【インタビュー】YOSHIKI、痛みも限界も閉ざされた扉も突破、「世界への第一章」の核心

YOSHIKIのクラシカルコンサート<YOSHIKI CLASSICAL 2026 覚醒前夜 ─ Tokyo 3 Nights 世界への第一章>が2026年4月3日(金)、4日(土)、5日(日)に東京ガーデンシアターで開催されることが発表された。
「完全復帰を宣言」という力強いワードを伴う発表となったものだが、そこには着目すべきポイントが2点ある。フィジカル面とメンタル面だ。
2024年10月に受けた自身3度目となる首の手術から、ほぼ1年をかけて丁寧なリハビリを行なってきたYOSHIKIだったが、手術後初のピアノプレイを披露したのは2025年3月MLB開幕戦@東京ドームでの日米両国歌演奏の時だった。手術を受けまだ半年にも満たない状況で、まだまだリハビリ真只中にあり、実はピアノを弾ける状態ではなかったが、YOSHIKIは「素敵な企画をいただいたので、自分は「できます」と言って地獄の練習をした」とその時を振り返る。実のところ、指が思うように動かない状況だったが、「無敵」と書いてエクスタシーと読み「無謀」と書いてYOSHIKIと読むという持ち前の美学が、リハビリを加速させた。

東京ドームでの日米両国の国歌をピアノ演奏で華を添えるという大役を果たし、リハビリ後初のパフォーマンスを乗り切ったことは、YOSHIKIにとって「ひとつの壁を超えた大きな出来事」であり、彼の背中を強力に推す原動力に繋がった。
さらなるリハビリを通して本来の自分を少しづつ取り戻していったYOSHIKIは、体調を整えながら8月22日(金)から31日(日)にかけて、世界一豪華なディナーショー<EVENING / BREAKFAST with YOSHIKI 2025 in TOKYO JAPAN KURENAI>を敢行、全6日間・10公演を完遂することで、復帰への道筋に確信を得た。


そして2025年11月20日、年齢はXではあるものの人生の再出発を祝う記念すべき誕生日のタイミングで、サウジアラビア・アルウラのユネスコ世界遺産であるかつての古代都市Hegraでパフォーマンスを行った。2000年以上前の遺跡の地で現代の音楽を奏でる意味を自ら問い、そこから見えてきたものは心身ともに完全復活した自分自身と、自らが進むべき未来だった。

「人生の大きな節目だった」と語る貴重な経験を経たYOSHIKIは、数千年の年月に佇む古代遺跡から多大なインスピレーションを受け、自身の人生とキャリアに新たな章を刻むこととした。それが「世界への第一章」であり、これまでは序章に過ぎなかったという、開眼の1ページを開くものである。

──サウジアラビアの空気に触れ、どんなことを感じましたか?日本はともかく欧米とも全く違う文化と歴史に支えられた世界遺産ですから、その地から受けた影響は小さくないものと思うのですが。
YOSHIKI:僕が行ったその場所というのが開かれたばかりの地で、数年前まではまで閉ざされた場所だったんですよ。
──外部の人には開放していなかった神聖な場所ですか。
YOSHIKI:外部だけじゃなくて現地の方も含めてです。そういう場所だったので、今この時代に生きていることができて良かったと思いました。しかも、そこに招待されて演奏することができるというのは、すごく光栄なことなんですけど、なんか人生って、ある種リズムというかタイミングじゃないですか。
──そうですね。出会い自体もそういう縁で。
YOSHIKI:出会いも含めてこの時代に自分が生きられたっていうことを考えると、僕が生まれた時はネット自体がなかったし、音楽もレコードからCD、ダウンロード、ストリーミングと変わり、今度はAIが現れている。もし100年前に生きていたら、こういうことは味わってないですよね?
──100年前だと、蓄音機が電気式でやっと実用化したくらい。
YOSHIKI:そういう時ですよね。200年前だったらそういうことも起こっていない。クラシックの作曲家が古典派からロマン派とかどんどん変わっていく過程やいろんな紛争もありましたけど、今回Hegraのような場に僕みたいな日本人が行ってコンサートができるってこと自体がすごい光栄に思えたというか、幸せに思いました。
──サウジアラビアの方にとっても、日本人にパフォーマンスを委ねるというのは初の出来事ですよね。先方はYOSHIKIに何を期待していたんだと思いますか?
YOSHIKI:イブラヒム・マーロフさん(YOSHIKIと共同制作した新曲「ALULA」を共に演奏したトランペット奏者)から聞いた話なんですけど、今回呼ばれたアーティストというのは、ポップ・アーティストという観点ではなく、世界的に影響力のある方たちを集めたという趣旨だったらしいです。確かに、アルウラの方々からはものすごい真剣度を感じました。
──世界遺産という神聖な場所においてチャレンジするエンターテイメントの創出ですもんね。
YOSHIKI:ものすごく大きな地殻変動が世の中で起こっている中で、音楽家としてその一部の中に自分もいるということを実感させていただく機会になりました。



──Hegraでは「LARMES」「THE SEINE」「ALULA」といった新曲も多く披露していましたが、それは自分への挑戦とか、世界へのサプライズのような意味もあったのでしょうか。
YOSHIKI:なんて言うんですかね…開放感もあったというか、要するにお決まりの曲をやる必要もなかったんです。「Forever Love」もやっていないし。現地で支持の高い僕の曲も自分なりにリサーチしながらゼロベースで考えてやったので、「Red Swan」とか「Endless Rain」とかも入れながら、新曲であったり「AMETHYST」など、今まであまり日本でやってなかった曲もやってみました。
──「ALULA」はトランペットとのコラボレーションで披露されましたが、管弦楽などと違って難しい点はありませんでしたか?
YOSHIKI:いえ、これは彼と「こんな曲を送るから」「いいね」というやり取りをして、コンサート前のリハ前に「こんな感じで、これでいってみよう」みたいな感じで本番に向かったもので、お互いに音楽の百戦錬磨なので一瞬でできたものです。
──ある種それも貴重な経験ですね。
YOSHIKI:彼は素晴らしいですね。
──そういえば、YOSHIKIも幼少期にトランペットを吹いていましたよね。なにか思うところはありましたか?
YOSHIKI:いや、すごいうまいなと思いました。
──今回Hegraでの経験によって得たこと、今後の自身へ与える影響などはどう捉えていますか?
YOSHIKI:なんかとんでもないエネルギーが身体の中に入ってきた気がしていまして、「これからだ」「自分は向かっていける」と思って今回のクラシカルツアーを「第一章」と名付けたんです。今までが全て序章だったんだなって思うんです。やっぱり世界っていうのは大きいですよね。長い序章ですけど、全てに関して手探りで。僕が日本でXとして始める時もインディーズから模索・模索・模索でここまで来て、そのまま世界に対しても模索してきました。30年前に世界に出て行った時は、こんな風に世の中が変わっていくとは思わなかったですし。
──確かに。1990年代とはまるで違う音楽事情になりました。
YOSHIKI:そうですよね。AIとかいろんな問題はあるにしても、今までずっとドアというドアを開く作業をしていたのかなと。やっとドアが開いたので、そこに踏み入れようと思っているのが今です。

──大きな1歩…というか、これまではそれの序章という感覚なんですか?
YOSHIKI:ドアが開くまでに30年以上かかりました。
──「LARMES」(ラルム、フランス語で涙の意)という新曲も披露され、なんと近々世界一斉リリースとなることも発表されましたが、これが第一章を飾る最初の作品になるんですね。
YOSHIKI:20年以上も前に作った曲ですけどね。
──20年前っていうと…X JAPAN再結成前ですか?
YOSHIKI:いや、もっと前…X(JAPAN)の『Jealousy』あたりかもしれない。
──それ以来、ずっと眠っていた曲?なぜリリースしなかったんですか。
YOSHIKI:いや、ずっと起きていたんですけど、外に出ていきたくなかったんです。
──完成していなかった?
YOSHIKI:いや、完成してました。
──発表の機会を待っていた?
YOSHIKI:外に出て行きたくなかった。
──どゆこと?
YOSHIKI:ピアノ曲で、X JAPANのアルバムのオープニングとかにいいかなと思ったんですけど、ただ、楽曲として「強いな」と思ったんです。短い曲ですけど。短い曲って昔では考えられなかったけど、今はリリースも考えられるなと思って。テンポを決めていないので、ゆっくり弾けば2分になるし速く弾けば1分半くらいですけど、やっとこの曲を出せる…出してもおかしくないなって。
──出せると思ったのは、今の時代環境がマッチしているからということですか?
YOSHIKI:そうですね。すごい素敵な曲だと思っているんです。自分でも言うのも変なんですけど、綺麗なメロディーで悲しくて…でも2分弱で完結してしまう。そういう曲を今出したら面白いなと思って。
──それでHegraでもプレイしたんですね。
YOSHIKI:演りました。リハーサルではピアノソロで弾きましたけど、本番では弦を入れてやりましたね。
──弦アレンジもしたわけですか?
YOSHIKI:それも元々できていました。当時僕が作った時は二十数人の弦楽が入っていて、レコーディングも終わっているので。でも今回リリースするのはちょっと変えてピアノソロだけの方がいいかなって思っています。今日も弾いたし、いろんなバージョンがあっていいのかなと思って。

──20年以上も前に弦楽も入った形で完パケしているのに、なぜリリースしなかったんですか?…ってさっきも聞きましたけど(笑)。
YOSHIKI:なんなんですかね(笑)。なんかよくわかんないですけど…。
──そういう曲って他にも…。
YOSHIKI:星の数ほどあります。
──出しましょうよ。
YOSHIKI:うん、そうですね。2026年1月から毎月何かリリースしていくのもいいかな。とりあえず「LARMES」はどんな形でも出せるので発表しましたけど、例えば36ヶ月とか48ヶ月連続でリリースってこともできますよ。
──それはすごい。ずっとリリースしてこなかったYOSHIKIがいきなりそんなことを始めると、逆にファンが心配しちゃう。
YOSHIKI:そうですか? やりましょうか(笑)。僕の場合、クラシックもあるし、ロックもあるし、ポップもあるんで。
──Violet UKのような質感の曲もあるし。
YOSHIKI:全然あります。それも出していくつもりですよ。毎月出すのっていいかもしれないですね(笑)。
──いよいよヤバくなってきた。逆にそんなに出さないでくれと言いたくなるほどに(笑)。
YOSHIKI:要するにドアを開けたので。全開じゃないにしても、世界に向かうドアが、ね。ただし、あるレーベルと契約交渉中なので出すレーベルが変わったり、交渉の兼ね合いで時期がズレたりするかもしれません。
──「ドアが開いた」と実感できたきっかけに、Hegraでの経験があったということですね。
YOSHIKI:いろんなことの積み重ねだと思うんです。手形・足形の件(編集部註:2024年1月、ハリウッドのTCLチャイニーズ・シアターでのセレモニー。日本人初)があったり、TIME100の件(編集部註:世界で最も影響力のある100人に選出。日本人ミュージシャンとして史上初)があったりして、今だ実感が湧きませんし恐縮してますけど、「俺って認められることができるんだ」みたいな「そのレーダーに入ったんだ」っていう。デビュー前は、僕らがどんな曲をどのようにリリースしても「だから?」だった。インディーズからメジャーに行ってリリースしたら日本の方たちは聴いてくれたけど、世界の人達は「あの人、何?」だけで終わっちゃう。だけど、今リリースすれば、いろんな国の方たちがそれなりには聴いてくれる土壌ができた。「僕がリリースすることに意味があるんだ」「やっとそういう時期に来たのかな」っていう。


──もっと前からその時期は来ていたことを、僕らファンやメディアは知っていたけど(笑)。
YOSHIKI:ありがとうございます(笑)。そういう時期が来たことで、やっと自分の中ではドアが開いたという感じ。
──いよいよ2026年が楽しみですね。
YOSHIKI:道を作ることができたから、その道を進もうっていうところです。待たせていてすみません。バンドに関しても検討しています。前向きに考えています。

取材・文◎烏丸哲也(BARKS)
<YOSHIKI CLASSICAL 2026 覚醒前夜 ─ Tokyo 3 Nights 世界への第一章>
2026年4月3日(金)、4月4日(土)、4月5日(日)
@東京ガーデンシアター
18時開場 19時開演(4月3日)、16時開場 17時開演(4月4日、4月5日)
チケット:18,000円(税込)/VIPパッケージ100,000円(税込)
VIPパッケージ
1.アリーナ前方確約・指定席(公演チケット込み)
2.VIP限定グッズ
3.サウンドチェックパーティー
4.VIP優先会場物販
概要:https://www.up-coming.jp/yoshikiclassical2026t3nvip/

◆<YOSHIKI CLASSICAL 2026 覚醒前夜 ─ Tokyo 3 Nights 世界への第一章>オフィシャルサイト






