「なんだあ、このトホホでショボい昔風のエレ・ポップは!」
’97年にダフト・パンクがシングル「ダ・ファンク」を世に出して来た頃、日本のメディアの反応というものはそういうものだった。少なくとも硬派テクノ系のメディアで、このシングルやデビュー・アルバム『ホームワーク』を賞賛した記憶はほとんどない。
この当時、世はプロディジーやケミカル・ブラザーズ、ファットボーイ・スリムといった「デジタル・ロック」だの「ビッグビート」だのといった、ロックとテクノの壁を壊す動きが顕著になりシーンの話題をさらっていた頃。
その“ボーダーラインを超すテクノ”の一環としてダフト・パンクもその末席を飾る形で聴かれ、アルバムも全英アルバムチャート・トップ10入りは記録したものの、やはりその存在は今から考えると地味なものだった。
評価も冒頭に書いたようなものが多く、頭の固いテクノ・ファンや先鋭性重視のロックファンには受けいられなかったが、その一度聴いたら癖になるような麻薬的中毒性のあるメロディは当時から光るものがあったし、また、行き着くところまで行き着いたハードコア・テクノが出口がわからずに混迷している最中に、“ひょうたんからコマ”のようにこうした誰にでもわかりやすいポップなテクノが登場することは、ある意味時代の必然のようにも見えたものだ。
そのダフト・パンクの先駆性が翌’98年に早速発揮された。
二人のメンバーのひとり、トーマの別プロジェクト、スターダストのシングル「ミュージック・サウンズ・ベター・ウイズ・ユー」がヨーロッパ中のヒットチャートで軒並み大ヒットを記録。この後現在まで続く“フィーチャリング・ヴォーカリストを起用した歌ものガラージュ・ハウスの先駆”として、この曲は大絶賛を浴びる。
また、ダフト・パンクと同じヴァージン・フランスから、この年二人組テクノ・ユニット“エール”が世界デビューしてダフト・パンク同様のセールス、そして“この年のNo.1アルバム”との大絶賛を浴びる。また、テクノ方面とは異なるものの、ダフト・パンクの古くからの友人である’80年代AORテイストのポップバンド“フェニックス”も’99年にデビューし、批評的に賞賛を浴びる。
こうしたことから、フランスに、そしてダフト・パンク周辺に世界の目が一気に注がれるようになっていき、後は本家ダフト・パンクの新作を待つだけだった。
そこに満を持して届けられた新作からの先行シングルが昨年末から今年にかけて大ヒットを記録した「ワン・モア・タイム」。
全英チャート2位、本国フランス初登場1位を記録したのをはじめとしこの曲はヨーロッパ中で大ヒット。日本でも、あの「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」でお馴染みのアニメーター、松本零士が手掛けるアニメによるビデオ・クリップが大いにウケて、来るべきアルバムの導火線に火をつける形となった。
そしてここに届けられたアルバムがこの『ディスカバリー』。
前作『ホームワーク』では、’80年代初頭のニューウェイヴ・サウンド的なアプローチをとることによって行き詰まったテクノシーンに一石を投じた彼らだったが、今作はもはや、テクノという枠すら飛び越えて普遍的な王道ポップスへと大きく進化を遂げている。
その音楽要素の中核をなすのは前作同様やはり’80年代サウンド。
盟友フェニックスにも通じるメジャー・セヴンスのコードを多用したAORやブラコン風の楽曲から、かのハービー・ハンコックの「ロック・イット」を彷佛とさせるエレクトロ・ヒップホップまで、’80年代初頭のアメリカのラジオ・ステーションを思わせる内容。
松本零士の起用といい、この’80年代的アプローチといい、どうやらこの連中、自分が幼いときに吸収したルーツにかなり忠誠心を尽くす律儀なタイプのようだ。
彼らの場合、現在とかく“未来へのトビラを開く存在”などと大袈裟に語られているフシがあるのだが、これを聴く限りそんな大義名分めいた重さのようなものは一切なく、あるのは、自分が本来持っている感覚を真っ正直に素直に出しきっている潔い気持ち良さ、ズバリそれだ。
前作の時点では確かに確信犯めいているようにも見えた。しかし、この音にせよ映像にせよ、まるで童心に戻ったかにようにエンジョイしている彼らを見ていると、このキャラクターは随分と天然なのではないか。そう思えて仕方がない。
もしかして、現在ダフト・パンクと「未来の可能性うんぬん」を結び付けたがる人たちの心をとらえてやまないのは、ダフト・パンクの中にある純粋無垢な遊び心なのかもしれない。
ただ’80年代回帰と言いつつ後ろ向きな要素はまるでゼロ。ビートはあくまで現在進行形のものであるし、’80年代なんかを知らない若い聴き手には実に新鮮に響く作りになっている。
もはやジャンルはもちろん、リスナーの世代の断絶をも軽くひとっ飛びするポップ・センスを身につけてしまったダフト・パンク。その持ち前の遊び心で、この先また何度もまた僕達を楽しまさせてくれそうだ。