ソウルジャズのスタンレー・タレンタイン逝去、享年66歳

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ソウルジャズの巨匠、Stanley Turrentineが9月11日(月)に脳溢血を起こし緊急入院、翌12日にニューヨークの病院で死亡した。享年66歳。

Turrentineは、'34年4月5日ピッツバーグ生まれ。音楽一家のもとで育ち、ピアニストだった母親について、かつて「母からブルースの感覚を学んだ。母のアップライトピアノを譜面なしで弾きはじめたんだ」と話していた。近所には高名なジャズピアニスト、Ahmad Jamalが住んでおり、時おりTurrentine家を訪れてはStanleyの母にピアノを教えていたという。Turrentineは11歳で父親からサックスを習い始め、後にプロのサキソフォン奏者となった。

初ライヴは、トランペット奏者の兄Tommyと共に出演したピッツバーグのPerry Bar。17歳の時には、ブルースギタリスト/ヴォーカリストのLowell Fulson率いるR&Bバンドと共にツアーを行なう。そのときピアノを弾いていたのが、若き日のRay Charlesだった。'54年、John Coltraneの代わりにTurrentineがバンドメンバーとなり、サキソフォン奏者Earl Bosticがバンドリーダーを務める。'50年代半ばに兵役を終えたTurrentineは、ドラマーMax Roachのバンドに参加、'59年に最初のレコーディングを行なった。また、オルガン奏者のJimmy Smithともレコーディングしている。

'59年には、Turrentine自身が中心となってレコーディングを開始。翌年、ジャズレーベルの大手Blue Note Recordsと契約を交わす。'60年代を通じてオルガン奏者Shirley Scottと共に活動、彼女と結婚するが'70年代始めに離別した。その後、CTI Recordsへ移籍、数々のアルバムを生み出す。George Benson(ギター)、Ron Carter(ベース)、Freddie Hubbard(トランペット)、Lonnie Liston Smith(ピアノ)らと共に制作した『Sugar』は'70年の名作となっている。'74年にCTI Recordsを脱退し、Fantasy、Elektraなどいくつかのレーベルを転々とするが、'74年のヒットアルバム『Pieces Of Dreams』で大成功を収め、Billboard誌のジャズ・アルバム・オヴ・ザ・イヤーを獲得した。

'80年代には、Stevie Wonderをハーモニカ奏者として迎えた『Wonderland』('86年)がヒットしている。最新作は、キーボードのJoe SampleとトランペットのRick Braunが参加した『Do You Have Any Sugar』('99年)だった。

「みんな私のところへやって来て、『Pieces Of Dreams』と人生を共にしているとか、あなたのアルバムを聴いて大学の試験に受かったとか言う。わかるかい? ジャンルの問題じゃないんだ。音楽が創り出すさまざまな感情と人の心に残る思い出、それなんだよ、大切なのは」 - Stanley Turrentine

記:Lucy Tauss、ニューヨーク
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