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こと熱心なファンがまだ根強く存在する日本はまだ良い方であるが、現在の世界において、いわゆる“長髪・技術至上・アリーナ”の雰囲気がピタリとハマるオールド・スクールなヘヴィメタルやプログレ系のバンドが、商業的に成功を得る事は極めて稀となってきた。ボン・ジョヴィやメタリカ、アイアン・メイデンといったごく一部の大物バンドを除いては、好セールスどころかメジャー・レーベルとの契約さえないのが残念ながら事実と言わざるを得ない。
しかしながら、そんな中、特に爆発的なセールスを記録するわけでもないのに、常にメジャー流通でCDをリリースし、ビルボードのアルバム・チャートにおいてもコンスタントにトップ50に入り続けている異例中の異例のバンドが存在する。
それがドリーム・シアターである。
彼らの最新作『シックス・ディグリーズ・オブ・インナー・タービュランス』は今年の1月に発表されたが、このアルバム、2枚組にも関わらず、なんと全米初登場46位を記録。そしてその直後に行なわれた全米ツアーにおいても、ホールやアリーナ・クラスを廻り次々とソールド・アウトさせるのに成功させている。この、今となっては“快挙”とも言える成功劇を彼らは何故収めることができているのか。僕はそのことを確かめにこのライヴに臨んだ。
渋谷公会堂のステージ上には、今のパンクやオルタナ系のライヴではあまり見られなくなった2バスの大きなドラム・セットがデンと構えられ、その頭上には凝りに凝った巨大なスクリーンが…ここ最近、シンプルなライヴハウスでのライヴに慣れていた身としては多少懐かしい感じもしないではなかったが、僕のそんな違和感は演奏が始まるとすぐに消えて行くこととなった。
そのライヴ自体は静かに徐々に徐々に立ち上がっていったが、彼ららしい長いイントロの後、展開がエモーショナルなものになるにつれ、彼らの圧倒的な演奏技量はフル・スロットルに。
そして、これがもうとにかく凄まじい! ’70年代のイエスあたりを思わせる華麗なキーボード・ソロは確かに今ほとんど聴かれない形式とはなっているが、そのプレイ自体はスリリングでかつドラマティックであり、そこにトリッキーなドラムの変拍子や、名ギタリストの誉れ高いジョン・ペトルーシによるスムースな指運びによる繊細でリリカルなギター・プレイが絶妙に絡んでくる。 そうした土台の上に、巨体と腰までの長髪をなびかせながら、リードシンガーのジェイムス・ラブリエが澄み切ってかつパワフルなハイトーン・ヴォイスを、オペラのテノール歌手並みのスケールで見事に歌い上げる。いやはや、これには思わず“さすが!”の感嘆の声が。
たしかにその音楽的なスタイル自身に新しさは全くなく、どちらかと言えば懐かしささえ覚えてしまう。しかし、微塵の乱れもない彼らの完璧な精密さによる音の構築には、そうしたオールド・スクールな様式を“過去の遺物”とバッサリと切り捨てさせないだけの“本気度”の高さを感じさせる。それは本物のジャズ・ミュージシャンのセッションがジャズをけっして“’50年代で止まったもの”などと思わせることがないのと全く同じように。
普段、ライヴで長時間のジャムなどをやられると疲れて飽きてしまう僕なのだが、この5人の熾烈なバトルを前には素直に時間の経つのを忘れてしまった。そうしているうちにライヴは1時間30分ほどで終了…。
…と思いきや、本人たちにとってもファンにとっても大事なのはここからであった。ここからの第2部において、彼らは最新作のディスク2における、なんと42分にも及ぶアルバムのタイトル曲を披露。観客は「とにかくこれが聴きたかった!」とばかりに1部以上に沸き上がった。そして当の本人たちも、どこまでがアルバム通りでどこまでがアドリブなのか聴いているこちらの方がわからない気の長くなるような楽曲を、アルバムでのテンションを一切落とすことなく完璧に表現。その巧みな職人ぶりを余すところなく証明してみせてくれた。
そしてこの大曲を見事に完成させた後、彼らはもう一度登場し、メタリカのカヴァーなどを含む4曲を披露し、その“楽器による格闘技”のような宴に幕を閉じた。
いやあ、確かに昔も今も、ここまで技術至上主義を極めるところまで極めて、ある特定の音楽様式をここまで完成度の高いアート・フォームにまで昇華させたバンドもそうはいない。これだけ存在として超越しているのならば、流行り廃り一切関係なく音楽シーンをサバイブしていけるわけだ。トレンド関係なく、こういう“本物”の存在にもっとスポットが当たれば・・・。そう確認した一夜だった。
文●沢田太陽 |