【インタビュー】BRAHMAN、TOSHI-LOWが語る7年ぶりアルバム『viraha』と生と死と「歌にして乗り越えてきたんだと思う」

■すごいよね、30年目にして
■初めてデモを作ったって(笑)
──3曲目「春を待つ人」は、季節だけではなく、来ないけれど来てほしい人を待っている曲かと。
TOSHI-LOW:辛くても春があると待てるみたいな、春ってそういうことの象徴だよね。明けの春って言葉もあるし。明ける春を見られなかった人がたくさんいたし、そういう経験をしたから。自分がせっかくこの激動する時代に生まれたのなら、思ったことにしっかりと気づいておきたかったという曲ではあるよね。
──春を迎えられなかった人に対する思いというのは、しっかりと歌詞から伝わります。
TOSHI-LOW:病院の窓から何かを眺めてた人たち…出たかっただろうな、見たかっただろうなと思うし、それが叶わなかった人たち…といっても“人たち”ではなくて、たった一人に書いてるんだけどね。
──TOSHI-LOWさん、誰かに向けて曲を書くこともあるんですね。
TOSHI-LOW:焦点は当てるかな、一人に。なぜかというと、たった一人に焦点を当てると、そこから派生していくんだよ。自分の視点、その人の視点、その人が思ってる違う人の視点、そこで詞を固めていくというかね。頭の中は物語みたいな形で、その人のセリフもあったり、俺のセリフもあったり、状況説明もある…みたいに考えてもらうと、書いた歌詞って、1行1行とか1番2番とかで同じ言葉を使ってても違うものになっていく、という含みが出てくる。結果、何層にもなるから、“これって、私のことなのかもしれない”と思う人もいる。詞はそういうものであってほしいんだよね。だから、「この詞は誰のことを書いたものなんですか?」って質問されたとしても、そもそもそういうことではないんだよ。限定したものじゃないものにするために、限定したものを書く。それってつまり、たった一人を書いてる。みんなにわかるものなんて、みんなにはわかんないから。

──情景と感情が重なることで、さらに感情を喚起する素晴らしい歌詞ですが、これは詞のイメージがあって曲が生まれたんですか? それとも曲があって詞ができていったんでしょうか。
TOSHI-LOW:「春を待つ人」に関しては、toeがコロナ禍にライヴハウス支援プロジェクト(MUSIC UNITES AGAINST COVID-19)をやったんだよ。いろんなアーティストが1曲ずつデモを提供して配信リリースするというもので。「BRAHMANにもお願いしたい」と言われてね。俺たち、いつもデモは作らないんだけど、その時は、そのプロジェクト用にデモをレコーディングしたんだよ。サビとその歌詞だけずっと頭にあったというか、自分のスマホに入ってるフレーズみたいなのがあって、それをその時に取り出して作った曲。2020年くらいの話かな。
──それを今回、完成形に持っていったわけですね。
TOSHI-LOW:ヴァージョンはその時からだいぶ変わってるけどね。“100年”という言葉をキーワードにした曲を作りたいと思っていたんだよ。そうしたら奇しくもコロナは、“100年に一回の疫病”だっていうことで。“俺たち100年生きてるんだな。そうか、悲しいことばかりじゃないんだな”って。
──BRAHMANは普段、デモとか作らないんですね。
TOSHI-LOW:作らなかった。でも今回は作ったんだよ、俺がパソコン覚えて。今までは、なんとなくコードを口で言ったり、リズムを伝えたりして、みんなでゴチャゴチャやって。だからこその面白さもあるんだよ、自分が思ってる方向に行かないから。完璧主義の人からすればゾッとする話なんだろうけど、俺は自分をそんなに信じてないんでね。違うゴールに行ってもいいかと思っちゃってるから。
──でも、そのやり方で30年近くやってきたわけですよね。
TOSHI-LOW:それがデモを作るとなると、頭にあるものを一回整理して人に伝えられるから、そういうやり方をしたかったんだよね。これまでみたいに集まって、「そうじゃない、そうじゃない」ってやってると、みんなも疲れちゃうから。頭の中にあるものを一回出した上で、それで「ダサいからやめよう」と言われたら、それはそれでいいし。だから、そういう技術を身につけたくて、コロナ禍にパソコンを習いに行くっていうところから始まって。デモを持っていくと、「ああ、こんな感じね」ってみんなの理解が早いし、そこにプラスαいろんなことしてくれるから。すごいよね、30年目にして初めてデモを作ったって(笑)。


──BRAHMANには、4人がガチでぶつかりながら、楽曲を作っているようなストイックなイメージがありますから、デモを作ってなかったと聞いても腑に落ちますけど。
TOSHI-LOW:ストイックなのかな? めちゃくちゃなイメージなんじゃないかな、一貫性がないというか。でもバンドだから、俺はそれでいいと思ってて。それに今、それぞれのパートとしてのみんなのエゴもなくなってきたから。若い頃だとどうしても、自分が前に出たかったり、“自分がこうしたい”と思うものにとらわれるんだけど、俺も含めてみんなに、そういうものがもうなくなったんだよね。バンドの曲のために、曲が良くなるんだったら、自分が弾かなくてもいいとか、俺も自分が歌わなくてもいいと思ってるから。その曲に対して、俺じゃなくていいんだったらね。そういう意識が今、みんな強い気がする。だから、みんなで作ったとしても、“俺が変えてやる”みたいなあざとさがない。若い頃は、そういうののせめぎ合いでゴチャゴチャしちゃうんだよ。もちろんそれがミラクルを生むこともあるし、“なんでこんな曲できちゃったんだろう”って考えられないような曲を生むこともあって、それも好きだけどね。
──今回は全曲デモ音源を作ったんですか?
TOSHI-LOW:半分ぐらいはみんなで作って、半分ぐらいは俺がデモを渡した。今後も全部デモを作るかといったらそうじゃないと思う。ただ、自分でできるというのは、自分の安心感になったんだよね。頭の中にあるものを聴かせられるのはラクだし。一方で、それを聴かせることで、そこにみんながとらわれちゃうのは嫌なんだよね。「デモはあくまで下地の点線みたいなものだから」って話はするけど、みんなミュージシャンで耳がいいから、聴いたものをなぞろうとしちゃう。「ハードコアだけど、柔らかい……って何?」みたいな言葉だけを手がかりにみんなで作っていくと、すごく面白いものができるんだよ。時間かかるけど。そういう方法はもちろんとっておきたい。
──2024年11月4日、横浜BUNTAIでの<六梵全書 Six full albums of all songs>は、過去6枚のアルバム全曲をライブ披露したものですが、それらのアルバム収録曲はデモを作るという制作過程はなかったわけで。前作までとは違う方向性というものも今回はあったのかなと?
TOSHI-LOW:いや、それはないよ。デモがあるとないとで、曲に大きな違いがあるかと言ったら、結局出てくるところは一緒だからね。その大元を言葉で伝えるのか、音で伝えるかという部分の問題だから。音で伝えても他のメンバーはもっと面白いものが出せると思ってるし。自分の頭の中にあるものを最初からもっとクリアに出してみたいっていう俺の欲求だと思うよ。結果、そこに劇的な変化があったかどうかはわからない…これ、他のメンバーに聞いてみてよ(笑)。
──ははは。今回の『viraha』は、BRAHMANというバンドの本質をもう一回確かめているみたいな印象があったんです。音の作りとか音の厚みみたいなところに。BRAHMANがBRAHMAN自身に「BRAHMANとはなんぞや」って問いかけてるみたいな。
TOSHI-LOW:俺ら自身は一つ前の『梵唄』で、それは終わっている気がしていて。もちろん問いかけ自体はずっと続いていくものだよね。バンドとは? 音楽とは? 生きるとは? 自分とは?…俺、生きることとは問いかけだと思っているから。答えを探すんではなくて、いかに問いかけが深くなっていくかだと思っている。だけど、今は少し質が変わってきて。問いかけることによって自分自身を客観視して、そこと社会を結びつけるっていうことは、もう前作で終わってるんだよ。だから、もうそこから抜けて、好きなことだけやりたいっていう。社会性を無視しているというか、“こうやったら俺たちだよね/俺たちじゃないよね”っていうことじゃなくて、“こんな面白いことがあるから、こういうふうにしようぜ”っていうのが、このアルバム。だからハードコアに対してはよりハードコアだし、ポップに対してはよりポップだしっていう方向に振り切ってる。自分たちとは?というよりも、自分たち自身を持った遊び、みたいな部分が大きいよね。
──自然に自分たちの色が出てくるみたいな?
TOSHI-LOW:30年頑張ったんで、いいんじゃないかな、そんなに考えなくても(笑)。さっきの若作りの話じゃないけど、自分たちから出てくるものだけで勝負しようよっていう。30年やれたんだとしたら、次はそういうものでいいと思うし、自分たちのやりたいように最後は終わっていきたい。
──再び全曲解説に戻りますが、4曲目の「charon」も、いなくなった人への思いのような曲です。“charon(カロン)”とはギリシャ神話に登場する人物で、“死者の魂を舟に乗せて黄泉の世界に運んだ”と。
TOSHI-LOW:宗教的なものに興味があるということではなくて、黄泉の国みたいな話は日本以外の世界にもあるんだよ。アジアだろうがヨーロッパだろうが北欧だろうが、現世とあの世を隔てるものは全部同じで、川なんだよ。日本もそうだよね、三途の川を渡る。これ、どういうことなのかなと思って、昔のゾロアスターとかも調べたんだけど、やっぱり川以外のものって見当たらない。で、死者の魂を舟に乗せて黄泉の世界に運ぶギリシャ神話の登場人物として“charon”がいて。昔は土葬だったと思うんだけど、枕の下に銀塊(ぎんかい)を入れたらしくて、つまり船賃だよね。そうすると船の先のほうに乗せてもらえるんだけど、先のほうに乗ってる人って天国に行ける人なんだよ。そういう話は日本にも六文銭があるけど、死者に対するそういう気持ちみたいなものにグッとくるんだよね。俺たちより先に行った人たちを舟に乗せてもらえるなら、先のほうに乗せてくださいって思うからさ。で、神様とか地獄とか、そういう話は本当にいっぱいあるんだけど、charonだけは人間ぽいんだよ、妖怪とかじゃなくて。金をもらうし、仕事っぽいし(笑)。
──余談ですけど、「charon」を私は“シャロン”と読み間違えて、チバユウスケがROSSOで歌ってた曲を思い出してしまったんですよ。歌詞に“世界の終わり”という一節が出てきたり。
TOSHI-LOW:読み間違えるだろうな、というのも織り込み済み(笑)。
──さらに余談ですが、<オハラ★ブレイク’24 愛でぬりつぶせ>はチバユウスケさんへのリスペクトを込めて開催されたフェスですが、チバさん楽曲のカバーではTOSHI-LOWさんも活躍されて。
TOSHI-LOW:なんで俺が、そんなイタコみたいなことしないといけないのかなって(笑)。でも、できる人がいないんだろうなとは思う。俺らの上の世代の人は、自分のスタイルみたいなものを崩さないじゃない? 下の世代になると“コピーしたことない”とか“恐れ多い”とかになっちゃうし。だから、チバのセッションになると俺が充てがわれることが多くなるのは、俺がチバの歌を上手に歌えるとか、そういうわけじゃなくて、単純に世代的な問題なんだろうなって。だとしても、そこに自分の役目があるんだとしたら、受けてやるべきじゃないかなって、最近はそう思うようになってきた。以前だったら、“いやいや俺、やらないでしょ”って思ってたけど、その人の凄さってやっぱり歌ってみることでわかる。“単純なようでこんなに難しい歌なんだ?”とか、“なんだこの歌詞?とか思ってたけど、歌ってみるとグッときちゃう”とか。チバの歌詞は特にそう。なんであんなに動物が歌詞に出てくるんだろう?とか思ってたんだけど(笑)。
──ははは。「アニマルチャンネルが好き」って言ってました。
TOSHI-LOW:そこでチバユウスケが何を表していたかはわからないけど、シニカルとはちょっと違った視点みたいなものがあって。社会性のない人間が動物の生態を見て、社会を学んでいたんだと思うんだよね。こうやると食われちゃうんだとか、こうやると勝てるんだなとか(笑)。それを対人間にするとリアリティが出ちゃうでしょ。そうすると戦争とか、そういう方向になっちゃう。そういうことには反対していたと思うから、動物はシンプルでいいなとか、自分の本能とか野性に照らしてたんじゃないかなっていう。俺の見解だけど。
──深読みですね。
TOSHI-LOW:うん、深読みなんだと思う(笑)。
──いい話をありがとうございます。
TOSHI-LOW:いや、訊かれたから(笑)。俺だってやりたくてやってるわけじゃないんだよってことは書いておいてよ。“こいつ、しゃしゃり出てきやがって”みたいなこと言うやつは必ずいるから。
──そして「charon」は、良き来世へ行けるようにという願いなのかなと?
TOSHI-LOW:俺たちは今世でしか見られないわけだから。もちろん会えると思うけどね、同じ地獄に行けば。ただ、彼らが残したものを改めてどう捉えるかっていう歌だよね。さっき言ったように、そこに答えがあるということより、自分がそれをどう捉えるか。たとえば、“あの人だったら、こういうこと言いそうだな”とか、その心象でいいというかね。