ダンス・ミュージックをフィーチャーした、難波章浩ソロ・プロジェクト「TYÜNK」始動

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2005年8月24日発売
V2CP-240 \ 1,260(tax in)

1.MAGICAL ♪
2.GOOSEMAN ♪
3.GUIDING STAR ♪
4.MOONDANCE ♪


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Message

BARKS史上初(!)な、驚きの場所で、難波氏自らカメラを持ち、コメント映像を撮影してくれました!この映像は必見です!画像をクリックすると見れるよ。


Present

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プレゼント応募締切:2005/9/30



TYÜNKオフィシャルサイト
http://www.v2records.co.jp/
gogaonkyo/tyunk/index.html



難波章浩オフィシャルサイト
『呉我音響』

http://www.v2records.co.jp/
gogaonkyo/



――初対面なんですけど言わせてください。「おかえりなさい」と。

難波章浩(以下、難波):ただいま!(笑)

――しかもこんなにハッピーで、スピリチュアルで、元気の出る音楽とともに帰ってきてくれてうれしいです。余計なことを考えず、肩の力を抜いて楽しめる。

難波:まさに、聴いた人がそうなってもらいたいなと思って作ったから。そうなってくれたらうれしいです。

――TYÜNK(テュンク)の音は基本的に打ち込みのダンス・ミュージックで、ハウス・ビートあり、ジャムバンド的なアプローチありのカラフルなものになってます。しかもドラッギーなものじゃなく、あくまでヘルシーで開放的。

難波:うーん、そうねぇ。そこだね。太陽さんさんに浴びた健康的な音楽を僕はズコーン!と打ち出すことで、みんな健康的に行こう!と言いたいんです。そんなこと言ってるやつ、あんまりいないでしょ? スポーツ選手じゃあるまいし(笑)。僕はとにかく、音楽で人を健康にしたい。体も心も。

――それにはまず自分から始める?

難波:もちろん。とにかくまず自分が健康的じゃなきゃ、そんな音楽も作れないし。そういうものを作る必要があると思ったんですね。

――あまり過去の話を詮索したくはないんですけど。ということは、以前には不健康な時期もあった?

難波:う~ん、それもそうなのかわかんないけど、自分が背中にしょってるものが何なのか、沖縄に行ってすごく解放されて。東京にいる時は気づかなかったんですよ。向こうに行って「あぁ、そうだったのか」って。冷静になって、東京にいた自分を見てみた時に、自問自答することはありましたね。でも結果的に、「俺は素敵なことをやってたんだ」って思えるようになりました。自分がやってきたことを確認する時間をとれて、結果オーライというか。今こうやって新しい音楽を打ち出して、世の中にアピールして、「あんな生き方はいいな。あんな発想はいいな」とか思ってくれたらすごくうれしいし。そういう意味では、すごい5年間でしたね。

――5年前にハイスタを活動休止にして沖縄に渡りました。なぜ沖縄だったんですか。

難波:うん、まず太陽があるし、自然がいっぱいある、海がすぐ近くにある。健康的にいるという意味では最高の場所だと思った。外国も考えたけど、まだ何か、日本の中で打ち出していく必要があると思ったし。もう少し日本を客観的に見て、日本人としての自分を見つめたかった。「なぜ今僕は着物を着てないのか?」というところから始まって、なぜ今こういうふうになっているのか、確認したかった。僕が生まれた時から、音楽は西洋のものという認識があったけど、日本の音楽も元のルーツをたどれば、やっぱり三線の音だったりする。今まで日本の古来の音楽をなかなか聴く機会もなかったけど、そこから生まれた自分なりの音楽を打ち出すことが、自分の世界を広げる意味ではすごく必要なことだと思ったんですね。今までは西洋のスタイルにあこがれてロックバンドをやってきたけど、そこからまた一歩進んだ、等身大の大人としての発想を僕は持っていたつもりなんで、そこをもっと開花させたいと思った。だから、そのためにいろんな手法をとれるという意味では、今すごくいい状態ですね。ハイスタはハイスタで、仕事じゃなくて、(友だち同士としての)ひとつのチャリンコ・チームというか、「そのまま取っておいてもいいんじゃないの?」って、みんなで話しあったので。「チームを解体する必要はないよね」って。結果的に休止という形になって、僕は今35歳で、40、50、60と音楽をやっていく上で、いつでもそのチャリンコ・チームに戻って、青春時代の気持ちに戻ることができる。35歳にもなると、同窓会で高校の同級生とかに会う機会もなかなかないでしょ。それを捨てずに取っておいて、自分はどんどん素敵な大人になっていきたいということですね。

――沖縄で音楽活動を再開するにあたって、スタジオを手作りしたとか?

難波:ええ。見よう見まねでね。近所の大工さんに教わりながら。それも、モノを作るという意味ではすごくいい経験しましたね。3年ぐらいかかったかな。でもなんか、それを作り上げないと次に向かえないような気がしたんですよ、僕の中で。そもそもなんでスタジオを作ったかというと、とにかくリラックスした状態で作りたかったから。ふだん日記をつけてる感覚で、絵を描くような感覚で音楽を作りたいなと思ってたんで、その場所を作りたかった。僕はできるだけリラックスした音楽を作って、世の中の緊張をほぐしたいなと思ってます。でもその意味では、ある意味喝を入れるようなところもあるんで、35歳なりの「おい、行くぞ!」みたいなところもあるし。

――1曲目の最初のかけ声は「LET’S GO!」って言ってますよね? あれが象徴的だなぁと。

難波:やっぱ、基本的に猪木なんですね(笑)。

――だはははは。1、2、3、ダーッ!と。

難波:内なるパワーを信じろっていうことを言いたいのかな。生命力というか、「自分を信じようよ」って言いたい。みんなにはみんなの生き方があって、いろんな選択肢がある。そこで僕の存在を知ってもらうということは、縁だと思うんですよ。僕の音楽を聴いてピンと来た人は、そこでもう縁が成り立ってる。そういう意味でTYÜNX。「TYÜNK聴いたらみんなTYÜNXだぞ」って(笑)。文化って、音楽がリードするものだと思ってるんですね。そこからパンクとかロックとかモッズとか、ファッションも生まれるし。音楽によって、自分の趣味趣向がすごく変わると思うんですね。だから音楽を中心にしつつ、素敵な発想がその周りにくっついていて、それを大きく大きく回転させることで、世の中の発想をもっと素敵にしたい。僕はそう思ってます。

取材・文●宮本英夫

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