ニュース・最新情報
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河島英五、遺作「旧友再会」が新たにレコーディング
河島英五が2001年に48歳の若さでこの世を去って10年、彼のラストライヴの音源を元に、遺作となった楽曲「旧友再会」が新たにレコーディングされ、ベストアルバム『旧友再会~ベスト・オブ・河島英五~』に収録、発表されることになった。
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ゴンチチ、CDを凌駕する音質でライヴ音源配信開始
ゴンチチの最新ライヴパフォーマンスの音源が、2009年4月22日からダウンロード開始となった。
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やはり歌われ続けていた、阿久悠さんの生んだ名曲たち
日本の歌謡界の頂点を極めた、偉大なる作詞家・阿久悠さんが2007年8月1日死去されたのは、みなさんご存知のとおり。
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'70年代、往年のヒット曲をあなただけのベスト・アルバムに!
SonyMusicの有料音楽配信サイトbitmusicは、2月27日より'70年代のフォーク、ポップス、アイドルのベストソングをラインナップし、そこから好きな曲をダウンロードして、あなただけのオリジナル・コンピレーション・アルバムを作る企画<「NetMD」で作ろう マイ70'sベスト!>がスタートした。
プロフィール・バイオグラフィ・リンク
1952年 大阪生まれ 大阪育ち 身長182cm
1975年にワーナー・パイオニアから「何かいいことないかな」でデビュー。
26年間の歌手生活の中で4,000回を越えるステージに立った河島英五。
「例えば若者達が地元の活性化のために僕を呼ぼうといってくれるならどこでも行くし、めいっぱい盛り上げますよ」が口癖だった。
1995年 阪神・淡路大震災復興義援コンサート「復興の詩」を企画。震災で親を亡くした子供たちのために行なわれたこのチャリティーコンサートは、“10年続ける”と宣言された通り、本人が亡くなった後もその遺志をついだ河島英五の3人の子どもや仲間たちの手によって実施され、1年1回10年間に渡って開催された。
2001年1月 突然の吐血により入院。その後医師の反対を押し切って退院し、4月14日に復活コンサートを行ったが、その2日後に帰らぬ人となった。享年48歳。
1975年にワーナー・パイオニアから「何かいいことないかな」でデビュー。
26年間の歌手生活の中で4,000回を越えるステージに立った河島英五。
「例えば若者達が地元の活性化のために僕を呼ぼうといってくれるならどこでも行くし、めいっぱい盛り上げますよ」が口癖だった。
1995年 阪神・淡路大震災復興義援コンサート「復興の詩」を企画。震災で親を亡くした子供たちのために行なわれたこのチャリティーコンサートは、“10年続ける”と宣言された通り、本人が亡くなった後もその遺志をついだ河島英五の3人の子どもや仲間たちの手によって実施され、1年1回10年間に渡って開催された。
2001年1月 突然の吐血により入院。その後医師の反対を押し切って退院し、4月14日に復活コンサートを行ったが、その2日後に帰らぬ人となった。享年48歳。