【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話054「AIには理解できない、錯聴が生む音楽の魅力」

錯覚画像を作ってみた。なんだかブルブル震えて見える。

人の中心視野は解像度が高く静止していることを正しく認知するものの、周辺視野は解像度は低い代わりに動体検知能力に長けているんだそうだ。眼球の微小眼球運動によって網膜上の画像が常にわずかに動くため、周辺視野がその動きを検知するのだけれど、コントラストの差による神経伝達速度のズレによって、動きの信号がリセットされずに増幅されてしまい、こういう錯覚を引き起こすのだとか。
人間の視覚は、世界を正確に写し取るために設計されているわけではなく、むしろ目的は、素早く判断し即座に行動することにある。草むらのわずかな揺れを「何かが動いた」と認知することは、捕食者から逃げるために欠かせぬ能力となり、たとえ誤検知だとしても生存率を高める方向に最適化された機能として働くわけだ。
手や足に浮き出て見える静脈も実際には青くない。これもまた錯覚。実際の色彩は、周囲の皮膚よりやや暗い彩度の低いオレンジ色に近い色味だけど、周囲との差を強調して認識しようとする脳の働きによって、肌色の中の暗い線を補色関係にある青として認知する。

つまりは生存のため、正確な物理測定をするよりも、素早く状況を判断し意味付けを優先する。その過程で生まれるのが錯視や錯覚であって、それらはバグではなく認知アルゴリズムの仕様による副産物だ。
当然のごとく、この構造は聴覚にも存在する。錯聴は、文脈や期待、過去の経験をもとに音を再構成した結果として生じてくる。歌詞が違って聞こえたり、意味のある言葉に聞き取れてしまったり、同じフレーズが繰り返されるうちに別の言葉に変化したように感じたりもする。これらはすべて、脳が「理解できる形」に音を補正しようとする働きから生まれる現象だ。
音は空気振動という物理的な現象だけれど、我々はそれを単なる振動として処理するのではなく、音の連なりから意味を抽出し、文脈を読み、未来を予測する。次に来る音を無意識のうちに期待し、その期待がわずかに裏切られた瞬間に強いテンションを検知する。これは、人間の聴覚が「変化」を前提に設計されているからだ。捕食者の足音、仲間の声色の変化、環境音のわずかな異常…生き延びるためには、静的な状態よりも変化を素早く察知する必要があったのだろう。
エンターテイメント分野…とりわけ音楽において、この錯聴的な性質は大きな効能を持っている。まず第一にリスナーの能動性を引き出す作用を持つ点が大きい。すべてが明瞭に提示された音楽よりも、少し曖昧さを含んだ音楽のほうが、人は「何と言っているのか」「今の音は何だったのか」と無意識に耳を澄ます。錯聴が起こる余地は、聴取体験を受動的なものから参加型の体験へと変えてくれる。
同時にそれは記憶への定着を強める効果にもつながっていく。歌詞が聞き取れそうで聞き取れない、意味が揺らぐというプロセスが、楽曲との接触回数を増やし結果として印象を深める。静脈が「青いもの」として記憶されるように、音楽もまた、実際の音以上に「脳内で再構成された姿」で記憶されていく。
そもそも人の脳は「曖昧な刺激に対して、自身の感情状態を投影しやすい」ため、同じフレーズが、あるときは希望に聞こえ、別のときには不安に聞こえたりもする。意味が固定されないことは、楽曲は聴き手の人生や感情の変化に寄り添う余地を持つことに直結するため、過剰に説明しない歌詞や、発音をあえて崩したボーカル手法というのは、感情表現の幅を広げる重要なアプローチになりえるわけだ。
錯視も錯聴も、人間の感覚が不完全であることを示すものではない。むしろ、人が世界を「意味のあるもの」として理解するために備えた高度な編集機能の現れだ。音楽という表現は、その編集機能を巧みに刺激し、ときに誤認させ、ときに想像を飛躍させることで、単なる音の連なり以上の体験を生み出してきた。
青くない静脈を青と感じるように、存在しない言葉を音楽の中に聴き取ってしまう…その錯覚の瞬間こそが、感覚と想像力が交差するエモーショナルポイントであり、エンターテイメントが人の心に深く入り込むための、重要な入口なんだと思う。鳴っていないものを聴き、変化していないものに動きを見出す能力があるからこそ、我々は音楽に物語や感情を重ねることができる。
人は音楽を体験する。AIは音楽を記述する。この違いこそが、音楽を音楽たらしめている核心であり、テクノロジーがどれほど音を再現しても、最後まで手渡されない領域はそこになるのかもしれない。AIにとって音楽は、波形や周波数、時間軸上の数値データであり、一定であるものに変化は認めない。AIが精度を高め、人の揺らぎを現象として説明はできても、錯覚を体験するのは困難だろう。それは合理性ではなく、生存の歴史が生んだ感覚…生きてきた時間の集積によるものだから。
文◎烏丸哲也(BARKS)