私は今、お腹がいっぱいだ。ランチにサラダと小海老のパスタを食べた後、デザートとコーヒーまで堪能した。食材が腹のリミットぎりぎりで詰め込まれ、苦しいほど。そして間もなく襲ってくる怠惰な脱力感と満足感。お腹いっぱいだ。そして、私は感じた。……こんなプチ幸せな状況とは、まったく別なところにあるのが、ミッシェル・ガン・エレファント(以下ミッシェル)の音楽なんだな、と。
5/23(水)。
この日、ミッシェルのフリーライヴがシークレットで行なわれた。同時に彼らのアルバム『ロデオ・タンデム・ビート・スペクター』の発売日でもある。この日のライヴのタイトルは<TMGE YOYOGI RIOT! 2001523>。
シークレットというだけあって、ライヴ当日の0:00amまで開催場所は明かさず、すべての情報はミッシェルのオフィシャルHPを皮切りに告知されることになった。
ミッシェルは決して大きな会場ではライヴをしない。ライヴハウスを基本に廻る。東京ですら、赤坂BLITZクラス(約2000人)で留めている。実際、’99年1月横浜アリーナで、オールスタンディングでライヴを行なったり、昨2000年のFUJI ROCK FESTIVALのメインステージであるWHITE STAGEで、2日目トリをとったことがあるが、あくまでも観客との距離を重要視しているようだ。
そんな彼らが選び、告知した場所が、国立代々木競技場オリンピックプラザ。そしてこの日は朝からの雨。一体どうなるのか…。そんな思いで会場に向かった。
開演予定時刻17:30より10分前に会場入り口に着いたのだが、その入り口から実際の会場までは、バカでかい代々木第1体育館とフェンスに挟まれた道を歩いてかなくてはならない。ほんの100mくらいなのだろうが、その道のあらゆるところに傘、傘、傘、傘、傘、傘、傘、傘……。ほとんどが500円もしないようなビニール傘だが、それがずらっとどこまでも、そしてあらゆるところに、掛けられている。この傘を数えただけでも(数える気はしないが!)かなりの数。それ以上の人間がすでに会場入りしている、ということか。
そして、道が終わるとパーッと視界が広がり、ただただ広い、コンクリートで整備されたオリンピックプラザが目の前に広がる。そこの奥深くに設営されたステージ。
写真にもあるように<TMGE YOYOGI RIOT! 2001523>と書かれた大きな垂れ幕がステージ奥にかかっている。
一面に広がった会場はとても気持ちがいい。一気に野外のステージに来た!という気分だ。この空間は、代々木公園やNHKホールの大木の緑に囲まれて、設営ステージ越しにも緑豊かな風景が見られる。なんだか、都会のど真ん中とは思えない。だけれども、ミッシェルがここでライヴをやるという現実。思わず鳥肌が立つのは、雨降る寒さのせいだけじゃない。
同行したスタッフが「垂れ幕の“RIOT! ”の部分がボケてみえるのは、僕のメガネが曇ってるからじゃないッスよね!!」なんて言っている。彼もちょっと興奮気味だ(“RIOT! ”の部分はワザとぼかしたロゴになっていた)。
そして、人がすでにひしめき合っている。それでもまだまだやってくる人、人、人。開演予定時間を過ぎても、人が途切れない。そんな感じだから、当然、敷地内は傘をさすことは禁止だ。ステージにも屋根がない。
17:55頃、ドラムセットに被されていた布が取られる。いよいよか……!というところで、4人が登場。
重低音のベース音がズッシリと響いて始まる未発表曲「サンダー・バード・ヒルズ」からスタート。重くて暗い雰囲気のベース音を基調に奏でられるミッシェル・サウンドだ。
そして、そのブレイクごとに<俺はお前たちの未来が好きだ><俺は今の俺が好きだ>と片言ずつ発せられる歌詞。普通に素で言われたら、たまらなくくすぐったい言葉だけれど、ミッシェルのサウンドに乗って叫びとなって出てくる感情は、チバユウスケじゃないと出来ないワザだ。
じわりと、そしてクールに始められたステージ。1曲目が終わると、ライヴは一時中断、ステージ前方が混乱をきわめたようだ。だが、すぐに2曲目「シトロエンの孤独」を演奏。ここからは一気に加速度がアップする。そして「アリゲーター・ナイト」、「暴かれた世界」。やはり先行シングルとなった「暴かれた~」で早くもひとつのピークが訪れていて、野外でコンクリートで固められた会場にもかかわらず、床が揺れているのが分かる。続いて「ゴット・ジャズ・タイム」は、演奏のスピード感と、<ねえBabyここは宇宙のド真ん中さ>といった歌詞の内容のスウィートさのギャップがたまらなく色気を感じさせるミッシェルたち。
ここらへんから、メンバーも相当、雨で濡れてきて、チバユウスケのオールバックのはずの前髪が、下りてきている。が、なぜか音のほうはかなり調子がよく、強烈に響いてくる。<星屑のひとつはきっとこんな感じ!>と叫んで始まった「ベイビー・スターダスト」あたりからの後半は、会場全体がミッシェル・サウンドに麻痺させられてるというか、どっぷりと漬け込まれた感覚に陥る。ウエノコウジ(B)も狂ったように踊るシーンが見られ、アベフトシ(G)が刻み込むリフは、このアルバムのカッコよさを端的に語っているようだ。本編最後には、真っ赤なライトをバックに「赤毛のケリー」を披露、チバが「サンキュー」と投げかけ、本編終了。
アンコールは「スモーキン・ビリー」(’99.11発売)のカップリング曲である「ジェニー」を披露。ライヴでもお馴染みの曲で、最後ヒートアップした中、笑顔をなかなか見せないメンバーたちの顔は緩み、ライトの連射も相まって、雨をはじけ飛ばしているかのようだった。
<ジェニー ジェニー どこにいる 嵐でみえやしねぇ>という歌詞だが、こちとら、観客が巻き上げる熱気の湯気で、ステージが見えない。この1曲をさっと演奏し、さっと舞台を下りるメンバーの姿に、熱い演奏だったのと同時に、清々しさを感じたライヴだった。
そして、後日、この日集まった観客はなんと約20,000人と発表される。
お分かりかもしれないが、この日のセットリストは、1曲目の未発表曲とアンコール曲を抜かして、アルバム『ロデオ・タンデム・ビート・スペクター』の曲順でそのまま演奏された(但しインスト・ナンバーを除く)。決してこのアルバムはコンセプトアルバム、などといった大仰なものじゃないはず。ただカッコいいものを集めた、という純粋なテーマだからこそが、そのまま“アルバムの曲順=ライヴの曲順”に早変わりする……そんなアルバムなのだ。
ミッシェルの奏でる音は、いつもお腹を空かせていて、そして何かを欲して焦燥感に駆られている。何か掴めると思って、アクセルいっぱい踏みこんで追いかけてみるけど、掴み取れなくて……。その“焦燥感”が4人のサウンドとなって表現され、その“突っ走り続ける現実”がチバユウスケの叫ぶ歌声で受けとめるしかない、という。
だからはっきりとした、端的な歌詞じゃなくても、そこから救われなくても、彼らの進んでいる方向が明確、というか。突っ走ってはいるんだけれど、今、ここに居る自分だけが確かだ、というか。
その焦燥感のやり場に戸惑い、爆発しそうなアルバムが『ロデオ・タンデム・ビート・スペクター』なんだと思う。そして、答えが出なくても、焦燥感に潰されそうになっても、ここまでカッコいいのは……なんなんだろう?
現実を冷静に受け止めつつも、心のなかで、いつももがいていて、俺は今ここにいるんだ、と明確に叫んでいるところなんだろう、いつでも、真剣に。
――そこに居る現実、満たされない過去。しかし、フルスロットで向かう現在――それが“ROCK”とするならば、ミッシェルの“ROCK”の純度は今もって100%である。
時間にも場所にも環境にも左右されないミッシェルのその純度こそ、私たちをひきつけるのだろう。
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