いい音爆音アワー vol.106 「ノッてけ♪ビート歌謡特集 筒美京平編」

いい音爆音アワー vol.106 ノッてけ♪ビート歌謡特集 筒美京平編
2019年 9月18日(水)@風知空知
「ビート歌謡」とはなんぞや?誰もが「あー、あれね」と頷くようなジャンルとして確立しているわけではありませんが、コロムビアから「ビート歌謡ガールズ」というタイトルのCDが出たりしていますし、なんとなく分かりますよね。
私は個人的に「洋楽のビートを取り入れながらも歌謡曲度が80%以上の音楽」と定義づけております。
GS=グループサウンズ以降ですかね。それ以前の歌謡曲はあくまでも歌中心で、サウンドはあくまでも添え物という扱いでしたが、ビート歌謡ではサウンドもだいじ。ただし、そこに洋楽のビートを持ってきても、歌謡曲という”胃袋”に入れて、よく消化してから出す。時には、フレーズが「あの曲にソックリ」なんてものもありますが、しっかり”歌謡曲化”しているからだいじょうぶ(何が?)。
そんなビート歌謡が花盛りだったのは、70年代。80年代以降は、逆に歌謡曲から遠ざかろう、もっと洋楽チックに、という志向に変わっていきます。それでもメロディは歌謡曲そのものだったりするんですけどね。
ビート歌謡クリエイターの第一人者はなんと言っても筒美京平大先生です。彼の偉大さは、たくさんのヒット曲を作ったことではなく、洋楽を広く聴き込み、そのエッセンスを導入しつつも、日本人に合う歌謡テイストに転換し、メロディとサウンドを一体化させたところにあると、私は思っています。それすなわちビート歌謡。ビート歌謡は筒美京平が発明した、と言っても過言ではないと思います。
京平さんは80年代以降、ご自分ではほとんどアレンジされなくなりますが、そうすると、やはりメロディとサウンドの一体感がちょっと薄れてしまうんですね。残念です。
というわけで、今回はビート歌謡の中でも、筒美京平作・編曲作品にしぼって選曲してみました(ちょっとだけ例外もありますが)。
福岡智彦 (いい音研究所)
セットリスト
筒美京平・プロフィール
1940年5月28日、東京府東京市牛込区生まれ。本名:渡辺栄吉
青山学院大学経済学部卒業(小学校からずっと青山学院)
1963年、日本グラモフォン(後のポリドール→ユニバーサルミュージック)に入社。洋楽担当ディレクターとして勤務する傍ら、青学の高等部〜大学の1年先輩である作詞家の橋本淳に勧められ、すぎやまこういちに師事し、作・編曲を学ぶ。
1966年、藤浩一(子門真人)のデビュー曲「黄色いレモン」で作曲家デビュー。会社員だったために当初の作曲クレジットは「すぎやまこういち」。
1967年4月、ポリドール退社。
「鼓響平」というペンネームを考えるが、文字を左右対称にしたいと思い「筒美京平」とする。
同年、弘田三枝子「渚のうわさ」(作・編曲)とヴィレッジ・シンガーズ「バラ色の雲」(作曲)がヒット。
1968年12月発売の、いしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」(作・編曲)が、初のオリコン1位を獲得。
1971年、尾崎紀世彦「また逢う日まで」で第13回日本レコード大賞、1979年、ジュディ・オング「魅せられて」で第21回日本レコード大賞を獲得(いずれも作・編曲とも)。
1971、72、73、75、76、81、82、83、85、87年と10回にわたって日本の作曲家別レコード売上げ年間1位を記録。1960、70、80、90、00年代と5年代連続で作曲作品がチャート1位を獲得。
いしだあゆみ「太陽は泣いている」
彼女もこの時ハタチ。だけど24枚目!のシングル。
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24th シングル(1968年6月10日発売)
作詞:橋本淳/作・編曲:筒美京平
レーベル:日本コロムビア
オリコン18位
・ビクターレコードから日本コロムビア移籍後の第1弾シングル。
・ピチカート・ファイヴ「モナムール東京」(1997)はこの曲を参考に作られた。
いしだ あゆみ(本名:石田良子):
1948年3月26日、長崎県佐世保市生まれ、大阪府池田市育ち。
姉は、フィギュアスケート、グルノーブルオリンピック代表の石田治子。妹は歌手の石田ゆり。ゆりの夫がなかにし礼。
フィギュアスケート選手を経て芸能界にスカウトされ、
1962年、上京。いずみたくに師事。
同年4月20日、ソノブックス社よりソノシートで「夢みる恋(原題:Walkin’ Back To Happiness)」を「石田良子」名義でリリース。
1964年、ビクターレコードより、「ネェ、聞いてよママ」を「いしだあゆみ」名義でリリース。
テレビドラマ「七人の孫」に出演。
1968年6月、日本コロムビアへ移籍。
同年12月25日、シングル「ブルー・ライト・ヨコハマ」リリース。オリコン1位の大ヒット。
1977年、映画「青春の門 自立編」に出演。報知映画賞助演女優賞を受賞。
1980年、萩原健一と結婚。→84年に離婚。
1986年、映画「火宅の人」に主演。報知映画賞、ブルーリボン賞、第10回日本アカデミー賞主演女優賞など受賞。
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平山三紀「真夏の出来事」
特徴的な声と特徴的なリフが絶妙にマッチ。
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2nd シングル(1971年5月25日発売)
作詞:橋本淳/作・編曲:筒美京平
レーベル:日本コロムビア
オリコン5位
・第13回日本レコード大賞「作曲賞」受賞
ひらやま みき(本名:平山美紀/現芸名:平山みき):
1949年8月22日、東京都大田区生まれ
高校時代、後に“トワ・エ・モア” に参加するに参加する山室恵美子とフォークグループを結成。
1969年11月、筒美京平が声を気に入る。
1970年11月10日、シングル「ビューティフル・ヨコハマ」でデビュー。
1971年4月、「芸映」とマネージメント契約。
1977年、ばんばひろふみと結婚。→2005年離婚。
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南沙織「純潔」
恋はーだいじーねー♪
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4th シングル(1972年6月1日発売)
作詞:有馬三恵子/作・編曲:筒美京平/プロデュース:酒井政利
レーベル:CBSソニー
オリコン3位
・CBSソニー:酒井政利+日音:村上司・恒川光昭・小栗俊雄+筒美京平の座組
・タイトルは酒井が考案した。
・ジャケットの写真は篠山紀信。これが出会い。
・リフはVan Morrison「Wild Night」(1971)によく似ている…。
みなみ さおり(出生名:内間明美):
1954年7月2日、沖縄県嘉手納町生まれ、宜野湾市育ち。
カトリック信徒で、「シンシア(Cynthia=月の女神、蟹座の守護神の意)」が愛称。
琉球放送のテレビ番組でアシスタントのアルバイトをしていた時、”ヒデとロザンナ”がゲスト出演、マネージャーが持ち帰った写真にたまたま南が写っており、更にそれを偶然目にしたCBSソニーのスタッフが、急遽、南を東京に呼び寄せた。
1971年の春、本土復帰前の沖縄から母親と二人で上京してから、わずか3ヶ月足らずで、…
同年6月1日、シングル「17才」でデビュー。いきなり54万枚のヒット。
1971年、72年とブロマイドの年間売上げ実績1位。同時期にデビューした小柳ルミ子、天地真理と共に””新三人娘””と呼ばれた。
24歳の誕生日だった1978年7月2日、突如引退を発表する。
同年10月7日、調布市で開催された「さよならコンサート」をもって、芸能活動を引退した。
1979年、写真家の篠山紀信と結婚。3人の息子をもうけ、次男の篠山輝信(あきのぶ)は、2006年に俳優デビューした。
1997年4月、シングル「初恋」をリリース。以降、新譜の発表はない。
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欧陽菲菲「恋の十字路」
これぞ名曲。無駄も不足もまったくないメロディ♪
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6th シングル(1973年4月5日発売)
作詞:橋本淳/作・編曲:筒美京平
レーベル:東芝音楽工業
オリコン9位
おーやん ふいふい(ホントはフェイフェイと読む):
1949年9月10日生まれ 台湾台北市出身
1967年、台北市にあるレストラン・シアター「中央酒店」で歌手デビュー。
1971年9月5日、シングル「雨の御堂筋」(ベンチャーズ作曲)で日本デビュー。
同年、第13回日本レコード大賞新人賞を受賞。
同年12月20日、2nd シングル「雨のエアポート」リリース。
1972年12月、「第23回NHK紅白歌合戦」へ外国人として初出場。
1980年7月、シングル「LOVE IS OVER」リリース。
1983年12月、「LOVE IS OVER」がオリコン1位を獲得。
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リンリン・ランラン「恋のインディアン人形」
結構激しいダンスだった。ピンク・レディーの先輩。
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1st シングル(1974年4月15日発売)
作詞:さいとう大三/作・編曲:筒美京平
レーベル:ビクター音楽産業
オリコン27位
・同じ香港出身のアグネス・チャン(1972年デビュー)の成功がきっかけで来日。
・芸名は1972年10月に上野動物園にやってきた初パンダ、ランランとカンカンにちなんで、所属のサンミュージックのスタッフがつけた。
リンリン・ランラン:
1959年1月3日、香港生まれの双子
リンリン(Letilia Barber) – 姉。向かって左
ランラン(Katharine Barber) – 妹。向かって右
米国人の父と中国人の母
1972年から香港で、”樂家姊妹(ロッカーシスターズ、The Lokka Sisters)”として活躍。
来日して、1974年、日本テレビ「スター誕生!」でアシスタントを務める。
1974年4月5日、ビクター音楽産業より、シングル「恋のインディアン人形」リリース。
以降、日本では7枚のシングル、3枚のアルバムをリリース。
芸能界引退後は米国で生活している。
岩崎宏美「センチメンタル」
フィリー・ソウルは京平さんのお手のもの。
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3rd シングル(1975年10月25日発売)
作詞:阿久悠/作・編曲:筒美京平
レーベル:ビクターレコード
オリコン1位
・1976年春に開催された「第48回選抜高等学校野球大会」の入場行進曲に使われた。
いわさき ひろみ(本名同じ):
1958年11月12日、東京都江東区深川生まれ
成城学園初等学校時代から歌のレッスンを受け、歌手を目指す。
1974年7月、日本テレビ「スター誕生!」で最優秀賞を獲得。芸映プロダクション、ビクターレコードと契約。
1975年4月25日、シングル「二重唱 (デュエット)」でデビュー。キャッチフレーズは”天まで響け岩崎宏美”。
同年7月25日、2nd シングル「ロマンス」リリース。オリコン1位、90万枚近いヒットとなり、「心のこり」の細川たかしと共にこの年の新人賞を多数受賞する。
同年10月25日、3rd シングル「センチメンタル」リリース。
1977年3月、堀越高等学校を卒業。
同年9月5日、11th シングル「思秋期」リリース。第19回日本レコード大賞・歌唱賞を受賞。
1982年5月21日、前年9月スタートした日本テレビの2時間ドラマ枠「火曜サスペンス劇場」のエンディングテーマ「聖母たちのララバイ」を28th シングルとしてリリース。オリコン4週連続1位のヒット。同年11月、日本歌謡大賞を受賞。翌年春、第55回センバツ高校野球大会の入場行進曲として再び採用された。
1986年、ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」に次女・ホーデル役で出演。
1987年、TBSドラマ「男女7人秋物語」に出演、平均視聴率30%のヒット作品となる。またミュージカル「レ・ミゼラブル」の日本初演でファンティーヌを演じ、以後も2011年まで断続的に演じ続けている。
次回の爆音アワーは・・・