岡林信康、35年のときを経て美空ひばりと作品を紡ぐ

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岡林信康が、美空ひばりの名曲の数々をカバーしたアルバム『レクイエム~我が心の美空ひばり~』を1月20日(水)に発売、これを記念し1月19日(火)、東京青葉台の美空ひばり邸でコンベンションが開かれた。

同アルバムには「越後獅子の唄」「お祭りマンボ」「悲しい酒」など美空ひばりの大ヒット曲のカバーや、岡林信康が美空ひばりに書き下ろした「月の夜汽車」など全14曲を収録。なかでも、35年前、美空ひばりが岡林信康に送った1通の手紙に書かれた歌詞にメロディーをつけた「レクイエム―麦畑のひばり―」(作詞:美空ひばり、補作詞・作曲:岡林信康)は、奇跡の新曲と話題になっている楽曲だ。

ひばり邸の中庭にマスコミ関係者が詰めかける中、最初に参加者全員で美空ひばりの料理番・辻村朝子による美空ひばりお気に入りの献立「おにぎり、コロッケ、豚汁」を味わい、その後、岡林がミニライブを開催。「まさかひばりさんの家の庭でこんなライブがやれるとは夢にも思ってもいませんでした」と感激を口にしながらアコースティックギターの弾き語りで「永遠の翼」をはじめ、アルバムにも収録の美空ひばりに書き下ろした曲「風が泣いてる」、35年ぶりによみがえった新曲「レクイエム―麦畑のひばり―」の全3曲を熱唱。

「ひばりさんとは、1975年に「月の夜汽車」のレコーディングで初めてお会いし、すぐに意気投合してこのひばり邸で一緒に飲んで以来、親しくさせていただきました。ひばりさんは100年か200年に1人のあらゆるジャンルを超越した世界最高のボーカリストだと思います」と、ひばりさんを絶賛する彼は「2009年の今頃、1975年に4年半ぶりに中野サンプラザでコンサートを開いたときのテープがでてきたんです。コンサート終盤にひばりさんが飛び入りで出て歌ったのですが、そのテープが見つかったことがきっかけで急にひばりさんの歌を歌いたくなって、今回のカバーアルバムを出すことになりました」と話していた。

ひばりプロダクション加藤和也社長は「岡林信康さんは、母とはお互いにミュージシャンという魂に共感して、生前中、深いお付き合いをさせていただいた方で、今回のレコーディングではマスタリングまで押しかけ的に参加させていただきました。フォークの神様の岡林さんの音楽をつくる現場に携わらせていただいたことはこの上ない幸せで、天国の母に個人的に感謝しています」とうれしそうに語っていた。

『レクイエム~我が心の美空ひばり~』
2010年01月20日発売
TOCT-26935 3,000円(税込)
1.風の流れに
2.花笠道中
3.東京キッド
4.角兵衛獅子の唄
5.月の夜汽車
6.越後獅子の唄
7.お祭りマンボ
8.ひばりの渡り鳥だよ
9.風が泣いてる
10.津軽のふるさと
11.哀愁出船
12.悲しい酒
13.悲しき口笛
14.レクイエム-麦畑のひばり-

◆岡林信康レーベルサイト
◆岡林信康アーティスト館

●岡林信康と美空ひばりとの出会い
1975年、数年間の農村生活の中で演歌に開眼し、「月の夜汽車」を作詞・作曲。友人のイラストレーター黒田征太郎に送ったそのカセットテープが、作詞家吉岡治氏の手に渡り、さらにコロムビアレコードの美空ひばり関係者を経て、美空ひばり本人の知るところとなり、レコーディングが実現。スタジオで出会った二人は意気投合し、親交を深める。
岡林信康の作品「風の流れに」も気に入った美空ひばりは、「月の夜汽車/風の流れに」のカップリングでシングルを発売。「月の夜汽車」は、後年、美空ひばり自身が美空ひばり作品を選ぶ第4位にあげている。その後も、新宿ゴールデン街で大勢の仲間と共に酒を酌み交わす等の交流が続く。
1975年12月16日、岡林の中野サンプラザコンサートに、ひばりが飛び入り参加。このコンサートが、岡林のコンサート活動再開のきっかけとなる。そしてある日、ひばりは1通の手紙に歌詞を書き、その作曲を岡林に託す。しかし、当時の岡林は、あまりに壮大なテーマの歌詞に戸惑いを感じ、やむなく作曲を見送る。
時は経て2009年1月、自宅の机を整理していた岡林信康が、偶然にも1975年中野サンプラザコンサートのカセットテープを発見、その日からとりつかれたように、美空ひばり作品を聴く毎日となる。2009年6月27日、岡林の全33作品CD発売記念として実施した、東京九段会館でのワンマンコンサートでは「月の夜汽車」「越後獅子の唄」を歌唱。その奥深さ魅入られるほどに、美空ひばり作品を自らの手で紡ぎ直し、新たな視点で次世代へ伝えることを決意。加えて、35年前に託された歌詞に、初めて曲をつけることとなる。
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