Def Jam離脱の真相、そして、過酷な少年時代を語る
DMX:一時期はインディー・レーベルにでも行こうかと思ってたんだけど、彼ら(SONY)は“もう一度、うちでやってみないか”って家族のように接してくれたんだ。俺はミーティングにも参加させてもらってね。彼らは俺をSONYの世界マーケットに向けてのプライオリティ(上位、優先のアーティスト)にするっていうんだ。これは、ラップ・アーティストにとっては史上初らしいよ。彼らにとってみりゃ“DMXは伸びるアーティストだから、力を入れて売り出す”ってなもんかな。(ミーティングで)彼らは俺のビデオを流したり、曲をかけたりして、俺も少し喋って、総立ちの歓迎を受けたんだ。実際、彼らは俺を立ててくれてる気がしたよ。Def Jamよりも、むしろね。それで、俺も自尊心が出てきて“Def Jamからお金を貰うのももうこれ以上いいかな”って思ったんだ。
DMX:(契約を決めたのは、)彼ら(SONY)が恐れていなかったからかな。Def Jamは恐れてたんだ。“DMXは手に負えない。何をやるか予測がつかない”ってさ。でも真のアーティストってそうじゃないか? きちんとした作品を出しているなら、それが問題になるとも思えない。Def Jamに居た終盤は、ビデオも撮って、ラジオ局も沢山回って、最初のアルバムを出したときぐらい懸命に働いたんだ。そしたら政権交代だろ? 俺とJay-Zは仲間だから、奴が上司になるのは良くないアイデアだってはじめから思ってた。だって、同じような道を歩いてきたアイツが、突然上司になるのなんて考えられないだろ? 実際、やっぱりちょっとオカシな立場だよ。奴は社長としてやるべきことがあって、俺の立場は(仮に人に紹介するときだって)“友人の……”ってことになっちゃうんだから。
DMX:実は、当初からあった。最初に契約した時、当時のCEOであるLyor Cohenは、CEOを辞めようとしてたみたいなんだ。だけど、彼は俺と契約することで、自分の役職を(契約)更新することができたんだ。彼は“ありがとう”って言ったけど、それは反面“くそったれ!”って言ったのと同じだった。俺は1年目で144ミリオン(144,000,000)ドルを稼ぎ出して、レーベルにとって史上最高の年にしたんだ。でも、レーベルが俺にくれたものなんて何もないさ。カードすらくれなかった。ただ“よく出来たな。史上最高の年をありがとよ”ってだけ。それからDef Jamは衰退していった。俺の存在が会社を売却することを可能にしたのさ。