Def Jam離脱の真相、そして、過酷な少年時代を語る

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──ところで、ラップを始める前は、何になりたかったのですか?

DMX:一生盗みをやること。幼いころ俺が住んでたビルの外には、いつもイカしたニガー達が立ってたんだ。そいつらはdoorag(サグ系の人たちが愛用する頭部に巻く布状のもの)をポケットのところから出して、片方のスボンのすそをたくしあげて、毎月郵便配達人から何か盗んでた。そういう風になりたいと思ってたんだ。彼らはハード(ゲトーらしいタフな人たち)だからね。

──有名であることと、そうでありながらまた逮捕されたことについては、自分でどういうふうに対処しているんですか?

DMX:やっぱり難しかったよね。なぜなら俺にとっての夜10時は、監禁されている時間ではなく、もっと楽しいことをやっていられる時間だろうし、不味い食事を食べるよりかは、ハーレムの有名なソウル・フード・レストランCopeland’sで食事できるのが俺なんだから。そういう意味で大変だったよ。

──収監中に他の人たちから、揉め事をふっかけられることはなかった?

DMX:それはなかったな。たぶん自分自身の見せ方によるんじゃないかと思う。例えば、あからさまにカネを持ってるような態度でいれば、そういう風に扱われるしね。俺はjail nigga(監獄育ちのニガー)みたいなもんだよ。7歳のときからgroup home(精神病者や非行少年を収容する施設)にいたんだ。そんなに特別なことじゃない。俺は無法でタフな奴らの中でやっていく方法を心得ているんだ。バカなことはしないし、みんなを尋問したりもしない。俺自身でい続けることだけだ。周囲のヒドい過去の話も聞かなければ、俺自身のことも話さないから。

──自叙伝の中では、お母さんが暴力的であったことが書かれています。なんで彼女を許すことが出来たんですか?

DMX:ああ、許してはいる。喧嘩はしないよ。親も、子供と一緒に居ればただの人間だって分かったから。そういう見方をしてるんだ。確かにバカな奴や無知な奴もいるけどね。その中の一人が自分の親だっただけさ。ある意味では可哀想そうだよね。未だによく解ってないみたいだから。愛情は祖母から貰ったからね。彼女から、神はこちらから呼んでも来ないかもしれないけど、重要なときには必ず来るって教えてもらったんだ。

──大変な子供時代だったんですね……。そのことについては誰かときちんと座って話したことありますか? いつかは誰かに話すことができるのでしょうか?

DMX:妻には話した。いや、それ(誰かに話すこと)は望んでない。でもそれもいい考えだとは思うね。


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