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Miles Davisに続き、モダンジャズ界で最も影響を与えたトランペッターといえばDon Cherryである。そしてその娘として有名なのが、トップ10入りを果たしたアルバム『Raw Like Sushi』を'89年に発表したNeneh Cherry。そんな音楽一家の末っ子として生まれたのがEagle-Eye Cherryだ。'60年代後半に父親のDonが移住したスウェーデンのストックホルム郊外で生まれ育った彼は、ヨーロッパとアメリカを往復する少年期を送る。

14歳になったEagle-Eyeは母親とニューヨークへ渡り、そこであの『Fame』で有名なHigh School for the Performing Artsに入学。学校では進むであろうと思われた音楽を専攻するのではなく、演劇の勉強に熱中した。とはいうものの、その後学校でドラムを習い、いくつかのプログレ・バンドに参加するうち、ニューヨークに出現し始めたアンダーグラウンドなアシッドジャズやダンス・ミュージックのシーンへ足を踏み入れる。しかし、音楽家としての道を再発見する頃には、彼の俳優としての活動が注目され、『The Cosby Show』その他の有名なテレビシリーズに出演。それがきっかけで、マイアミを舞台にしたメロドラマ『South Beach』にも起用され、音楽へ進む時間を彼に与えなかった。

しかし、アーティストとして俳優業を物足りなく感じたEagle-Eyeは、音楽活動に戻ることを決心する。そして、それまでの俳優業で稼いだお金で音楽機材を揃え、熱心に作曲活動に取り掛かるが、彼が本当に納得できるものを生み出したのはストックホルムに帰ってからのことだった。曲作りと録音のためにDATとMIDIキーボードは持って帰ってきていたが、友人の家で偶然手にしたアコースティック・ギターが大きな刺激となる。彼はその日のうちに2曲を作り上げ、それは、やがてデビューアルバム『Desireless』に収録されることになった。このアルバムは、ストックホルムのミュージシャンを起用して、ストックホルムでレコーディングされたが、ほとんどの曲は彼のニューヨークでの経験や人々を歌ったものである。ストックホルムの静けさ、そしてビッグアップルとの程良い距離感が、この穏やかで内省的なデビュー・アルバムの制作を可能にしたのであろう。

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