【インタビュー】笹木ヘンドリクス「この曲は僕の中では恥ずかしいぐらいの歌謡なんです」
そのインパクトの強さゆえ、一度聞いたら忘れない、笹木ヘンドリクスというアーティストネーム。ジミ・ヘンドリクスに影響を受けたばりばりのオールド・ロッカーか?と思いきや、デビュー曲「星のかけら」は、せつなさいっぱいのメロディが輝く叙情的なバンドサウンド。小学校5年生でバンドを組んだ早熟な音楽少年が、洋楽ロックとJ-POPの間で揺れ動きながら、いかにして自分のスタイルを獲得し、デビューに至ったか? そこには音楽の神様に選ばれた男の、波乱万丈の半生の物語があった。
■音楽しかやってないんだからもう音楽しかできないと思った
■一回あったデビューの話を無しにしてまたゼロから始める時に
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| ▲「星のかけら」初回限定盤 |
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| ▲「星のかけら」通常盤 |
──メジャーデビューのあいさつ代わりに、札幌生まれの笹木少年がいかにして音楽にとりつかれたか?という話から、始めましょうか。
笹木ヘンドリクス(以下、笹木):はい。まずは、ビートルズですね。小学校5年生の時にビートルズと、19とゆずを聴いた、たぶんそれが始まりです。ビートルズは、ウッチャンナンチャンがテレビで、「レット・イット・ビー」をピアノで弾くという企画をやっていまして。ウッチャンと勝俣さんの、“もてないブラザーズ”でしたっけ。
──えらい始まりですね(笑)。そこでビートルズを知った。
笹木:めっちゃいい曲だ! と思って、誰の曲? って親父に聞いたら「ビートルズだよ」と。実家に、ビートルズのCDとレコードがあったんですよ。
──お父さんがすでに、音楽好きだった?
笹木:そうです。ビートルズも、ローリング・ストーンズも、けっこう持っていて。小さい頃から、山下達郎さんや桑田佳祐さん、スティーヴィー・ワンダーとかが家でガンガン流れていて、自然に聴いていたんですけど、自分から意識して「聴きたい、歌ってみたい」と思ったのはビートルズと、19とゆずですね。同じ頃に学校で流行っていたので。三つとも、メロディアスだったなと思います。
──はい。なるほど。
笹木:それから家にあった親父のアコギを借りて、友達とバンドごっこを始めたんです。テレビゲームで遊ぶのと同じ感覚で、友達の家に集まって。「やるならオリジナルでしょ」とか言って、3曲ぐらい書きました。ヘンなコード進行の曲を。それが5年生ですね。
──それはかなり早熟ですよ。
笹木:それから中学校に上がると、近所にジャスコができて、その中に楽器屋ができて。店員さんと仲良くなって、そこが主催していたイベントで初めてライブをして。それが13歳ですね。
──早いなぁ。
笹木:オーディションにも出て、そこで知り合ったライブハウスのオーナーさんから「こういうライブに出てみない?」という話をもらったり。だから13~14歳で、普通にススキノを歩いていましたよ(笑)。ギターを持って。親はすごく心配していましたけど。そんな中学生時代でしたね。
──今、26歳でしたっけ。もう人生の半分、ミュージシャンじゃないですか。
笹木:そうですね(笑)。そんなこんなで、札幌のライブハウスで弾き語りをやっていたら、高校生ぐらいの時に声をかけていただきまして。デビューするとか、そういうお話を。でもその頃は、洋楽にハマッたり、バンドをやりたいと思い始めた時期だったので、弾き語りでデビューしましょうということが決まる直前に、断っちゃったんですよ。「地元で、ロックで、バンドをやりたいので」って。それが18、19歳ですね。そこからは…何と言うか、不遇の時代になりまして(笑)。
──不遇の時代(笑)。
笹木:しばらくバンドをやっていたんですけど、誰も声をかけてくれない。思いきってイギリスに行って勝負してみようということになって、お金をためて、バンドでイギリスに行きました。半年ぐらい。それが20歳ぐらいの時ですね。そこで知り合った人に、向こうの音楽出版社の社長を紹介してもらって、「もう一回ビザを取って戻ってくれば、手助けするよ」と言ってもらったんですが、日本に戻ってからビザ申請をしたら、見事に全員落ちて(笑)。イギリスで活動する夢はそこで絶たれました。でもそれも何かの縁だし、今度は東京に出てみようと思って、出てきたのが21、22歳の頃です。
──ここまでの話で、自伝ができますよ。
笹木:何かいろいろ、やりましたね(笑)。
──でも、転んでもただでは起きないみたいな。挫折が、次のアクションにつながってるじゃないですか。
笹木:ああ、それはどこかの時点で、ここまで音楽しかやってないんだから、もう音楽しかできないと思ったんですよ。一回あったデビューの話を無しにして、またゼロから始める時に、そう思いました。
──何で、そう思ったんでしょうね。そこまで強く思った理由は。
笹木:何だったんでしょうね。音楽を始めたのが早かったので、みんなが普通に高校に行って、大学に行くのと同じように、線路みたいなものがあるとすれば、自分は中学生ぐらいの頃から、音楽の線路に乗って走っていきたいと思っていたので。たとえて言うなら、歌舞伎役者の家に生まれた子供みたいな感じというか。
──ああ、最初からその道しか見えてなかった。
笹木:はい。うちの親父は普通の仕事をしていますけど、自分は音楽の道に行きたいと思ってから、ずっとそのままですね。人生の一部と言ったら恥ずかしいですが、本当にそれしかやってないんですよ。絶対に音楽で喰っていきたいし、そのためになることしかやってこなかったので。
──悪魔に魂を売ったんですかね。そんな記憶はありますか(笑)。
笹木:それは、ヘンドリクスを名乗る時じゃないですかね(笑)。それまでは普通にバンドで、カッコよさそうなことをやっていたんですが、あまり注目されなくて。東京に出てきて、ヘンドリクスを名乗ることにしたのは、とにかくいろんな人に気づいてもらいたかったから。どんなに曲を作っても、ライブハウスでやっても、一定の範囲以上には広がらないので、それを打破するのは何かな? と思って、名前を変えようと。あざといかな? とも思ったんですけど、そこは魂を売りましたね(笑)。
──あははは。ちょっと意味は違うと思うけれど(笑)。
笹木:まずはそれで、パッと気になってもらいたかったので。もちろんジミ・ヘンドリクスが大好きというのもあるんですけどね。ジミヘンが挑戦してきたものや、壊してきたものや、怖れずにトライしてゆく姿勢が好きだったので、そういうふうに言われる人になりたいという思いがあって。その、ふたつの理由です。
──確かに、インパクトはすごいですよ。「誰? 笹木ヘンドリクス?」って。
笹木:でもジミヘンって、めちゃくちゃメロくてポップなところもあるんですよ。ハードロックのイメージがあるけど、スローな曲も多いし、甘い声で歌う曲が大好きなので。ちょっとこじつけですけど、僕が笹木ヘンドリクスと名乗っているのも、洋楽ロックが大好きだけど、J-POPでは王道と呼べるようなメロディも好きだし、「星のかけら」は僕のそういう面を出した曲なんです。この曲だけ聴くと「ジミヘンじゃないじゃん」って思う人もいるかもしれないけど、「ジミヘン聴いてみなよ。メロウな曲もあるから」みたいな、そういうやりとりになれば、面白いと思ったんですよね。
──音楽性プラス、姿勢の部分で。
笹木:そうですね。それにジミヘンも今は神格化されているけど、単純に音楽が好きでギターを弾いていた人だとも思うし。だからビビることなく、誰も使ってないから使っちゃおうと思って、笹木ヘンドリクスを名乗ることにしました。





