【インタビュー】you kiyo shuji、Janne Da Arcデビュー25周年に集結「5人がステージ上に揃っている姿だけでも見せることができたら」

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■気分を害する人もいるかもしれない
■それを受け止める覚悟も今はできた


──そのNicori Light Toursと、今回の3人によるプロジェクトは、全く別枠という考え方ですか?

you:はい。

shuji:別枠です。

kiyo:うん、まったく別。Janne Da Arc解散発表後、“平成 憩い部”という名前で、3人で全国を廻ったんです。

you:オフィシャルサイトから文面だけでJanne Da Arc解散を発表して。そのままでは済まされへんだろうって気持ちがあったから、すぐに動けるこの3人で、ライヴを通して自分の口でちゃんと伝えようって。勝手ながら、そういうツアーを2019年夏にやったんですよ。

──<禊ツアー>と呼ばれてもいいような感じのことを。

you:そうです(苦笑)。

kiyo:「ごめんなさい」という気持ちで。

you:そのときに、「これから各々で活動して、“ちゃんとやってるやん”とみんなに思ってもらえるようになったら、また3人でやります」ということを言ったんですよ。「また集まってください」って。要はそれが今回です。

──2019年にしたファンとの約束を果たそうということですか?

you:そういう気持ちです。胸を張れる活動がそれぞれできているのかってのはあるんですけど、そんなこと言ってたら、いつ約束を果たせるんだって。2024年はJanne Da Arcのデビュー25周年でもあるので、3人で話し合って、やるならこのタイミングしかないんじゃないかって決めました。

shuji:やらずにいたら、メンバーの誰か死んじゃうかも分からへんからね。

──去年からいろいろあるから、本当に現実的な話ですよ。やりたいことは、さっさと行動に移さなきゃいけない。

you:そうなんですよ。思いもよらなかった永遠の別れを去年は経験しているので。

──ファンとの約束もあったんでしょうけど、本当はすぐにでも再び動き出したかったんじゃないですか?

you:でも、自分の中ではJanne Da Arcに関することをちょっと避けていたところもありました。それを利用してると思われているのが自分でもイヤだったし。姑息なつもりはなくても、やっぱりそう思われてしまうんじゃないのかって感じる自分もいたりしたので。だから、Janne Da Arcの存在を置いておくというか、ちょっとしまっておいた部分もあったんです。

──その気持ちも変化したと。

you:毎年デビュー記念日になると、ファンのみんなが「おめでとう」ってお祝いの言葉をX(旧Twitter)でポストしてくれたり。僕がソロライヴで、ちょっとJanne Da Arcの曲を弾いただけで、すごく喜んでくれる。そういう光景を目の当たりにすると、やっぱ、やるべきなんだろうなって。いろんな意見があるのは承知の上で、喜んでくれる人も確実にたくさんいることを確信できたので、デビュー25周年のタイミングでやるべきだなと思ったんです。


──通常、取材するにあたっては、事前にデモなり音源なりを聴かせていただくんです。ところが今回、3人からはそういったものは届いていない。3人がこれからやることを勝手に想像をすると、この3人にサポートベースの高井 淳(Waive)を加えた4ピースで、ヴォーカルがいないからインストゥルメンタルだろうと。腕に覚えのある3人だから、プログレおやじたちをうならせる高度テクニックの応酬になるのかなと。あるいはJanne Da Arcから避けていたところがあったものの、みんなとの約束を果たす意味もあるから、Janne Da Arcの楽曲をインストバージョンで聴かせてくれるのかなとか。あるいは、各自のソロやプロジェクトのニューアレンジも入ってくるかなと。想像だけはいろいろ膨らむんですよ。

you:まさに、おっしゃっていただいた中に答えはあります。この3人でやるのは、Janne Da Arcのニューアレンジです。

──はっきりと断言しましたね。

you:はい。Janne Da Arcの曲をやります。インストでやる曲もありますし、逆にお客さんみんなに歌ってもらう曲もあります。

──Janne Da Arcのメインヴォーカルは、ライヴに来たオーディエンス?

you:そうです。

──ファンとの約束を果たすべく再始動するうえに、メインヴォーカルはライヴに来たファン。Janne Da Arcのデビュー25周年の2024年に。熱いじゃないですか、その心意気が。

you:今でも「Janne Da Arcが好きです」って言ってくれるファンの中に、実は生のライヴを観たことないって方もいっぱいいるんですよ。映像でしか観たことないって。この前の僕のソロライヴでJanne Da Arcの曲もやったんですけど、「初めて生演奏でJanne Da Arcの曲を聴けた」と。そういう声を聞くと、Janne Da Arcの曲をライヴでやりたくなるし。

kiyo:当時、ファンだった方が大人になり、さらに親になって、「お母さんが好きだったバンドを子供にも見せたい」って人もいましたから。ご家庭でJanne Da Arcをつないでくれている。本物の5分の3のメンバーによるJanne Da Arcではあるけど、ちゃんと生で見せてあげたいって。

you:今、kiyoが言ったけど、僕らはなにもつなげられていないんです。だけど、ファンの人たちがJanne Da Arcの存在をずっとつないでくれていた。その気持ちに応えるといったらおこがましいですけど、3人のツアーを実現させて、つないでくれた気持ちにいろいろ添えられたらと。

──活動休止から17年、解散発表から5年が経ちましたが、ファンの中ではJanne Da Arcの存在は風化していない。その方にとってはずっと生き続けているバンドで、伝説にはならないですよ。

you:そうやって大事につないでいっていくれているものに対して、僕らもここで真剣に向き合えればなという気持ちが、もちろんあるんです。

──Janne Da Arcの曲をプレイすることだけにこだわる新プロジェクトの誕生ですね。ファンに対しての正義も感じます。

kiyo:活動休止したまま解散したのは申し訳ないというところから始まって。そこからつないでくれているファンに対しての「ありがとう」がずっと続いていたんですけど、その気持ちはSNSで言うしかなかった。でも今回、ツアーを実現させることで、ここで改めてありがとうという意志を示したいと思っているんです。youが“姑息”と言ったように、3人でJanne Da Arcの曲でツアーをすることに反対する人もいるだろうし、気分を害する人もいるかもしれない。でもそれを受け止める覚悟も、今はできたって感じですね。いろんな意見や反対の声も、関心を持ってくれている証として受け止める…そういう覚悟です。喜んでくれる人がいるなら、僕らはやりたい。喜んでくれる誰かが一人でもいるんであれば、目の前でしっかり演奏するのがプロだと思うので。

──それが今だと。

kiyo:個人的な話になりますが、今年手術をして、もう弾けなくなるかもしれないって思ったことがあったんですよね。

──どこの手術をしたんですか?

kiyo:頸椎の神経をやられて、うまく歩けなくなって、指も動かなくなって。右半身の麻痺に近い状態ですね。手術も成功するかどうか分からないし、「リスクが高い手術だから誰もやりたがらない」って医師から言われたぐらいだったんです。それをクリアした今は、もうなんでもやりたいんです。キーボーディストとして命を一度絶たれそうになっただけに、今はなにを言われても、絶対にやりたいという気持ちになったんです。それがちょうどデビュー25周年というタイミングだったという。

──shujiさんも、錆びさせないように磨き続けてきた刀を振り回すときがきた感覚ですか?

shuji:youのソロライヴ名義でしたけど、今年5月の<MESSAGE>と去年も3人でやったりもしたんですよ。でも都内だったので、お客さんに東京に来てもらうしかなかったんです。10月からのツアーは、細かくまわる感じではないんですけど、一応全国ツアーができるので。前から「観たいけど行けない」って声も多かったので、今回のツアーでみんなのところに行ける。あと、5月の<MESSAGE>で思ったのは、Janne Da Arcでこんな激しいドラムを叩いていたかな?と(笑)。若いときのプレイは、簡単なことしかやっていなかったと思ってたんだけど、実は難しいこともやっていたんだなって。それがいつまで自分は叩けるのかと。今だったらまだイケるけど、5年後とかはどうかなと思ったんで。

──1990年代はテクニック指向も高まっていた時期だから、レコーディングでは常に高いハードルを自分の中で設けていたという。

shuji:そうそう。去年やったときはそこまで思わなかったですけど、今年のライヴではすごく思ったんですよ。こんな難しいことやってたっけ?と。だから今、このタイミングでJanne Da Arcの曲をプレイするツアーをやらなきゃいけなかったんです。

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