ニュース・最新情報

プロフィール・バイオグラフィ・リンク

非行少年的アティテュードとハイパーキッズのエナジー、そして切れのあるトーンとデジタルディレイの織り成す叙情感溢れる構成力を武器に、U2は、聖パトリックがアイルランドから追放したとされる蛇以来、アイルランドからの最も重要な輸出品目となった。彼らはまた、人の心がロックの限界を超越できると確信するカリスマ的予言者でもある。

'70年代にダブリンの高校の友人だったシンガーのBono、ギタリストのEdge、ドラマーのLarry Mullen, Jr.、それにベーシストのAdam Claytonは、McGuinnes Ale主催のバンド大会を勝ち抜き、Island Records社長のChris Blackwellを首尾よく味方に引き入れた。

“I Will Folow”等の高揚感溢れるメロディアスなアンセムで米国上陸を果たしたU2は、直ぐさまポストパンク現象を引き起こし、R.E.M.に相当する英国サイドのバンドと位置付けられた。プロデューサーSteve Lillywhiteが手掛けたエコー効果と反復して打ち鳴らされるベルのような音響効果が功を奏して『Boy』('80年)がヒット。一方『October』('81年)には、深まる苦悩、キリスト教に対するメンバーの葛藤、分断された祖国、それに、自分たちの目の前に迫るスターダムなどの問題が映し出されている。

こうした苦悩の発露は『War』('83年)で爆発。U2の面々は文字通りレコーディングエンジニアたちを出し抜いてまで“Sunday Bloody Sunday”や“New Years Day”の生々しく歪んだ響きと鋭い質感を強調した。『The Unforgettable Fire』('84年)や『The Joshua Tree』('87年)では、Warでの手法を踏襲しつつ、よりその幅が広げられた。これらのアルバムの広大でアンビエントな音の情景は、プロデューサーを務めたBrian EnoとDaniel Lanoisの助力により活性化されたものである。

スタジオ音源とライヴ音源を半分ずつ収録した『Rattle And Hum』('88年)で、ブルース的なアプローチを試した後、U2は、緊迫する内面を押し出すことを止め、その代わりに、うなるような音作りの冒険的作品『Achtung、Baby』('91年)や、マルチメディアによる速報を行なったZoo TVツアー、さらにはカオス状態のエナジーが氾濫する『Zooropa』('93年)などで、自らの魂が求めるものとショウビズとしてのU2の矛盾をさらけ出して見せた。Passengers名義でのBrian Enoとの共作『Original Soundtracks 1』('95年)は残念ながら見過ごされがちだが、このダークな作品は、心機一転を計らずに入られなかったメンバーがサウンドトラック形式で制作した気晴らしのようなものだった。ヴェガススタイルを決め込み、自らを嘲笑する感のある『Pop』('97年)には、“Discotheque”“Miami”など幾つかの突出した名作が収められている。ポップチューンの細やかな感情表現と緻密なテクノ調テクスチャーをマッチさせながら、より伝統的なロックソングに立ち戻った作品だ。

2000年にリリースした『All That You Can't Leave Behind』は7つのグラミー賞と1,050万枚のアルバ ムセールスを記録。113公演行われたエレヴェイション・ツアーは、史上3番目となる1億1,000万ドルの利益を上げた。

2004年、ボノはG8の会場やホワイト・ハウスで、アフリカでのエイズ問題についてロビー活動を行い、深刻化する世界の飢餓問題についてスピーチを行うなど、音楽界の枠を越えて活動を行う。

2005年には“ロックの殿堂”入りを果たす。

2009年に開催されたコンサート・ツアー“360 TOUR”では、技術的および音楽的功績の両面はもちろん、グロスでの興行収入が約7億3,614万ドル、観客層動員数が726万8,430人という歴史的な数字を達成する最大規模のコンサートを成し遂げた。

2014年、アルバム『Songs of Innocence』を全世界5億人以上のiTunes Store利用者に無料配信し、賛否両論を巻き起こす。

2015年には、初めて日本映画(『ソロモンの偽証』)に、主題歌「With or Without You」を提供した。

ライブ・コンサート・チケット

プレゼント