待望のブレイク、と言っていいのだろうか?
シングル「永遠に」のスマッシュ・ヒット以降、コンスタントにその人気と知名度を上げてきたゴスペラーズ。
デビュー7年、もはや中堅のアーティストとなった彼らにとって、この状況は少し遅すぎたようだ。彼らは決してシーンから離れた活動をしていたわけでもないし、頑なスタンスで音楽を作ってきたわけでもない。いつだってシーンのトップを目指そうと頑張ってきた。それだけにメンバーにとってもファンにとっても待望のという呼び方がふさわしいように感じるのだ。
4月8日、毎年恒例となっている、アカペラ・ライヴの最終公演が行なわれた。メンバー自身が出演する演劇を中心に、シーンに合った楽曲をすべてアカペラでするという、唯一無二のスタイルで好評を博しているシリーズだ。
通算5回目となる今回の舞台は「アカペラ街~未来から来たおじさん~」と題して展開。’93年を舞台に、メンバーの前に、50年後の未来からやってきたという40歳過ぎの“おじさん”(まこと)が現われる。しかもそのおじさんは、安岡優の息子だというのだ。’93年といえば、ゴスペラーズがデビューした年。メジャー・デビューを控え、不安定な未来に悩むメンバーと未来に成功したゴスペラーズを知る“おじさん”。そんな彼らがお互いに刺激を受けて、頑張っていこうとする明るく前向きなストーリーだ。
さきにこのライヴのことを唯一無二と書いたが、裏を返せばそれは“彼らにしかできない”と表現したほうが正しいかもしれない。
アーティストでありながら2時間の芝居をたった6人(メンバー5人+ゲスト出演者1人)でやり遂げることも、あちこちにアドリブを効かせながらしっかり観客を楽しませることも、それらはやはりゴスペラーズだから成せるワザ。楽曲のすべてをアカペラでこなし、さらに完璧に歌いあげることは、もちろん今さら言うまでもないだろう。
たとえばステージの冒頭。
ライヴの練習のため一足早く集まった村上てつやと安岡優のかけあいのシーンはまるでコントのようなノリの良さ。インディーズ版『DownTo Street』に収録された「Gospellers Theme」を歌いながらじゃれあう様子は、観ているものの心をたちまち掴んで離さない。
たとえば「靴を磨く」を歌いながら練習場所の掃除をするシーン。
床を磨くために手にしたデッキブラシは、時にリズムを刻む打楽器になり、「こういう曲好き」ではスタンド・マイクに早変わりする。
そして“おじさん”が村上てつや、北山陽一、黒沢薫とともに騒ぐシーン。
酔っぱらいながら陽気に始まる「ひとり」は、いつの間にかしっとり切ない雰囲気に変化する。バック・ミュージックがない代わりに、同じ曲を途中からでもガラリと変化させることが可能なアカペラの柔軟性を感じさせてくれる。もちろん芝居の中でも、これがコンサートであるという一面も忘れない。ストリート・ライヴを行なっているシーンでは、ここぞとばかりに会場はオール・スタンディング。MCもどこまでが現実のものか、ステージと客席の時空間がシンクロして、フィクションとノンフィクションの境界線に混乱させられるのも、ある意味このライヴの醍醐味だ。
ストーリー、音楽ともにクライマックスを迎えたのが、「ひとり」と、新曲「星屑の街」を歌うシーン。これまでストーリーのBGMになっていた音楽は、物語の中盤に披露される2度目の「ひとり」で一気に歌としての存在感、“歌うたい”ゴスペラーズとしての存在感を再認識させた重要なポイント。
また5人それぞれがソロを受け持つ「星屑の街」は、ヴォーカル・グループの真骨頂を見せつけたラスト。特に後者は、そうか、この曲のためにこのステージがあったのか、と観る者を納得させた瞬間でもあったはずだ。
もちろん本編が終了してもステージは終わらない。真っ白なスーツに着替えて登場したアンコールはそのまま現実のコンサートへ。さながら第2章ともいうべきステージは2時間の本編に対してなんとその半分の1時間! 計3時間に及ぶステージは、会場全体が、そこに集まった人々が全員で盛り上がる素晴らしいものとなった。