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Emerson, Lake & Palmerは、バンド名をPretentiousに変更しようと考えたことがあったかも知れない。そう思えるほど、彼らの音楽を形容するのに、この“pretentious”(仰々しい)という言葉は頻繁に使われた。確かにELPの音楽は恐ろしく仰々しい。しかし、必ずしもこれは悪い意味ではなかった。それはレザー・パンツをはいて、キーボードに短剣を突き刺しながら、VivaldiやDave Brubeckから頂戴したリフを華々しく奏でる様子を表しているのである。一般的にはプログレッシヴ・ロック一派と言われているが、ある意味でELPは、リード・ギタリストのいないヘヴィメタル・バンドだ。

キーボードの達人Keith Emersonは、''70年にNiceを解散した後、Atomic Roosterからエネルギー溢れるドラマーCarl Palmerを、King Crimsonからシンガー/ベーシストのGreg Lakeを引き抜いた。聖歌隊の少年のような声と、ティーンのアイドル的なルックスの持ち主であるLakeの存在は、バンドのデビューに役立った。

彼は“Lucky Man”や“From The Beginning”などのポップな曲を提供し、それらの曲はラジオで頻繁にオンエアされた。しかし、このバンドの本質は、Emersonによるジャズやクラシックから影響をうけた大作にある。こうした大作はアルバムの片面全部(''71年の『Tarkus』)、もしくは片面半(''73年の『Brain Salad Surgery』収録の“Karn Evil 9”)を占めることもあった。『Brain Salad Surgery』は複雑で大胆、しかも音楽的深みがあり、軽いスリル感も兼ね備えたアルバムで、ELPの音楽的な頂点だった。

Yesのような後続のプログレッシヴ・バンド同様、ELPも''70年代半ば、メンバーがソロ・アルバムを制作するために活動を停止し、その後は以前と同じ状態に戻ることはなかった。彼らは''77年に『Works, Vol.1』(各メンバーのソロ・プロジェクトだったものがアルバムの片面ずつに収録されている)で復活したが、サウンド的にはかなり地味なものになっていた。しかし、Copland作のシングル“Fanfare For The Common Man”は、パンク全盛期の''77年夏に、何とかイギリスのチャートで1位を獲得した。

ELPはその後オーケストラを伴ったツアーで大金を失い、危機を脱するために急いで発表した2枚のアルバム『Works, Vol.2』と『Love Beach』の評判は悪く、''80年に解散した。メンバー間の確執により''92年まで再結成されることはなかったが、再結成後の1stアルバム『Black Moon』は意外に力強いものであった。2ndアルバムの『In The Hot Seat』は、外部からの粗悪な作品と、手の病気によるEmersonの弱々しいプレイの犠牲になった。しかし、Emersonの手は順調に回復し、''97年の夏にはツアーを行っている。