【対談】Waive × ν[NEU]が語る、バンドを終わらせるということ「自分たちの棺桶に自分で花を入れている」

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■終わりたくないまま終わることが多い中で
■終わらせる日を決められるってことが幸運


──2023年4月、Waiveは再始動と同時に、2025年末(※2026年1月4日)の日本武道館ワンマンをもって解散すると発表しました。ν[NEU]のお二人はどう受け止めたんですか?

ヒィロ:僕、Waiveさんをずっと好きだったんですけど、“カッコいいな”と遠くから眺めていて、生で観たのは復活後なんです。ν[NEU]は一時的に復活する動きがあって、それがコロナでポシャッてしまって「どうしよう?」と言っていた時期でした。コロナ禍でWaiveさんが渋公のキャバをハーフにしてやった時に初めて観て、“めちゃくちゃカッコいい!”というのと同時に、“あ、これ終わっちゃうな”と思ったんですよ。僕自身も“これからもう一回ν[NEU]をやります”という時に、“たぶん永続できないな”と思ってしまって。

──何を感じ取って、そう思ったんでしょう?

ヒィロ:なぜかは分からないんですけど……。実際、日本武道館ワンマンで解散するという話を聞いた時には、ファンとしては“なんでだよ? もったいないじゃん”とも思いました。でも初めてライヴを観たその時に、“Waiveさんはきっと終わる。たぶん僕らも終わる”って率直に思ったんです。


──終わりを意識することは、逆説的ですけれども、続けていく上で重要なんでしょうか?

ヒィロ:善徳さんが「満足してしまったらそこで止まってしまう」とおっしゃったように、“Waiveさんというバンドはゴールを探しているのかな?”と僕は観ながら思っていて。言い方が失礼かもしれないですけど、きっと納得しない形で(2005年に)解散して、復活して、また復活して……という中で、納得する終わり方を模索してるのかなって。それがコロナ禍の時期に重なって、善徳さんが「悔しい」と渋公のライヴ中に言っていて。それを自分に投射したんです。バンドを久しぶりに再開したものの、どこかできっと俺たちも終わるし、“終わらないと、たぶん俺たち、ν[NEU]のこと嫌いになっちゃうな”と。その時はまだ終わると決まっていなかったんですけど、そこから2年活動してもう一回ちゃんとやると決めた時に、“終わらせないとまたメンバーの仲が悪くなるし、やらされてるという感覚になってしまうな”と。かといって、じゃあ1年に一回となると、僕らの規模だと間違いなく動員が下がっていくし、その時に「あそこでやめときゃよかったね」とか「復活しなきゃよかった」という形になって終わってしまうのが怖くなったから、“終わらせなきゃいけない”と思いました。

田澤:なるほど。

ヒィロ:ν[NEU]は渋公で解散したから、ゴールは渋公で。それを決める過程でmitsuとは「じゃあ武道館やろうよ」とか「幕張メッセで」とかいう話もしたんですけど、「やっぱり渋公で、僕らはもう一回ちゃんと終わらせよう」というところに辿り着きましたね。


mitsu:自分は“楽しけりゃいいでしょ”というタイプなんですね。“ワクワクするかどうか”だけ。なので、善徳さんがおっしゃっていたように、満足しないからまだやれているんです。ν[NEU]のヴォーカルでありつつ自分にはソロがありまして、ヒィロがベースを引退するというのを最初に聞いて、「じゃあ、ν[NEU]を終わらせようか」と。自分の中では、たとえ終わりが決まっていなくても“ワクワクしなかったらやめよう”と思っていました。

──ヒィロさんとはmitsuさんとでは、音楽に向き合うスタンスが異なるんですね。

mitsu:そもそもヒィロと「ν[NEU]をまたやろうか」と言う話が出た時も、「他の仕事でヒィロは生活できてるし、家族もいるし、わざわざ不安定なところに来る理由ないから。俺はずっと音楽をやってるけど、なんでやりたいの?」と言ったんですよ。だから、「やりたい理由を聞かせて?」って。そうしたら「音楽にしかないワクワクがもう一度味わいたい。それは他の生活の中にはなかった」と。「だったら信用できるからやろう」となったんですね。なので、個人的な話ですけど、終わりを決める/決めないの違いは、覚悟だけの違いかなと自分は思っていて。終わると分かっていて終わる場合もあれば、分からずに死んでいる場合もあるじゃないですか? 自分はライヴに人が入る/入らないで判断しないタイプで、やりたいからやるだけなんです。

──なるほど。

mitsu:自分は善徳さんとすごく仲良くさせてもらってきたので、再結成と解散の発表を見た時にWaiveの視点ではなく勝手に善徳さんのほうに感情移入して。“終わりって決めたんだな”という感覚がすごく強かったですね。正直、「善徳さん、音楽やめないでくださいよ」とは何度か言ってます。でも、善徳さん個人の決意もお話してもらっていたので……。自分たちはあと2ヶ月で終わるんですけど、終わりが近付いてきて思うのは、終わりを決めることができたのは超幸運だなと。終わることが正しいとか、生き残ることが正しいとか、そんなものは正直どっちでもいい。終わりたくないまま終わる人のほうが多い中で、終わらせる日を決められるってことが幸運だなと。1年前ぐらいには「最後までやれるかな? その前に終わる可能性あるよね?」と言ってたんですよ。解散とか、もしかしたら誰かが死ぬかもしれない。

──バンドが続くことは奇跡であると、身に染みて感じる昨今ですよね……。

mitsu:終わりという、普段は可視化されていないものを可視化して、自分たちで決めて具体化するのって勇気が要ることで、もう覚悟しかないと思うんです。頭で考えて云々じゃなくて、根性論みたいな形に近い。終わりにすると決めるっていうことだけが終わりを作ると思うので。そういう意味では、自分たちよりも活動歴が長くて、数字的なものとかも、ご本人たちはどう思われるか分からないですけど、自分たちから見るとまだまだ続けられる力をすごく持ったまま、Waiveさんというバンドが終わることを決めたというのは、震えましたね。俺が決められなかったことを決めているなと。「終わる」と自分で言ったヒィロに対しても、「決めてすごいね。俺はやめられないから、音楽やってるよ」って。自分の中で、Waiveのお二人と自分たちの置かれた状況は、偶然なんですけどシンパシーを感じて、そういう重ね方を勝手にしています。


▲田澤孝介(Vo / Waive)

──そんな覚悟を持って終わりへ向かっているν[NEU]の、最後の対バン相手に選ばれたWaiveは……?

mitsu:いや、そんなふうに言ったら重いだけで(笑)。自分たち的には、最後に“やった!ラッキー!”という感じですよ。バンドとして憧れ的な位置に置いていた方たちと最後に対バンできるなんて、少年漫画で言ったら“あの憧れのピッチャーを前にしてバッターボックスに立てる”みたいな感覚に近いので。それぐらい嬉しいということだけです。

ヒィロ:僕もmitsuに近くて、“ラッキー!”という感覚でした。間に入ってくださっている方から電話が掛かってきて、「最後にWaiveと対バンしたいか?」と訊かれて、「やりますやります!」と二つ返事でお願いしたんです。

田澤:さっきヒィロさんに、コロナ禍の渋公を観て「終わりを感じた」と言われた時は、ちょっとドキッとしたね。“そういうのって出るんや”って。あの時はコロナ禍におけるライヴに対して、絶望していたというのもあるんですけど。

杉本:でも、コロナ禍じゃなくて、もしちゃんとフルキャパで何の制約も無くやれていても…というか、ちゃんとやれてたらあそこで99%終わってた。

田澤:うん。終わってた。“もういっか”と満足していたかも。

杉本:そういう意味では、ヒィロが観て感じたものはドンピシャなんだろうなって感じがします。

田澤:たぶん、“こんなはずじゃなかったよね”が“もう一回!”を呼んだんですよね。“やり直そうぜ”って(2022年1月29日に再びLINE CUBE SHIBUYAにて結成20周年イヤーを締め括る<Waive 2Øth Anniversary GIG FINAL「& AGAIN」>を開催)。結局、思いのほかコロナ禍が長引いたので、正直もうそこでどうしようもなくなったし、またやるというモチベーションもないし。かと言って「やめよう」とも言ってない。このまま“解散中”というコンセプトを掲げてゾンビを続けることはできるよねみたいな話だったから。じゃあ「いっそ解散しねぇか?」となって。


──“解散中”というコンセプトの発明は、ファンの方たちを再び傷付けたくない、という想いからでしたよね? 死んでいれば再び死ぬこともないという論理で、再結成しなければ解散もない。そこには一定の説得力がありました。

杉本:“解散中”を発明した時は、“それがファンを傷付けないんだろう”と思っていましたね。でもさっきの「ギリギリ抱けそうな手前でじらす」みたいな話でたとえると、「俺たち付き合ってるよね」と口では言っているのに実際は気を引いているだけで手を出さない、みたいなのが一番良くない。バンドとして“結婚”とか“死ぬまで一緒”なのか、“抱いたら終わり”なのか分からないし、どうなったら幸せ……という言葉がふさわしいかも分からない。それは人それぞれの解釈で構わないけど。“この日”という終わりを決めることはたしかに大事なことでしょうと思う。その先にまた違う人生があって、「俺たちWaive IIです!」とか言ってたらムチャクチャ寒いけど(笑)。

一同:はははは!

杉本:でも、俺は寒くてもいいと思う。それが俺たちにとって正しいと思ったんだったら、人にどうこう言われる筋合いはないから。けど、このWaiveという名前のもとで、このメンツで何をしたいんだろうと考えた時、やっぱりカッコつけたい。“これぐらい馬鹿げてないと、Waiveをカッコいいと思ってくれないでしょ?”という想いもあったから、武道館で解散というゴールを掲げたわけで。

──安全圏にいても、カッコいいと思わせることはできないと。

杉本:ν[NEU]が言う「渋公で解散しよう」は、我々にとって渋谷AXで最初に再演した時と一緒の話なんです。今はもう渋谷AXもないし、Zepp (Tokyo)もなくなってしまって、“豊洲PITで解散? 当時無かった会場はピンとこないな~”というのもあって、“どこがカッコいいんやろう?”と。俺らがそれを埋められるとか埋められないとか関係なく、発表した勇気がもう既にカッコよくないとダメ。となると、自分が本当はやりたかった会場とかしか思いつかず、具体的に言うなら大阪城ホールか日本武道館の二択で、大阪城ホールでは正直言って100%できない。99%できなくて1%できる日本武道館のほうでいこうと決めただけで。ν[NEU]にとっての渋公と我々にとっての武道館は、根本的にはカッコよさを具現化しただけで一緒なんだと思うんですよ。

──なるほど。

杉本:2010年に渋谷AXで最初に再演した時のWaiveは不仲で、“なんでやるの? このライヴ要る?”だった。その時は会場の規模とか関係なく、再演ライヴをすること、要するに0を1にすることに無茶苦茶勇気が要った。それぐらいの覚悟と同じところにいこうと思ったら、「無理でしょ?」ってみんなから言われるような会場じゃないとできなかった。

──ワクワクしないという?

杉本:本当にそうで。覚悟が決まらないし、周りの人が付いてこないですよね。周りの人に“アホちゃう?!”と思わせないと始まんないでしょう?と。そこもたぶんν[NEU]と似てるところはある。彼らからすると我々は先輩だから偉そうな言い方をしにくいだろうけど、でもやっぱりWaiveの勇気が伝わったから「Waiveを参考にした」と言ってくれるんだと思っていて。これが、もし我々が「〇〇(ライヴハウス名)で解散します」というプロジェクトを発表していたら、「参考にしていました」とは、たぶん今言ってくれてないはず。

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