――亡くなられたお父さんの赴任先を辿って鹿児島を旅したということですが、そこであらためて感じたのはどんなことでしたか? お父さんに対して、家族に対して、あるいは故郷・鹿児島に対して…。
長渕:まず、良くも悪くもお洒落に様変わりしてしまった故郷に対して、複雑な思いが込み上げてきた。俺が福岡の大学に通うために、初めて鹿児島を後にする際に電車に乗った西鹿児島駅(現、鹿児島中央駅)に、ものすごくハイカラな、洒落たファッションビルができていて、おまけに大観覧車までできた。
その横に、俺が小さい頃によく遊んでた、朝市なんかもひらいて当時いちばん賑わってた商店街があったんだけども、そこがすっかりゴーストタウンになってたわけ。とっても不気味な空間になってしまっていてね。そこの駐車場で、ああ、鹿児島も立派になっちゃったなあって、喜びとも悲しみともつかない思いでスタバのコーヒーを飲んでる俺がいる。これ旨いけどアメリカじゃん、でもここは日本だよなあ、鹿児島なんだよなって。どうなんだよ、この変わり様はって。
――便利になる、豊かになることの裏側では、常に何かが犠牲になっていますからね。
長渕:発展と崩壊は止められないけど、なんだかおかしくねえか? っていう。やっぱり発展してみんな豊かになることはとっても大事なことだけど、守るべきものは守らないと、ね。とても大切にしていたものが根こそぎ削り取られてしまったようで、いたたまれなかった。
地方の色もなくなり、それは今の日本の特色でもあるけれど、方言もしゃべらなくなり、どんどん個性が無くなっていってる。俺という人間の根幹を育んだ原風景を消されてしまったような気になって、ショックだった。鹿児島が鹿児島じゃなくなる、日本が日本じゃなくなるっていう危機感はすごく感じたね。
そんな状況と親父の死がへんにダブってね。肉体はいつか滅ぶけども、スピリッツは受け継ぎ、伝承していきたいって思った。そういう思いを認(したた)めたのが、アルバムの1曲目の「鹿児島中央STATION」。
――でも、受け入れなきゃいけない部分と、守るべきものを守るために抗わなきゃいけない部分とのバランスは難しいですよね。
長渕:そう。俺はね、若い世代に期待したいんですよ。もう大人たちに言うことはあまりないんですよね。誰というわけでもないんだけども、いちばん多感な10代とか20代の、感性にいちばん怒りを内在している、10代20代独特の宝物を持っている人たち…そういう人たちに聴いてもらって、お前たちの怒りは間違ってねえぞってまず言いたい。
いい意味でも悪い意味でも保守的になって、もう俺はこの歳になったからなっていう奴には興味がないの。10代20代の特権は、反逆だよ。とにかく反逆しなさい。おかしいじゃんそれ、うぜえよお前この野郎って怒り悲しむその感性は大事だし、間違ってないよって。
ただ、大切なのは、それを今度は自分の表現に変えてほしい。そして、特に男には男を張って欲しい。
――それは、世の中に対してだけじゃなく、音楽シーンに対する長渕さん流のアンチテーゼのようにも聴こえます。
長渕:それを歌の世界に置き換えるならば、なんでみんな同じような歌ばっかりを同じような声の出し方して歌ってんの? ってこと。お前しか歌えない歌とか声の出し方とかあるだろ? って。本当はもっと荒くれたいんだろう? 大暴れしたいんだろう? なんでそんなにイイ子を気取るの? そんなのつまらないじゃん。いつもそう思う。
だから、他人様に迷惑をかけちゃいけないけど、たまに環七を走ってる暴走族を見ると、正直に命を燃やしているように見える。そんな世の中、なんかおかしい、だけどこの国がいちばん好きという矛盾した中で、俺も最後までもがき、そして親父のように死んでいくんだろうなと思った時に、やっぱり歌わなきゃいけないってあらためて思った。
本当に大切にしなきゃいけない思いを真摯な眼差しで歌に託したい、真剣に普遍の愛というものを歌いたい、俺が歌わなきゃ、と。そういう大事なことが、この歳になって初めて、遅ればせながらやっとわかってきた。
――では、例えば今の音楽シーンは長渕さんにはかなり温(ぬる)く感じているってことですか?
長渕:もう生温いよ。なんかね、垢まみれの温~いお湯に浸かっているような感じ。俺は熱い湯が好きだから(笑)。例えばね、桜をテーマにした曲が売れたら、我も我もと次々に出てくるでしょう? 業界の常で、2匹目のどじょうまでは大丈夫なんだけど、最近は節度、節操がないね。4匹、5匹、6匹…だもんね。しかもそれがみんなそこそこいっ(売れ)ちゃったりするもんだから、もう末期症状だね。
今の音楽界においては、温湯どころじゃなくて、淀んだ、不純物や他人様の垢がいっぱい浮いているような状態で、ちっとも入る気がしない。かけ流し? 嘘だろう? って感じよ。ただ循環させてるだけなんじゃないの? それならそれで、ちょっとはろ過でもさせなさいよってことだよ。
取材・文●轡田 昇
|
|
|