センセーショナリズムよりも音楽そのものをアピールするDrowned World Tour

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センセーショナリズムよりも音楽そのものをアピールするDrowned World Tour
 

彼女はダンスするのと同じくらい、ギターの腕前を披露するのだ

最新シングル

What It Feels Like For A Girl
Wea Japan WPCR-10906
2001年5月23日発売 1,680(tax in)

1 What It Feels Like For A Girl
(Paul Oakenforld Perfecto Remix)
2 What It Feels Like For A Girl
(Richard Vission Velvet Masta Mix)
3 What It Feels Like For A Girl
(Calderone & Quayle Dark Side Mix)
4 What It Feels Like For A Girl
(Tracy Young Club Mix)
5 What It Feels Like For A Girl
(Above & Beyond 12"Club Mix)
6 What It Feels Like For A Gir
l(Tracy Young Cool Out Radio Mix)
7 What It Feels Like For A Girl
(Richard Vission Velvet Masta Edit)
8 What It Feels Like For A Girl
(Above & Beyond Club Radio Edit)
9 Lo Que Siente La Mujer
(What It Feels Like For A Girl)


Drowned Worldツアーが北米上陸を果たした7月21日土曜日、フィラデルフィア州のFirst Union Centerを埋め尽くした観客たちに向かってMadonnaは、「女性でいるということは一体どんな気分なのか」について余すところなく語ってみせた。ただし、スペイン語で(“La Que Siente La Mujer”――記憶に留めている方もいるだろう)。

21曲、105分から成る難解なDrowned Worldショウ。Madonnaはあくまでも独自のやり方で自分を表現する。断わっておくが、前回のツアーとは趣向が違っていた、というのではない。“Material Girl”が今やmature girl、つまり成熟した女の子、いや、女性になったということなのだ。スポットライトの当たる場所を、その旺盛なサービス精神ゆえに生じた過去の刺激的な言動から、音楽そのものへ少しでもシフトさせたいと明確に願う女性へと変化したのである。その音楽こそ、本人いわく、本当に人々を惹き付けているのだと。

そんなわけで、8月26日にHBOで生中継されるデトロイト郊外でのコンサートをはじめ、北米12都市で29日間にわたって行なわれるMadonnaのDrowned Worldツアーには、コーン型のブラも、長々と繰り広げられるマスターベーションのシミュレーションもない。おまけに彼女はダンスするのとほぼ同じくらい、自分のギターの腕前を披露しているのだ。全盛期だった'80年代に関して言えば、――いや本当に遠い昔のことだが――その頃のヴィンテージものの中で今回採用されたのは、“Holiday”と、アンプラグドヴァージョンに素敵に変身した“La Isla Bonita”の2曲のみである。Madonnaとその一座――6人編成のバンドと9人のダンサーたち――はごく新しい過去、特に'98年の『Ray Of Light』と昨年の『Music』という最新のアルバム2作に終始焦点を合わせていた。

このショウに250ドルもの大金を払った人たちが、“Like A Virgin”や“Material Girl”“Vogue”といった曲を入れるべきだったと議論するのは、確かにもっともなことではある。実際、終了後もこの点については観客たちの間からたくさんの不満が聞かれた。が、Drowned Worldツアーがあらゆるレベルにおいて大胆かつ魅惑的であり、細部に至るまでリッチな豪華絢爛ヴィジュアル・ミュージカル・ショウであることは否定できない。そして、おそらく彼女のキャリアでは初めて、ただ純粋に楽曲を引き立てるためだけにタイトな振り付けが施されていることも。それはまさに「私の音楽を演劇的にプレゼンテーションしたもの」であり、「武術、フラメンコ、カントリー&ウエスタン、パンク、ロックンロール、舞踏、そしてサーカス」の影響を取り入れたというMadonna自身の言葉そのままのステージなのである。

ショウを構成する4つのセクションは、彼女のコスチュームに合わせてそれぞれタイトル――ロックンロール・パンクガール、芸者ガール、サイバー・カウガール、スパニッシュガール/ゲットーガール――が付けられ、サイバー・カウガールが機械の牛に乗って歌う“Human Nature”や、ロックンロール調のMadonnaが嬉々とした表情で即興的に歌う“Beautiful Stranger”“Ray Of Light”など、それぞれに違ったハイライトが用意されていた。だが、最も強烈なインパクトを与えたのは、芸者ガール・セクションの5曲だろう。ほとんど全裸のダンサーたちが垂木に逆さ吊りにされたり、26フィートもの長さの着物の袖が登場したり、映画『Crouching Tiger, Hidden Dragon/グリーン・デスティニー』のファイティング・シーンさながらにケーブルで吊られたMadonnaがステージ上を飛び回ったり。また、この夜最も物騒な雰囲気を醸し出したのもこのセクションで、エンディングではあざを作り血を流した芸者姿のMadonnaがビデオスクリーンに映し出される中、リアルでヴァイオレントで気味の悪い日本のアニメーション作品が流れ、レイプシーンでクライマックスを迎えたのち、ショウを次の幕へと導いていった。

だが、Madonnaの今までのキャリアを考えると、こうしたことは必ずしも衝撃的とは言えない。全体的に見れば、センセーションよりも楽曲を重視したと言えるし、ブルジョアジーと反逆が“Music”――ちなみに、きらきら光る銀色のキャンディが舞い降りる中、ショウはこの曲で幕を閉じた――すなわち音楽によって一体となった夜だった。権力に対する反抗と徹底的な再構築。それはおそらく、2人の子の母となった新婚のMadonnaが、タブーを破る啓発的偶像としてではなく、ミュージシャンとして新しいミレニアムにふさわしいと考えたものだろう。そしてDrowned Worldショウは、まさにその路線が成功であることを物語っている。

By Gary Graff/LAUNCH.com

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