Mr.Wrongの快進撃
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コックニーの押韻スラングをご存じだろうか。 19世紀の初めにイーストロンドンで生まれた隠語で、韻を踏む別の言葉群で、もとの言葉を言い換えるものだ。たとえば“stairs”は“apples & pears”、“phone”は“dog & bone”、“wanker”は“merchant banker”となる。ことさら粋な話者は、冒頭の韻を踏まないほうの単語だけを使う。「あいつは完全なmerchantだ」というふうに。 音楽界の大立者で、たぐい稀なDJ、Pete Tongと何の関係があるのかって? 彼の名は、ブリティッシュダンスミュージックの世界にすっかり定着しているばかりか、Penguin社の英語辞書ではコックニースラングの代表格として公式に紹介されてもいるのである。いわく、物事がうまくいかないことを“going wrong”というが、コックニーではこれを“going Pete Tong”という…。 しかし、Pete本人に関していえば、うまくいかないどころか、このところ万事順調に運んでいる。 '88年にFFRRレーベルを設立して以来、彼はBrand New Heavies、Orbital、Goldieといったダンス/エレクトロニックの大物バンドに手を貸し、アメリカでブレイクさせてきた。 その彼による最新リリースが、自信作『Essential Selection Vol.One』だ。“ダンスミュージックのエッセンシャルガイド”と謳われる『Essential Selection』シリーズは、Tongが10年近く前からBBCのRadio 1で担当している同名の超人気番組から生まれた。DJ界の巨人Fatboy Slim(ダンスフロアをビッグビート浸けにする)とテクノ界の偶像Paul Oakenfold(継ぎ目なく繰り出されるトランスコレクションの提供者)が舵を取る、しゃれた2枚組ミックスCDである。 Tongの説明によれば、彼がRadio 1でこれほどまでに人気を博したのは、BBCが「15~24歳のコアな聴取者にアンケートをとった結果、イギリスのキッズのあいだにクラブカルチャーが深く浸透していることにいちはやく気付いた」のが一因だという。 アメリカでは事情が違ったが、Tongはその理由をこう理論づける。 「僕の考えでは、'90年代中盤のアメリカは、ProdigyやOrbital、Chemical Brothers、それにUtah Saintsまでを“イギリスのエキサイティングな音楽”と見なして、それを享受した。それはいいんだけど、まずかったのは──大成功したProdigyは別として──アメリカがこういうバンドをロックスターみたいに扱い、ツアーをはじめ“ロックバンド並み”の活動をさせたことだ。だけどレコード会社は儲からなかった。それでやっと、これはまだアンダーグラウンドの域を出ていない、Puff DaddyやBritney Spearsクラスのセールスは望めない、ということがわかったんだと思う」 しかしTongは、そういった状況も変化してきたと考えている。 「アメリカはようやくクラブカルチャーというものを理解しはじめた。レコード会社のレベルじゃなく、ストリートレベルでね。ダンスミュージックとクラブは切っても切れない関係にある。今ではアメリカにも、イギリスのトップDJが出演できるような、すごく健全なクラブネットワークができてきた。アメリカのクラブシーンの発展ぶりは、ヘタするとイギリスを負かしそうな勢いだよ」 が、相変わらずアメリカのレコード各社の社長からは、Tongが本国イギリスでやっているように、全国網のラジオを手がかりにするというアイデアは出てこない。 「そうだね」とTong。 「僕にしたって、あのころだからできたことで、今だったらできなかったかもしれないな。でも、レコードを聞けばわかると思うけど、僕は立場を利用してるわけじゃない。だから今でも受け入れてもらえるんだ。職権を濫用して自分のレーベルからクソったれなレコードなんか出したら、すぐにそっぽを向かれちまう」 さらにTongは、マスコミは彼の影響力を誇張していると謙遜する。 「もし僕がイギリスのダンスマーケットで、世間が言うような権勢をふるっていたら、ProdigyもChemical Brothersも、LeftfieldもRoni Sizeも、みんなうちに引っぱってるよ」 それでも、10年以上にわたって、めまぐるしく移り変わるクラブの世界に少なからぬ影響を与えつづけ、物事を“going Pete”に陥らせないTongは、やはりたいした男なのだ。 by Dev Sherlock |