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最新沖縄サウンド特集2003~インタヴュー from STREET SOUNZ
2003.04.03 00:00
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メンバーは、ヴォーカルのShimo-Z(シモゼット)、ギターのKame-Rider(カメライダー)、ベースのHav-machine(ハブマシーン)、ドラムのZukejian(ズケジャン)の4人。
’97年、東京で沖縄出身3人が集まり「INDIAN-Hi」を結成。沖縄音階を取り入れたコアサウンドで注目される。’99年、『沖縄CORE PRIDE』『沖縄JUSTICE』『沖縄BEAT』という3枚連続アルバムを発売。’00年、現在のメンバーとなり、自主レーベルHigh Sigh Recordsを立ち上げ、初のUSツアー(東海岸)のために渡米。’01年、バンド名を「IN-Hi」に改名。’03年、アルバム『WE ARE THE CHAMPLOO』を引っさげ、ついにメジャーへと進出した!
※IN-Hiのアーティストページはこちら
――子供の頃に聴いていた音楽や影響を受けた音楽は?
ズケ: 最初にやってたのはピンクレディー。お姉ちゃんとかイトコがいっつも歌ってんの。マイク持って振り付けしながら。俺もやらされてた。兄ちゃんは物心ついてたから「やんないよ」って言ってた。
シモ: 俺はベストテンに最初に影響受けた。チェッカーズとかC-C-Bとか吉川晃司とかキョンキョンだった。ガッツリ見てました。
――楽器を手にしようと思ったキッカケは?
シモ: ブルーハーツを初めて聴いた時から。
ズケ: 俺は小学校で吹奏楽部に入ってて、そこで初めてドラムを始めて、中学校時代は全然やってないんだけど、高校なってまたやりだして、どうせやるならバンドでやっていきたいなと思って。それなら東京でやってみたいと思った。
――東京行くキッカケになったのは?
シモ: 大学。なんとなく、どこでもよかったけど東京にやっぱ憧れがあった。「行ってみたい!」と。 ズケ: 私立で進学率の高い高校だったから、これで大学行かんで「東京に音楽しに行きます」って言っても絶対許してもらえるわけないし、とりあえず東京の大学に行こうかなーと思って。着実に計画を企てるが、大学の軽音サークルとか入って、現実を目の当たりにして。「誰も遊びじゃん」みたいな。そんな時にINDIAN-Hi(結成時のバンド名)の話があって、「じゃとりあえずやってみるか、何もやらないよりはコレやってみるか」みたいな感じで。
――そうしてINDIAN-Hiが最初の3人で始まったわけね。どこで?
シモ: 東京で。
ズケ: 沖縄居酒屋の抱瓶(だちびん)で始まった(笑)。
――マジで? 飲みの勢いで? もともとラモーンズとかやってたけど、沖縄の音階とか言葉とか入れようと思ったのはいつ頃?
シモ: ライブハウスでガンガンやってて1年くらいしてからかな。あんまり特色がなかったから、やっぱりIN-Hiにしか出せない音って何かなと考えたら、沖縄民謡みたいなのをちょっとあって。沖縄でずっと活動してたら、民謡とかあんまりカッコイイというイメージないから、入れようとは思わなかったと思うのね。東京でやってると、沖縄の民謡や言葉がすごく胸に染みたのよ。だから東京で活動してたからこそ沖縄と融合しよう、みたいなアイディアが出てきた。
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