“俺の時代が来た” LIL' FLIP待望のニュー・アルバムをリリース!

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◆2パックは最高さ。彼からはすごく影響を受けたよ。

──フリースタイル・キングであるあなたがリリックを書く際、どんな点に注意していますか?

アイディアが浮かんだ時だったら、いつでも書くことかな。もし紙と鉛筆がなかったら記憶しておくよ。車の中で何か思いついたら携帯に録音するし。書くものなんか必要ないんだ。だからフリースタイル・キングなんだよ。他のラッパーたちにとっては違いがあると思うけど、俺からしたらフリースタイルするのもスタジオでレコーディングするのも同じことだよ。

──そんなあなたが、ラップを始めたキッカケを教えてください。

俺はヒューストンの郊外、クローヴァーランドっていう小さな町で育ったんだ。この町で、俺たち黒人の選択肢といえば、スポーツ選手になるか、ドラッグ・ディーラーになるか、ラッパーになるか。そのくらいしかないんだ。だから、俺は好きなラップを選んだんだよ。9歳とか10歳くらいからラップしてたかな。ミックス・テープとかでラップ・シーンがけっこう盛り上がってたし、みんなラップしてたしね。

──その頃に聴いていたのはどんな音楽だったのですか?

ゲトー・ボーイズ、UGK、8Balls&MJG とか南部のラッパーを聞いて育った。でも、スタイルとして影響を受けたのは2パックだね。彼はいつだって最高のラッパーだよ。彼からはすごく刺激を受けたし、影響されたよ。

──DJ SCREWとはどのような人だったのですか?

ヒューストンで一番有名なミックス・テープDJだった。心の広い奴だったね。地元ではよく知られたDJで、すげぇいい奴だよ。“来たい奴はみんなオレのところに来い”って言っていろんな奴の面倒見てた。スクリューのスタイルは回転数を遅くする、テクノと正反対でスローなんだ。スクリューとは、“ラップうまいよな。ちょっとフリースタイルやってみてくれよ”ってな感じで一緒にやるようになった。オレ、C-Note名義でレコーディングとかしてて、その後、スクリューのミックス・テープでフリースタイルをやってだんだん知られるようになったんだ。

──今、ラジオではアトランタやヒューストンのアーティストの曲ばかりプレイされていますが、ここまでヒューストンが盛り上がっているのはなんでだと思いますか?

スカーフェイスが出てきた頃をファースト・ジェネレーションとすると、今はセカンド・ジェネレーションって感じだな。もちろん、これまでもヒューストンで音楽をやってるヤツらは、たくさんいたんだ。でも、最近になって、ようやくアトランタとかにも目を向けるようになって、NYやLA以外にも才能ある奴がたくさんいるってことに気付き出したからだと思う。最近はレーベルとかも、“サウスのラッパーとサインしろ”みたいな地方狙いばかりらしいし……。まぁ、俺としては、その恩恵にあずかってるわけだし嬉しいよ。もっと盛り上がってほしいね。【了】


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