長渕 剛 ロング・インタヴュー【第3章】音楽での欲求

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――長渕さんにとっての健全な音楽のイメージ、理想的な在り方を聞かせてください。

長渕:音楽はね、反逆であり心の糧なんです。だから、聴いて大泣きするか、拳を握りしめるか、どっちかでありたいよね。安定剤を飲んだようなふんわりした気持ちになる類いの音楽は他のアーティストに任せるから。

当然好きな人もいれば嫌いな人もいる。その振り幅が大きければ大きいほどいいと思ってる。仮に“大っ嫌い、あの人の音楽”っていわれても、上等だよって思える。なんだかわからないけど、まあいいよねえ、じゃなくてね。好きか嫌いか、どっちか。そんな音楽でいいと思う。


――以前から長渕さんは、“毒にも薬にもならない歌よりは、どっちかでありたい”っと言ってきていますが。

長渕:自分自身に対してはもちろんだけど、若い世代の奴らや、世の中を悟ったような気になっている人たちを奮い立たせたいの。まあアジテートだね。一応、人生の先輩として。ただ、過激に煽るんじゃなく、懐の深いラブソングで包み込むようにアジテートしたいというか…。

――基本的には、お父さんの死というとてもパーソナルな出来事が、アルバム作りの起点にはなっていますが、結果としていろんなことに気づかされ、多くのことを確認できたようですね。

長渕:そう。核はやっぱり、親父という、小さな島から鹿児島本土に出ていき、一生懸命働いてのし上がっていった人間をきちんと描きたかった。いわば、俺の尊敬する偉大な一人の人間に対する敬礼ですよ。ただその人の実人生を辿ったときにいろんなものが見えてきた。

父親の存在感の大きさ、家族の素晴らしさはもちろんのこと、その背景に横たわっていた(いる)世の中の歪みや不純具合、そしてそれらに対する怒りや悲しみ…。確かに、始まりはとても個人的な、人間の死というところからの発想――いずれは自分も死ぬというところからの発想だから、やっぱりただごとではない。

最終的に仕上がった歌詞は非常に簡単な言葉で表現しているけれども、そこに行き着くまでの自分の作り手としての情念は半端じゃなかった。死にものぐるいで作ったからね。あと気をつけたのは、普遍的でありたいということと、愛に満ち満ちていたいということ。聴いた人たちが、本当に豊かな気持ちになって、幸せな気持ちになって、それで生きていることが素晴らしいと思えたり、今自分がいることが肯定的に思えたりするような作品になってほしかった。


――普遍的でありたい、愛の溢れるものでありたい、という思いは、長渕さんの不変の一貫したテーマですよね?

長渕:生涯のテーマではありますよ。普遍というのは。メロディにしても、歌詞にしても。どんなカテゴリーにも属さない普遍的な歌を残したいという気持ちは常にある。やがて自分もいつかは死ぬんだけども、曲には死んでほしくないですから。まあ、著作権は死後50年残るけども、そんなことはどうでもよくてね(笑)。今でも、誰が作ったのかわからないけど残っている歌、歌い継がれている曲ってありますよね? そんな中の一つに自分が入れたら幸せだなって思うんです。

――聴かせていただいて感じたのは、例えば家族に対するひとかたならない思いや、大切なものを若い世代に向けて継承していくことの大事さ、普遍も愛も含めて、これまで長渕さんが折々で提示してきたものが、このアルバムには凝縮されているなということ。過去の点がすべて線で繋がったような気もしました。それほどの濃縮具合だな、と。そういう意味では、桜島(ライヴ)で一旦すべて吐き出して、いわばリセットしての新しく大きな、しかも濃い一歩なのかなとも思いましたが、実際はいかがですか?

長渕:それが一歩なのかどうか、新しいのかどうかは、これからの自分の動き方次第だという気がしてる。自分がちゃんと動かなければ、ただ単に新しいアルバムが出たに過ぎないことになってしまう。もちろんそういう(新しい幕開けの)つもりで作りましたけど、それは僕が言うことではなくて、聴く人が感じたり認めたりすることだと思うんですよ。だから、どういう位置づけの作品なのかを見極めるには、もうちょっと時間がかかると思う。

――ちょっと余談になりますが、長渕さんの作品の中で、お母さんを歌った曲は何曲かありますが、お父さんをテーマにした曲がほとんどなかったのは何故なんでしょう?

長渕:事実上は1曲だよね。「ライセンス」の中でちょこっと出てくるだけ。なんだろうね。男同士にはあれこれ語らずとも解り合えてる気になってる部分があるんだろうね。だって俺が鹿児島を1ヵ月半かけて、父ちゃんと母ちゃんはどこでどんなふうに生きて、どんな恋愛をしたんだろうかとか、実人生のシナリオを夢想しながら旅をしたら、俺のコンサートにお忍びでやってきて、息子を宜しくお願いしますって、頭下げて回ってたとか、全然知らなかったエピソードがいっぱい出てくるわけですよ。

それを聞いてね、よーし親父待ってろよ、いい歌書いてやるからなってますます思った。男親というか、男同士ってそんなものかも知れない。語らないことの優しさがある。照れもあるだろうし。母親はどうしてもあれこれ世話をやくけれども、男親にはそういう寡黙な愛情がある。



取材・文●轡田 昇

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