大胆に違いを打ち出すことが、苦しい試練につながることもあるのだ。'97年のデビュー作『Baduizm』で彗星のように登場したErykah Baduは、その成功を維持するプレッシャーに苦しんだだけでなく、彼女に続こうとした同じような才能を持つ、一群の女性R&Bシンガーとの競争にさらされることになった。3年ぶりのコンサートツアーでニューヨークのラジオシティ・ミュージックホールに出演したとき、そうした問題が彼女はもちろん、ファンの心にも大きくのしかかっていたのは確かだろう。このような大きな期待のために会場の空気はさらに緊迫したものとなり、満杯の観客はMs. Baduがカラフルなバッグから取り出してみせる新しい手品のタネを見ようと、かたずを飲んで待ち望んでいたのだった。 その夜の会場にも数多くいたと思われる、Baduのパフォーマンスをすでに経験済みの聴衆にとって、ショウのオープニングはお馴染みのものだった。天使のように白で揃えた衣装(彼女のトレードマークであるヘッドラップも含めて)に身を包んだBaduは、お茶をすすり、キャンドルに火を灯し、バンドの演奏に合わせてスキャットして、「Otherside Of The Game」と「Time's A Wastin」(プラチナセラーの最新作『Mama's Gun』から)をバターのようになめらかにスタートさせたのである。 しかし、ロックンロール風の3曲目「Penitentiary Philosophy」になると、今回のショウが前とは違ったものになることが明らかになった。この曲は、これまで熱心なBaduのファンにも見せたことのなかった、彼女のよりアグレッシヴな側面をあらわにしていたからである。心地良い驚きを感じたオーディエンスは、さらにニューシングルであるスモーキーなミッドテンポ・ナンバー「Didn't Cha Know」の彼女の歌唱によって、突如として完全なる驚嘆へと導かれ、曲の途中でも聞こえるほどの大きな歓声を上げた。 Baduは観客に感謝の言葉を述べるとともに、(おそらくは)ちょっとしたストレスを解放した。「他人があれこれ思うことをブッちぎれるくらいのレベルになってればいいんだけど」と彼女は宣言したのである。これは明らかに彼女の本心から出たコメントであろう。「My Life」と「On & On」を力強く決めてから、彼女はまるで花道のモデルのようにステージを駆け回り、ヘッドドレスを外してきれいに剃り上げた頭をさらけ出した。こうした挑戦的なアクションで驚かせ、「Cleva」や「Kiss Me On My Neck」をジャジーなスウィングで聴かせることで、彼女は会場のムードを成層圏にまで舞い上げたのである。特に「Cleva」は半自伝的な作品で、歌詞の一部は次のようなものだ。「ブラなしじゃあたしのオッパイは垂れ下がるけど/髪の毛は肩まで下がったことはない/伸びないのかもしれない/わかんないけど/でもライムをやらせりゃあたしは天才」 新たに得た自信と力強さを誇示するBaduは、気後れすることなくアコースティックギターを掻き鳴らし、胸を打つ「A.D.2000」ではバレエのようなダンスの振り付けを披露、精霊なる父と子に捧げた「Orange Moon」で星を背景に歌い、男性バッシング賛歌「Tyrone」のロングヴァージョンでは道化を演じて見せた。彼女がステージを去ったとき、スターとの間に確立した絆を手放す覚悟ができていなかったオーディエンスは、彼女が戻ってくるまでヒステリックな歓声を上げ続けた。Baduはアンコールに応えて、ブルージーな「Green Eyes」とグラミー賞2部門でノミネートされたシングル「Bag Lady」を歌った。 これほど様々なアフリカン・アメリカンの音楽スタイル(ゴスペル、ブルーズ、ジャズ、ソウル、R&B、ヒップホップ)を融合させているパフォーマーは、Erykah Baduをおいて他にいない。そう確信した2時間あまりのステージだった。 |