【インタビュー】ツチヤカレン、“命の物語”を描く新曲「ユメノツヅキ」リリース「この先も想いを込めて歌っていきたい」

2025.12.02 18:00

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シンガーソングライター・ツチヤカレンの新曲「ユメノツヅキ」は、人気コミック『コウノドリ』の作者・鈴ノ木ユウが作詞・作曲。鈴ノ木は音楽ユニット・you two..でも活動を重ねていて、ツチヤはサポートドラマーを務めている。

you two..の「ユメノツヅキ」のレコーディングでパーカッションを担当した際に心を動かされた彼女は、自身の声でもこの曲を届けたいと思ったのだという。込めた想い、表現に対する姿勢、ドラムから始まった音楽活動が現在に至るまでの軌跡について語ってもらった。

   ◆   ◆   ◆

──ツチヤさんはもともとドラマーですよね?

ツチヤ:はい。バンドでの音楽活動を10代の頃からしていて、シンガーソングライターになったのは21歳の時です。バンドを脱退してから歌うようになりました。

──ドラムを始めたのは?

ツチヤ:小5の時です。母がボーカリストで父がギタリスト、兄もギターを弾いていて、弟はベーシストという家庭で育ったんです。兄が小学生の時にギターを始めて、兄のライブを観に行ったりしていたんですけど、「同じことをやりたくない」と思ったのがドラムを始めた理由でした。当時の私はベースの担っている役割がよくわからなくて、ギター以外で一番目に留まるのがドラムだったんです。小5から島村楽器のドラムスクールに通いました。

──向いていると思いましたか。

ツチヤ:はい。スティーヴィー・ワンダーの「I Just Called To Say I Love You」が最初の課題曲だったんですけど、すぐに叩けたんです。ドラムを始める前から金管バンドでパーカッションをやっていたからなのかなと思います。

──筋が良いと褒められたんじゃないですか?

ツチヤ:そうでしたね。高校に入ってから村石雅行さんのドラム道場に通うになったんですけど、村石さんからも「勘がいい」と褒めていただきました。村石さんの道場は90分の授業の内、譜面を読むレッスンが8割くらいなんです。当時の私はバンドのドラマーを目指していて、譜面を読むために教わりたいわけではなかったから、村石さんとぶつかったりもして離脱しました(笑)。若気の至りです。

──リスナーとしては、子どもの頃にどんな音楽を聴いていたのでしょうか。

ツチヤ:子どもの頃に自発的に好きになったのは、AKB48です。前田敦子さんがセンターだった頃ですね。バンドに関しては、兄の影響でBUMP OF CHICKENを聴くようになりました。

──洋楽を聴くことはあったんですか?

ツチヤ:洋楽は通ってきていないです。でも、両親がすごく音楽が好きなので、ビートルズとかには自然と触れていました。私の名前のカレンはカレン・カーペンターから来ていて、兄の名前はジョン・レノンからのレノンです。もし私が男に生まれていたらポールになる予定だったらしいです(笑)。母の携帯の着信音はボン・ジョヴィの「It’s My Life」。そういう洋楽には触れていましたけど、自分で聴く曲は日本語の音楽でしたね。

──AKB48のメンバーがバンド演奏をする曲がありましたよね。「GIVE ME FIVE!」で柏木由紀さんがドラムを叩いていました。

ツチヤ:そうでしたね。AKB48のメンバーが楽器を演奏しているのをTV番組で観ていましたから、もしかしたら影響を受けていたのかもしれないです。

──プロのドラマーになりたい気持ちは、学生の頃からあったんですか?

ツチヤ:ありました。私は「バンドのドラマーとして有名になりたい」というプロ志向だったんです。スタジオミュージシャンを目指している周りの先輩たちは「譜面は読めた方がいいし、いろいろちゃんと勉強した方がいいぞ」というアドバイスをしてくださったんですけど、そこまでの努力を当時の私はできなくて。とにかくライブをやりたくて、お客さんの反応がいいと嬉しかったので。

──歌うのは、子どもの頃から好きだったんですか?

ツチヤ:「歌手になりたい」と思ったことはなかったです。喋り声が低くて周りと違うのがコンプレックスだったんです。でも、ドラマー時代からコーラスをよくやっていて、褒めてもらえたんです。ノリでハモれるのが特技でした。コーラスの声も褒めてもらえて、その頃の先輩たちに背中を押されたのも、今こうして歌うことに繋がったのかなと思います。シンガーになってからは、「声に個性があってよかった」と感じるようになりました。

──シンガーとして活動するようになったきっかけは?

ツチヤ:バンドを脱退したのが2020年で、コロナの真っ只中だったんです。それも歌を始めた理由の一部ではあるんですけど、バンドでの活動が上手くいかなかったというのもあって。簡単に言うと不仲だったというか、コミュニケーションが上手くとれていなくて。バンドをやめた時は音楽をやめようと思って、バイト先への就職も考えました。でも、17歳くらいから「音楽で食べていく人になるぞ」という気持ちで過ごしていたので、音楽がなくなると空っぽになっちゃったんですよね。

──ドラマーとして活動を再開するという考えにはならなかったんですか?

ツチヤ:ドラムに関してはスティックを握ると手が震えちゃうくらいの時期もあって、「もういいかな」と。それで6千円のギターを買って、「弾き語りでもやってみようかな」と。U-フレットで検索してコードを調べて、スピッツの「チェリー」とかから練習を始めました。そこから「初めてオリジナルを書いてみました」というのをSNSに上げたら、今の事務所から連絡が来て、「本気でシンガーソングライターをやりませんか?」と。そこから急にいろいろ変わっていきましたね。高校の頃とか、シンガーソングライターになるとか考えもしなかったのに。

──ドラムから離れた時期、音楽から完全に離れる気持ちにはなりましたか?

ツチヤ:音楽からは離れられなかったです。私はドラマーとして2回脱退していて、「また同じこと繰り返しちゃったな。音楽は向いていない」と思ったんですけど、周りの先輩とかが「やめんな」と言ってくれたのも大きかったです。続けているといいこともたくさんあるし、今はツチヤカレンという1人での活動になって、いい意味でも悪い意味でも自分の責任なんですよね。音楽に向いていなかったのではなくて、集団行動が向いていなかったのかなと、今となっては思っています。

──シンガーソングライターとしてインディーズで活動するようになって以降、すばらしい方々と出会えていますよね。2022年に始動した自主レーベルからのリリースだった「純情通り」と「ハミングバード」のプロデューサーは、sugarbeansさん。「ライフ」のプロデューサーはクラムボンのミトさん。「夏の香り」のアレンジは、sleepy.ab。錚々たるみなさんです。

ツチヤ:とてもありがたかったです。「夏の香り」までがインディーズ時代なんですけど、いろいろな方々に支えていただきました。

──ご自身では、自分の音楽、歌の持ち味はどのようなところにあると感じていますか?

ツチヤ:自分で思うのは、意外と器用さがある部分なのかなと。それは声の色も含めて。3年くらい前からボイトレに通っているんですけど、「柔軟性がある」と言われます。シンガーは「絶対にこうやって歌いたい」というのがある方々が多いみたいで。私は先生に「こうした方がいいと思うよ」と言われると、すんなりと受け入れて歌えるんです。

──これまでにリリースしてきた曲にも柔軟性が表れているように思います。

ツチヤ:曲毎の起伏が激しいというか(笑)。「あまり型にはめ過ぎない」というのも自分のこだわりなので、いろいろなジャンルの曲を今までに出してきました。その時思ったことをやるのが自分のモットーというのはあるかもしれないです。今回の「ユメノツヅキ」と、これまでのいろいろな曲を聴き較べて、「同一人物なの?」と思う人もいそうですね。

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