プリンス、43歳に!
この世代で最も才能と人気のあるミュージシャンのひとり、Prince(本名Prince Rogers Nelson)が6月7日(木)、43歳の誕生日を迎えた。
Princeはミネソタ州ミネアポリス生まれ。10代のときすでに複数の楽器を弾きこなした。いくつか地元のバンドでプレイした後、メジャーレーベル同士の熾烈な闘いに勝ったWarner Bros.と初のレコード契約を結ぶ。'78年にデビューアルバム『For You』を発表。1stシングル“Soft And Wet”を発売するがスマッシュヒットとはならず、それから1年後の'79年、セルフタイトルのアルバムからの曲、“I Wanna Be Your Lover”で初めてトップ40入りを果たす。
Princeは'82年になるまで目立ったチャートの動きはなかったが、その年、彼と彼のバンド、Revolutionがリリースしたアルバム『1999』は“Little Red Corvette”“Delirious”のトップ10ヒット2曲を生み出した。また、タイトル曲の“1999”も12位を獲得。その後、Princeは彼の半生を描いた自叙伝的映画『Purple Rain』をリリース、同名のサウンドトラックはスマッシュヒットとなり、MTVと新メディアのビデオによってPrinceの名は茶の間にも広まった。初のNo.1ヒット“When Doves Cry”と“Let's Go Crazy”(同じく1位を獲得)、“Purple Rain”(2位)のビデオは時を同じくして何度もビデオチャンネルで放映され、映画は商業的な大成功を収めた。
『Purple Rain』からの脱却を計ったPrinceは、'85年にサイケデリック色の強い『Around The World In A Day』を発表、ヒットシングル“Raspberry Beret”“Pop Life”を生み出している。彼は音楽的成功をより深く追求するためにPaisley Parkスタジオとレーベルを設立、思い通りの音楽を自ら作ることができるようになる。その間、2作目の映画『Under The Cherry Moon』の制作に取りかかり、サウンドトラック『Parade』をリリース。シングル“Kiss”で3度目の全米No.1を獲得。“Kiss”がチャートトップとなった同じ週に、彼がChristopherというペンネームを使って書いた曲、Banglesの“Manic Monday”が2位となった。
Princeはさらに'80年代終わりに『Sign O' The Times』と『Lovesexy』の2枚のアルバムも出している。また、'89年の映画『Batman』のサウンドトラックからはNo.1ヒット“Batdance”が生まれた。'90年春、アイリッシュシンガーのSinead O'ConnorがPrinceの“Nothing Compares 2 U”を歌い、英米のチャートでトップを獲得。同時期にPrinceは3作目の映画『Graffiti Bridge』をリリース。また、新たなバンド、New Power Generationを結成し『Diamonds And Pearls』を発売、シングル“Cream”が1位となった。'92年、Symbol(男女を示すシンボルを合わせた形で、Princeはのちに名前としてそれを採用した)のアルバムリリースを境に、PrinceはWarner Bros.への不満を表し始め、抗議のために顔に「奴隷」と書いて公に姿を現したこともあった。
'95年10月にはPrinceという名を捨て、全面的にシンボルを採用、人々は彼のことをthe Artist(formerly known as Prince)と呼び、それが後にArtistとなった。'95年、『Gold Experience』を発表、当時の彼の新妻、Mayte Garciaからインスピレーションを得て作ったシングル“The Most Beautiful Girl In The World”は数年間で最高の売り上げを記録した。
'96年、Warner Bros.との契約から解放されたArtistは『Emancipation』をリリース。その後、新プロジェクトとして始めた'98年の5枚組CDコレクション『Crystal Ball』はインターネットで発売された。彼はメージャーレーベルからリリースするのと変わりなくオンラインセールスでも稼げると発言。2000年5月16日、数年連れ添ったArtistという名をやめ、元の名前のPrinceに戻る。Princeはその時、もうこれ以上名前は変えないとLAUNCHに語った。
「変えないよ。変える必要もないね。契約によって長期間、制限されるなんてことも2度とないだろうから」
PrinceはPaisley Parkの敷地を1週間ほど一般に開放して誕生日を祝う。Prince - A Celebration: The Rainbow Childrenというタイトルが付けられた祝典は6月11日から始まる予定。
Bruce Simon and Chad Dougatz, New York LAUNCH.com
Princeはミネソタ州ミネアポリス生まれ。10代のときすでに複数の楽器を弾きこなした。いくつか地元のバンドでプレイした後、メジャーレーベル同士の熾烈な闘いに勝ったWarner Bros.と初のレコード契約を結ぶ。'78年にデビューアルバム『For You』を発表。1stシングル“Soft And Wet”を発売するがスマッシュヒットとはならず、それから1年後の'79年、セルフタイトルのアルバムからの曲、“I Wanna Be Your Lover”で初めてトップ40入りを果たす。
Princeは'82年になるまで目立ったチャートの動きはなかったが、その年、彼と彼のバンド、Revolutionがリリースしたアルバム『1999』は“Little Red Corvette”“Delirious”のトップ10ヒット2曲を生み出した。また、タイトル曲の“1999”も12位を獲得。その後、Princeは彼の半生を描いた自叙伝的映画『Purple Rain』をリリース、同名のサウンドトラックはスマッシュヒットとなり、MTVと新メディアのビデオによってPrinceの名は茶の間にも広まった。初のNo.1ヒット“When Doves Cry”と“Let's Go Crazy”(同じく1位を獲得)、“Purple Rain”(2位)のビデオは時を同じくして何度もビデオチャンネルで放映され、映画は商業的な大成功を収めた。
『Purple Rain』からの脱却を計ったPrinceは、'85年にサイケデリック色の強い『Around The World In A Day』を発表、ヒットシングル“Raspberry Beret”“Pop Life”を生み出している。彼は音楽的成功をより深く追求するためにPaisley Parkスタジオとレーベルを設立、思い通りの音楽を自ら作ることができるようになる。その間、2作目の映画『Under The Cherry Moon』の制作に取りかかり、サウンドトラック『Parade』をリリース。シングル“Kiss”で3度目の全米No.1を獲得。“Kiss”がチャートトップとなった同じ週に、彼がChristopherというペンネームを使って書いた曲、Banglesの“Manic Monday”が2位となった。
Princeはさらに'80年代終わりに『Sign O' The Times』と『Lovesexy』の2枚のアルバムも出している。また、'89年の映画『Batman』のサウンドトラックからはNo.1ヒット“Batdance”が生まれた。'90年春、アイリッシュシンガーのSinead O'ConnorがPrinceの“Nothing Compares 2 U”を歌い、英米のチャートでトップを獲得。同時期にPrinceは3作目の映画『Graffiti Bridge』をリリース。また、新たなバンド、New Power Generationを結成し『Diamonds And Pearls』を発売、シングル“Cream”が1位となった。'92年、Symbol(男女を示すシンボルを合わせた形で、Princeはのちに名前としてそれを採用した)のアルバムリリースを境に、PrinceはWarner Bros.への不満を表し始め、抗議のために顔に「奴隷」と書いて公に姿を現したこともあった。
'95年10月にはPrinceという名を捨て、全面的にシンボルを採用、人々は彼のことをthe Artist(formerly known as Prince)と呼び、それが後にArtistとなった。'95年、『Gold Experience』を発表、当時の彼の新妻、Mayte Garciaからインスピレーションを得て作ったシングル“The Most Beautiful Girl In The World”は数年間で最高の売り上げを記録した。
'96年、Warner Bros.との契約から解放されたArtistは『Emancipation』をリリース。その後、新プロジェクトとして始めた'98年の5枚組CDコレクション『Crystal Ball』はインターネットで発売された。彼はメージャーレーベルからリリースするのと変わりなくオンラインセールスでも稼げると発言。2000年5月16日、数年連れ添ったArtistという名をやめ、元の名前のPrinceに戻る。Princeはその時、もうこれ以上名前は変えないとLAUNCHに語った。
「変えないよ。変える必要もないね。契約によって長期間、制限されるなんてことも2度とないだろうから」
PrinceはPaisley Parkの敷地を1週間ほど一般に開放して誕生日を祝う。Prince - A Celebration: The Rainbow Childrenというタイトルが付けられた祝典は6月11日から始まる予定。
Bruce Simon and Chad Dougatz, New York LAUNCH.com
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