THEATRE BROOK、2年間の活動休止を経てついに再臨

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THEATRE BROOK ロック界の良心、シアターブルック 2年間の活動休止を経て、ついに再臨

解散する理由が見つからない。
辞める理由を探さないってことですね。

――まずは「シアターブルック、おかえりなさい!」ということで。

佐藤タイジ: ま、そうですねぇ(微笑)。

――活動を休止していたこの2年間、タイジさん自身、変化したことはありました?

タイジ: まず私、この2年の間に事務所を独立して、事務所社長業をやっておりまして。バンドをやってるだけではなくなった佐藤タイジなので(笑)、いま暗中模索している状況でございますね。ただ、音楽は楽しいですよ! これは間違いない。2009年末の(再始動を告げる)ライヴも、音楽業界のいろいろな方々から“凄かった! 感動した”とお褒めの言葉をどさっと頂き。そらみたことか! と、ざまあみろ! と、シアターブルックはカッコいいだろ? 必要だろう? 君の人生に、と。そういうのをいってやりたいけど、いまは事務所の社長なんで、社長的な立場から“ありがとうございます”と(笑)。そこはいままでとは違う感じですよね。

――なるほど(微笑)。でも、そもそもタイジさんがシアターブルックを2年間休止させていた意義って、どんなところにあったんですか?

タイジ: まあ、ずっとやってきたからちょっとお休みさせていいんじゃないの?っていう軽いノリもありました。シアターブルックも、結成して20年ぐらい経ってるんで、そういう活動のメリハリもあっていいんじゃないかということろですね。

――2年というリミットはどういうところから出てきたんでしょうか。

タイジ: 2007年の段階で分かってたのは、2009年に皆既日蝕が日本で見られるということだったんですよ。で、その当時いってたのは、おそらく2009年は必ず節目の年になろうだろうから(バンドを)復活させるなら2009年、とそのときから思ってた訳です。それで、蓋を開けたら黒人の大統領が生まれ、日本では政権が代わり、2009年は思ってた以上に激動の年になった。人類史的にみても。だから、復活するなら2009年だったんです。

――素朴な質問なんですけど、みなさん個々の活動がありながらも、なんでシアターブルックを続けてらっしゃるんですか?

タイジ: あのね、解散する理由が見つからないってこと。要するに。元々シアターブルックというバンドはバンマスがいて、その人が付けたバンド名なんですよ。その人が辞めたときにバンド名変えようかなと思ったけど、変えるのも悔しいなって思ってここまで引っ張っちゃった。100%自分のアイデアで始まった訳ではない、だからこそ(途中で)解散するのは悔しいっていうのは自分のなかにあるかもしれないですね。同世代、同期デビューのバンドが解散していくなか、なかには解散しないバンドがあってもいいと思うし。

――こうしてバンドを長続きさせていく秘訣、なにかあったら教えて下さい。

タイジ: 辞める理由を探さないってことですね。それぞれが。

近所の子供に、器材車に“バカ”って書かれたり(笑)。俺はたぶん、彼らの普通のパパたちとは大分違うんだろうな。

――おぉー、なるほど。深い言葉ですね。では、この2年間活動を休止させたからこそ見えてきたものってなにかありましたか?

タイジ: シアターブルックの昔の音を、今回の復活に向けてちゃんとアーカイヴして、休んでる間にシアターブルックを再分析する時間があったんですよ。それで“こんな曲やってたんだ”っていうのがあったり。いままでのシアターブルックとは何ぞや、みたいなのをまとめることができたんですね。

――ほぉ~。タイジさんから見たシアターブルックは、どんなバンドでした?

タイジ: 一言でいうのは難しいんやけど、守備範囲が広い。いろいろあるロックバンドのなかでも、最も守備の広いタイプのバンドですね。いろいろやってきてるんですよね。アンサンブルの仕方とか。かつてメンバーのなかにDJがいたというのも、サウンドの構築的にはとてもオリジナリティのある結論を出してましたよね。なんでDJを入れたかはあんま憶えてないんですけど(笑)。

――えぇーーーっ!!!!!!!!!! ホントですか?

タイジ: DJやりたいってヤツがスタジオに現れて“いんじゃない?”で入ったんですよね(一同笑)。で、ソイツの友達がもう1人DJを連れてきて。ソイツのほうがスクラッチが上手いと。しかも、ソイツがまた宴会でものっすごいオモロいヤツで。打ち上げ番長として一緒にやる、かと(笑)。だもんで、音楽的な理由ってことでは選んでないんですよね。もちろんクラブものとか好きやったから、そういうところで音は構築していった訳やけど。そのDJと生バンドが一緒にやるスタイルも、Dragon Ashがちゃんと成功したから、俺はもうそこじゃなくてもいいかなってなったんですけど(笑)。でも結果、あんとき“オモロいやん!”ってDJ 入れてやった俺らは何やったんやろう?って考えてみると、やっぱりプログレッシヴやったと。シアターブルックっていうのは、コンサバティヴなバンドではなく、プログレッシヴなバンドなんだってこと。いかにそういうプログレッシヴさをバンドのなかに注入するかっていうのは、いまアルバム制作に向けてやってる最中なんですが。

――新しいものを見つけて“うわっ、これおもろいやんけ!”というような、直感的な動機でやったことがプログレッシヴなスタイルを生み、結果守備範囲も広がっていったと。

タイジ: そうなんですよ。そういうことを再分析できたのはよかった。それをやってええ作品もあったけど、よくない作品もあったので。時代とともにシアターブルックに望まれることというのもあるだろうしね。いま制作してる次のアルバムも、ずっと一緒にやっているエンジニアさんとやるんですけど、“音楽やってるヤツって昔はキ○ガイが多かったけど、いまは少なくなったよね。ここはタイジくんに頑張ってもらわないと”って彼はいう訳ですよ(笑)。でもね、俺はデビューしたてだった若い頃は“俺はもの凄い普通の人間や”って思ってたんですよ。でもつい最近、近所の子供に器材車に“バカ”って書かれたり、小さい女の子には“ミュージックさん、今日はどこに行くの?”とかいわれたりして(笑)。だんだん歳とって、俺はたぶん彼らの普通のパパたちとは大分違うんだろうなっていうのが分かるんです。

――近所の子供たちの目を通して。

タイジ: はい。っていう認識が、再始動までの2年間にできました(笑)。だから最近、“普通じゃないんだ”って自覚するようになって以降、俺はよけいヒドくなってってますけどね(笑)。

――うははは(笑)。世の中にはこういう社長がいてもええやろうと。

タイジ: それはあかんやろう(笑)。こういうロックスターはいてもええやろうけど、こんな社長、もぉどんぶりもどんぶりやし(笑)。でもね、世の中には逆らえないものというのがあってね。皆既日蝕も、オバマが大統領になったのも、民主党に政権が代わったのも、シアターブルックの復活も、俺が社長になったのも、そういうことなんスよ。だから頑張りますよ。社長業も。今日は社長の名刺忘れてきたけど(一同笑)。

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