いい音爆音アワー vol.58 「涙もんのギター・ソロ特集」

いい音爆音アワー vol.58 「涙もんのギター・ソロ特集」
2016年3月16日(水)@風知空知
楽器の中でエレキ・ギターがいちばん好きです。まったく弾けませんけど。
電気の力で無限の音色を作れるけど、決め手は弾き手のテクニックやセンスがものをいうという、技術と人力のバランスが、他の楽器にはない魅力です。
だからエレキ・ギターは十人十色。特にソロは個性が出ます。いろんなギタリストのいろんなソロを集めてみました。
本イベントで2回目のギター・ソロ特集です。
福岡智彦 (いい音研究所)
セットリスト
Mike Bloomfield/Mike Bloomfield, Al Kooper, Steve Stills「Albert’s Shuffle」
エレキ・ブルース・ギターの開拓者。この人を見てディランもエレキに転向した。
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アルバム『SUPER SESSION』(1968年発売)収録
Mike Bloomfield:1943年7月28日 – 1981年2月15日。米国イリノイ州シカゴ出身。
1960年代、”ポール・バターフィールド・ブルース・バンド”に加入してリード・ギターを担当する。彼のスタイルに影響されて、多くのブルース・マンがエレキ・ギターを手にするようになったと言われる。
ボブ・ディランBob Dylanの『Highway 61 Revisited(追憶のハイウェイ61)』(1965)に参加。ディランの「エレキ化」に大きく貢献した。
1967年、バターフィールド・ブルース・バンドを脱退し、”The Electric Flag”を結成したが、1st アルバム制作後、辞めてしまう。
1968年、”Blood, Sweat & Tears”を脱退したアル・クーパーAl Kooperからジャムセッション・アルバム制作の話を持ちかけられて、アルバム『Super Session』を録音するが、ブルームフィールドは2日目のセッションに参加せず(慢性の不眠症のため)、スティーヴン・スティルスStephen Stillsが代役を務めた。
1970年代以降、ヘロイン中毒のため目立った活躍が少なくなる。
1981年2月15日、駐車場の車中で意識不明の状態で発見される。享年37歳。死因はヘロインの過剰摂取と考えられている。
Warren Haynes, Derek Trucks/The Allman Brothers Band「Heart Of Stone」
デュエイン・オールマンの再来と言われるスライド・ギターの名手デレク・トラックスと、ディッキー・ベッツよりもかなり上手(失礼!)なウォーレン・ヘインズ。この”オールマン”も強力です。
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12th アルバム『HITTIN’ THE NOTE』(2003年3月18日発売)収録
作詞・作曲:Mick Jagger & Keith Richards/プロデュース:Michael Barbiero & Warren Haynes
デレク・トラックスが入った最初で最後のアルバムにして、ディッキー・ベッツDickey Bettsが入らなかった最初&(今のところ)唯一のスタジオ・アルバム
Warren Haynes:1960年4月6日、米国ノースカロライナ州生まれ。
デュエイン・オールマンDuane Allmanが使っていた1958年製のギブソン・レスポールを使っている。
1987年 “Dickey Betts Band”に誘われ、加入。
1988年 グレッグ・オールマンGregg Allmanのソロ・アルバム『Just Before the Bullets Fly』に参加、タイトル曲を共作。
1989年 “The Allman Brothers Band”が再結成され、ヘインズも参加する。
1994年 ”Gov’t Mule(ガヴァメント・ミュール)”を結成。
1995年 ジェリー・ガルシアJerry Garciaの死去以降、”Grateful Dead”のメンバーのサポートをよく行う。
1997年3月 ”Gov’t Mule”に専念するため、“The Allman Brothers Band”を辞める。
2001年 “The Allman Brothers Band”に復帰。
Derek Trucks:1979年6月8日、フロリダ州ジャクソンヴィル生まれ。
“The Allman Brothers Band”オリジナル・メンバーのブッチ・トラックスButch Trucks(dr.)の甥。”Derek & The Dominos”にあやかって命名されたという。
9歳からギターを弾き始める。
10代前半から“The Allman Brothers Band”のライブにもゲストとして参加し、1999年には正式メンバーとして迎えられる。
一方1995年、16歳にして”Derek Trucks Band”を結成。1997年から2010年までに6枚のスタジオ・アルバムと3枚のライブ・アルバムを発表した。
妻であるブルース・シンガーのスーザン・テデスキSusan Tedeschi,も1997年から彼の音楽活動に参加している。
2010年、妻のバンドと合併及び再編成を行い、”Tedeschi Trucks Band”として再スタート。
Duane Allman, Dickey Betts/The Allman Brothers Band「Statesboro Blues」
前曲から30年逆上る。早逝の天才デュエインの絶妙なスライド・ギターと郷愁誘うディッキー・ベッツのフレーズ。ツイン・ギターの醍醐味。
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3rd アルバム『AT FILLMORE EAST』(1971年7月発売)収録。
作詞・作曲:Blind Willie McTell/プロデュース:Tom Dowd
Duane Allman:1946年11月20日 - 1971年10月29日 米国テネシー州ナッシュビル出身。
幼い頃、父が強盗に殺害される。
1957年 フロリダ州デイトナビーチへ移転。
13歳の頃には弟のグレッグGreg Allmanと、チャック・ベリーの曲などを人前で演奏していた。
その頃、兄弟でナッシュビルで観たBBキングのライブに衝撃を受け、ブルースの虜になる。
※スライド演奏の際、彼は薬の空ビンを指にはめた。このスタイルは後にロリー・ギャラガーやデレク・トラックス、レーナード・スキナードのゲイリー・ロッシントンらが採り入れた。
Dickey Betts 本名:Forrest Richard Betts 1943年12月12日、米国フロリダ州ウエストパームビーチ生まれ
※自分の息子に””Duane””と名づけている。グレッグとは仲が悪い。
5歳でウクレレ、10代前半でギターを始める。
初期には1961年製のギブソン・SGを使っていたが、後にそれをデュエインに譲り、1957年製のギブソン・レスポール”Goldtop”を使い始め、このギターがディッキーの代名詞となった。
1969年3月、デュエインとグレッグの兄弟を中心に、ブッチ・トラックスButch Trucks (dr)、ジェイモーJai Johanny Johanson (Jaimoe) (dr)、ベリー・オークリーBerry Oakley (b)、ディッキー・ベッツDickey Betts (g) とともに” The Allman Brothers Band”結成。
1969年11月、1stアルバム『The Allman Brothers Band』リリース。
1971年7月、ニューヨークの「Fillmore East」でのライブを収録した『At Fillmore East』リリース。全米13位のヒットとなった。
それから間もない1971年10月29日、デュエインがメイコンにてオートバイでトラックに追突し、僅か24歳の若さで他界する。
1972年2月、レコーディング途中だったアルバム『Eat A Peach』をベッツが中心となって完成させ、リリース。
1972年11月11日、オークリーもオートバイ事故により死亡。デュアンの事故現場から僅か3ブロックの場所だった。
1973年、『Brothers And Sisters』をリリース。全米1位の大ヒットを記録、シングルカットの「Ramblin’ Man」も全米2位。
1976年、バンドは解散する。
1978年、再結成。
1982年、再度解散。
1989年、再々結成。
2000年、メンバーとの対立からベッツがグループから追い出される形で脱退。