【インタビュー】ASH DA HERO、デビュー10年を振り返りワールドツアー最終公演を語る「世界で暴れる日本代表のロックバンドに」

ASH DA HEROが11月8日、神奈川・KT Zepp Yokohamaにて<ASH DA HERO “WORLD TOUR” 2025>ファイナルにして、“10th ANNIVERSARY Special”をサブタイトルに冠したワンマンライヴを開催する。<ASH DA HERO “WORLD TOUR” 2025>は2025年3月よりスタートしたツアーであり、アメリカのハワイ、アラブ首長国連邦のアブダビ、韓国のソウル、フィリピンのマニラ、ブラジルのサンパウロ(2days)、アメリカのサンディエゴ、アメリカのテキサスなど、文字通り世界を舞台としてきた。そして日本凱旋公演として、9月に大阪・梅田BananaHall、10月に愛知・名古屋ElectricLadyLand公演を開催し、いよいよファイナルを迎える形だ。
また、2015年12月のミニアルバム『THIS IS A HERO』でのメジャーデビューから10年。“10th ANNIVERSARY Special”としても行われる同ワンマンは、ソロ時代の楽曲も含む全37曲の演奏が予定されているなど、過去最大ボリュームのセットリストで挑むことが事前アナウンスされている。つまり、10周年の集大成にして、レア曲やバンド体制以降あまり披露されていなかったソロ楽曲にも期待が高まるところ。加えて、GASHIMA (WHITEJAM)、MindaRyn、小笠原仁(GYROAXIA)をはじめとするゲスト陣の出演も決定しているなど、豪華極まりない。
先ごろ公開した最新アルバム『HYPERBEAT』インタビューで、「昨年秋、4人になった瞬間から毎月のように海外でライブをやっていて。海の向こうのオーディエンスを沸かせてきた俺たちの、自信たっぷりな現在進行形のショーを体感してもらえると思います」とASH (Vo)が語ったKT Zepp Yokohama公演は、破竹の勢いや膨大なエネルギーがサウンド&パフォーマンスとなってステージから放出されるはずだ。デビューからの10年を振り返り、ワールドツアー最終公演の意気込みをASHが語り尽くしたロングインタビューをお届けしたい。
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■ソロ時代のASH DA HEROは
■なんでも歌えることに軸足を置いてた
──2025年、ソロアーティストASH DA HEROのデビューから10年を迎えました。10周年というのは、ひとつの節目として振り返るタイミングでもあったりしますが、この取材前にそういった心境でこれまでのことを考えたことは?
ASH:初のインディーズ盤『THIS IS ROCK AND ROLL』リリースが、ちょうど10年前の2015年5月のことで。今年5月のタイミングで、“もう10年経ったんだな”という気づきがありました。ただ、やっている本人としては、ひたすら前のめりにガムシャラに走り続けているので、特に何年やってきたとかカウントもしていなかったんです。
──止まらず走り続けていますから。
ASH:ただ、今年5月はワールドツアーの真っ最中で、たしか韓国公演あたりだったんです。韓国がワンマン公演だったこともあって、この後のワールドツアーのファイナルに向けて、10年間支えてくれたファンのみんなに恩を返すことができたり、ファンのみんなが求めているものを表現できる場所が作れたらいいなってことを考えましたね。10周年……10年もステージに立たせてもらえて、音楽を聴いてくれるファンのみんながいる。こんなありがたいことはないので、そこで10周年というのを意識し始めました。

──ASHはもともと名古屋で音楽活動をスタートさせて、バンドのボーカリストとして歌っていましたよね。でも2015年、ASH DA HEROとしてソロでインディーズデビューし、活動の本拠地を東京に移しています。存在を誰にも知られていないところからのスタートに近かったと思うんですが。
ASH:最初にバンドをやるきっかけになったのは15歳のとき、友達から誘われたことでバンド活動が始まって、ボーカリストとして、ミュージシャンとして様々なバンドに参加して経験を積んでいきました。最後に参加していたバンドが活動休止したとき、本当はそこで音楽をやめるつもりでいたけど、自ら発起人として自分の音楽を発信したい、という思いも同時にあって。ずっと温めていた企画のプロジェクト名が“ASH DA HERO”だったんです。
──デビュー前から練っていた構想だったんですね。
ASH:どこかのタイミングで“ASH DA HERO”を動かそうと思っていたら、ある日、友人のミュージシャンから電話があって。「もう音楽やる気はないの? ちょっと会わせたい人がいるんだけど」って紹介してくれたのが、現チーフマネージャー。そして、ほぼ同じタイミングで「曲があるならデータを送ってよ、一緒にプリプロしようよ」って声を掛けてくれたのが、現在の共同作業者でもあるRyo ‘Lefty’ Miyata(レフティ)です。
──そんな偶然があるんですか?
ASH:マネージャーとレフティは、1〜2日の違いで声を掛けてくれたんですよ。二人に10曲ぐらい送って。聴き終わったレフティは、「全部いい。この日にプリプロやって、何曲か仕上げよう」ってスケジュールを入れてくれたんです。マネージャーからは、デモを送った翌朝8時に電話が掛かってきて、「最高に感動しました。いちファンとして、僕にマネージメントをやらせてください」と。朝からすごい熱量で話してくるから。僕も「はい、よろしくお願いします」って感じでした。その翌日にはレフティとプリプロもやって、最初に仕上げたのが「GOOD MORNING HELLO GOOD BYE」でしたね。
──わずか3〜4日の間に全てが動いた?
ASH:始まってしまった感じですよね。
──BARKSインタビュー初登場は、2015年5月のインディーズアルバム『THIS IS ROCK AND ROLL』リリース時でした。そこにはポッと出の新人ではなく、すでに威風堂々と鍛え上げられたシンガーがいました。
ASH:ASH DA HEROを始めるまでの人生自体、ラッキーと挫折の繰り返しだったから。一度のみならず二度三度、もう音楽をやめようと思ったけど、音楽に胸ぐらをつかまれて「おまえはまだやめんな」って感じで、連れてきてくれたのがASH DA HEROで。そこから始まって、今、10周年を迎えているというのは、振り返って話してみて、いろいろ感慨深いものがありますね。
──そして同年12月にはメジャーデビュー・ミニアルバム『THIS IS A HERO』をリリースしました。ASH DA HEROとして活動をスタートさせてからは、挑戦の連続だったように感じますが?
ASH:メジャー契約以降にソロアルバムを4枚(ミニアルバム『THIS IS A HERO』[2015年12月発表]、1stフルアルバム『THIS IS LIFE』[2016年6月発表]、2ndフルアルバム『A』[2017年5月発表]、3rdフルアルバム『New World Order』[2021年9月発表])をリリースしましたからね。

──それぞれの作品については当時、BARKSでインタビュー取材をさせていただいているので、詳細はそちらで確認できるとして、“ASH DA HERO”というプロジェクトの企画書には音楽的な方向性も記されていたんですか?
ASH:ASH DA HEROで表現したい音楽っていう意味では、どんなジャンルでも歌えることが自分の武器だと思っていたんです。これまでやってきたバンドも、それぞれ全然違ったタイプだったから。最初はパンクバンドで、次はハードコア、エモ、スクリーモ。日本語のポップロック、ラウドロック。
──たしかに多ジャンルですね。
ASH:どんな曲でも歌えるという気持ちがあったので、あらゆる意味でミクスチャーされた音楽を放っていくという感じでした。「曲のジャンル自体をASH DA HEROにしよう」ってことは当時、レフティとも話していたんですよ。あと、ロックミュージシャンとして時代の音楽に対して、カウンターとして反対のことをやっていこうってことは、常に心掛けて音楽を作っていましたね。
──スタイルを決めるのはやめようと?
ASH:インディーズ盤の『THIS IS ROCK AND ROLL』はバラエティに富んだ5曲を入れたし、次のメジャーデビュー・ミニアルバム『THIS IS A HERO』も収録された曲ごとにジャンルは違ったと思う。でも、時代のど真ん中にストライクも投げ入れたいなと思って、ポップスというものにチャレンジしたのが『A』という2ndアルバムで。それでも全部の曲でジャンルが違う側面があったという意味で、やっぱりソロのASH DA HEROは“なんでも歌える”ってところに軸足を置いていた感じです。


──自分の音楽表現を広げようとした結果ではなく、もともと幅広さを持っていたからいろんな曲調であったと。
ASH:ソロだったので、振り幅が大きければ大きいほど、いろいろな可能性が広がると思っていたんです。ただ、幅広いからなんでも歌えるし、何でも表現できる、ってことをやっていると、世間的な評価としては、「ASHがやりたい音楽はなんなの?」とか「軸がブレてる」とか、いろいろ言われました。そこは歌詞で表現しているんだけどなって、思っていたんですけど。
──順調に見えた活動の中で、葛藤期を迎えたわけですか。
ASH:アルバム『A』をリリースしたとき、「なにがしたいのか分からない」と言われ、なにをしたいのかを明確にしないと、世の中の人には分かってもらえないんだって気づかされたんですよね。そこで、自分がなにがしたいのか分からなくなってしまい、一切曲が書けなくなりました。
──絶望を抱えるようなターニングポイントのひとつだったわけですね。
ASH:すごく苦しかったです。どの曲も、どんなジャンルも、自分は全部好きだから。この中からジャンルを絞れと言われてもね。たとえば、子供がたくさん生まれたとして、「どの子が一番好きですか?」って言われても、どの子も愛しているわけですから、絞れないですよね。本当に楽曲って自分の子供みたいなものなので。受け入れてもらえないという事は、自分の存在はこの世界であまり必要とされてないのかな?と思っていました。何を書けばいいのか、何を歌えばいいのかがわからなくなりました。







