なのは、レイ・チャールズ、シェール、ドニー・ハサウェイ、ホイットニー・ヒューストン、シンプリー・レッド、カーペンターズ、シャーリー・ホーン、タック&パティ、カーメン・マクレー、マイケル・バブルによるカバー・バージョン。日本ではアン・ルイスや鈴木雅之、綾戸智恵、森山良子、小林明子、大黒摩季ら多数。それでもなお、筆者はレオンのオリジナル・バージョンが一番だと思っている。

最後に、レオンとウィリー・ネルソン、マーク・ベノ、元妻のメアリー・マックリアリー、ブルース・ホーンズビー、ニュー・グラス・リヴァイバル、アール・スクラッグス、エドガー・ウィンターによる作品や、彼の優れたアルバム『ウィル・オー・ザ・ウィスプ』、グラミー賞にノミネートされた作品などについて詳しく書くスペースがなかったことを、ファンにお詫びしたい。今年初めに、レオンが一流カントリー・バンドのザック・ブラウンと歌った「ディクシー・ララバイ」も素晴らしい曲だ。驚異的な才能の持ち主レオン・ラッセルに心からの敬意を表したい。

キース・カフーン
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