【インタビュー】you kiyo shuji、Janne Da Arcデビュー25周年に集結「5人がステージ上に揃っている姿だけでも見せることができたら」

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元Janne Da Arcのyou(G)、kiyo(Key)、shuji(Dr)が、10月27日の東京・渋谷サイクロンを皮切りに、全国8都市全24公演のツアー<you kiyo shuji TOUR 2024 “CONNECT”>を開催する。Janne Da Arc事実上の活動休止から17年、解散発表から5年。“you kiyo shuji”名義による集結は、デビュー25周年のメモリアルとして、現在までJanne Da Arcを応援し続け、“コネクト”=繋いでくれたファンへの感謝を届けるべく行われるものだ。

◆you kiyo shuji 画像

「今もずっと火を燃やし続けてくれているファンの方に、心からの感謝を全力で伝えに行きます。いつかの大きな炎に繋げるためにも、みんなの誇りを見せに来てほしいです」とは、ツアー開催発表と同時にアナウンスされた3人のコメントだ。“いつかの大きな炎に繋げる(=コネクト)ために”という言葉からも、このツアーが大いなる意志を持って動き始めることが、3人の写真に設けられた空間からも感じ取ることができるはず。

BARKSは、you kiyo shujiに<TOUR 2024 “CONNECT”>の真意について話を訊くべく、緊急インタビューを試みた。

   ◆   ◆   ◆

■再びJanne Da Arcをやろうってなったとき
■足を引っ張らないようにしておかないとって


──5月9日に開催されたyouさんのソロライヴ<MASSAGE>のステージで、元Janne Da Arcのyou、kiyo、shujiの3人が10月からツアー<you kiyo shuji TOUR 2024 “CONNECT”>を行うことを発表しました。内容が楽しみですが、その前に、Janne Da Arcが2007年に活動を休止して以降のことを聞きたいんです。休止後、youさんとkiyoさんはソロ活動をスタートさせ、shujiさんは様々なサポートで活動していましたが、結果的にJanne Da Arcは2019年に解散を発表しました。その前後あたりの心境や、各自の音楽活動についてどう考えていました?

you:Janne Da Arcが事実上の活動休止になった2007年、僕が最初にソロ活動みたいなのをさせてもらったんです。それは、前からいちギタリストとしてチャレンジしたいことでもあったので (ソロアルバム3部作『LIFE〜the first movement〜』[2007年6月発表]、『LIFE〜the second movement〜』[2007年10月発表]、『LIFE 〜the third movement〜』[2008年10月発表])。その時期はソロ活動に集中していたんですけど、一区切り終えて、これからなにができるかなと考えたとき、そこからの期間がちょっと…。今から思えば、ああしたら良かったと思うこともあるんですけど、当時はけっこう暗中模索というか。やりたいことがあったりしても、どう進めていけばいいんやろうって、自分の中でもちゃんとした答えを見つけ出せないまま、行動に移せずという時期がすごく長くて。

──それでもJanne Da Arc用の曲は作っていたんですか?

you:そうですね。作っても、メンバーを巻き込んで進んでいこうって段階まで、自分自身を持っていけなかったところもあったりしたので。悶々としていたというか。なにかやりたいって焦っていたところもあったかもしれないけど。

──自分の全てを賭けていたJanne Da Arcが突如活動休止したことで、すぐに光も見つからなかった感じですか?

you:そうですね。なにかやろうと思っても、なかなか進められない現実を経験しました。その中で思ったのは、Janne Da Arcというバンドの凄さとか、他のメンバーのありがたみじゃないですけど、やっぱり存在と凄さですよね。それを痛感しました。

──kiyoさんは?

kiyo:僕もソロというか出版物(書籍『kiyo風呂』[2006年10月発表])を作ったり、映像制作(『誤作動 〜テスト起動〜』[2008年3月発表]、『誤作動 〜完全版〜』[2008年6月発表])に走ったりとかもしていたんです。

──いわゆるクリエイター的な活動もしていましたからね。

kiyo:そうですね。テレビとかを観てて、映像に合ったBGMを作りたいなって、普段から思っていたんですよ。あとゲームミュージック(ソロ作品『ARTISAN OF PLEASURE』[2008年6月発表])を作ったり、作曲家としていろんなコンペに参加させてもらったりしていたんです。でも曲は作れるけど、一体なにに向かって曲を作ればいいんやろって悩みながらでした。浮かぶものを形にしていったんですけど、音楽ジャンルもバラバラだったし。

──なるほど。

kiyo:そういう中で思ったんです、僕はあくまでもキーボーディストだったんやなって。バンドの中に自分が存在していないと、僕の個性の活かし方も分からないっていう。自分のアイデンティティが保てないんです。どっしりしたバンドサウンドがあってこそ、キーボードフレーズで自由に動き回れていたんやなって分かりましたね。僕もyouと同じような感覚で、悶々とした長い期間を過ごしていました。

──shujiさんは?

shuji:僕の場合、Janne Da Arc時代にあまり曲を作ってこなかったんで、活動休止になったとき、この期間に作曲を勉強したほうがいいのかなと思ったんですよ。でも、思っただけで(笑)。けっこう僕は昔から、性格的になるようになれって考えるほうで、あんまりジタバタしないっていうか。それに、幸いにもJanne Da Arcが活動休止になってからyouのソロ活動のお手伝いとか、ka-yuのDAMIJAWのお手伝いとかさせていただきつつ、他の現場もいろいろやらせていただいていたので。その当時思っていたのは、“再びJanne Da Arcをやろうってなったとき、足を引っ張らないようにしておかないとな”って。

──ドラマーとして常に磨きを掛けておこうという?

shuji:はい。それでいろいろなバンドのサポートをしたいと思っていたんですけど、当時はそんなに多くはなかったんです。ここ2〜3年でいろいろ話をいただけるようになったぐらいなんで。だから今も、ある意味ずっと修行している感じです。“そのとき”のために。


──でも、“そのとき”がなくなってしまったと感じたこともあったわけですよね。2007年1月に、バンド結成10周年を節目に各メンバーがソロを始動して、並行するとはいえ、バンドは事実上活動休止となった。その12年後の2019年にJanne Da Arc解散が発表されたわけですが、解散を決めたときの喪失感は?

you:もちろん青天の霹靂ではなかったわけですよ。解散という事態が起こり得るということは、心にとめていましたから。でも、そうならないためにできることはないかなって。それも悶々とした心境に陥った要因のひとつではあるんですけど。実際に自分がなにをやったかと言っても、なにかできていたのか?って感じだったし。正直、あのときは“ついに、きてしまった”というか。

kiyo:“とうとう”というか。

──覚悟していたことが現実になってしまったのかと?

kiyo:そうですね。想像の中に、解散がなかったわけでもないので。

shuji:活動休止してからの期間がけっこう長かったじゃないですか。活動休止から3年目ぐらいまでは、自分の中でも“そのうちいつか”という思いがあったんです。でも4年5年と時間が経つうちに、難しいかなとは思うようになっていきましたから。いずれは解散という事態もあるだろうなとは、なんとなく覚悟していましたよね。

──でも考え方の角度を変えれば、活動休止のままずっと引っ張り続けるより、きっぱりと答えを出すことがファンへの優しさでもあると思いますよ。

shuji:復活をずっと待ってくださっている方が多かったですから。

you:言葉は悪いですけど、引っ張りに引っ張って最後は結局それですか、という終わり方をしてしまったので。申し訳ないでは済まされへん。なんとかしなきゃいけないって思いだけで、実際はなにもできないままだった。本当に遅すぎたんです、そういう意味では。

──話が前後しますけど、活動休止以降はメンバー間で頻繁に連絡を取り合うこともしていたんですか?

shuji:活動休止直後は、ちょいちょいメシに行ったりはして、いろいろ話し合ってましたよね。

kiyo:バンド再開への望みをなんとかつなげていこうって想いですよね。そういう話もこの3人でしてましたから。僕とyouは、その後に一緒に曲を作ったりもしたので、交流はありました。

shuji:活動休止した後、東日本大震災が起こってしまい、メンバー全員で集まる機会もあったんですよ。それでコメントを出したりもしたんです。それがきっかけで、不謹慎かもしれないですけど、どうにか活動再開につなげられないかって気持ちもあったんですよ。あのとき、久しぶりに5人が集まって、久しぶりに一緒にメシも食べたりしたので。一時的な活動再開でもいい、みたいな。

kiyo:そやな、そういう話もしたな。でもあのときは電力不足だったから、電気を使うことが悪みたいな状況だったじゃないですか。結果、再開はあまり現実的ではないなってことで終わって。

──2019年のJanne Da Arcの解散発表後、youさんとkiyoさんは一緒にNicori Light Toursというプロジェクトをスタートさせました。連絡を取り合っている中で、自然に構想が生まれたんですか?

you:なんとなく二人で曲を作り始めたことがきっかけではあるんですけど、それもだいぶ前からなんです。ずっとやりたかったことだったし、なかなか形にできなかっただけで。ようやく形になったのが、3年ぐらい前ってだけで(笑)。

kiyo:前からずーっと二人でやってましたもん。いろんなコンセプト考えたり、デモのデータを送りあったりとか。ちゃんとNicori Light Toursとして組んだのが、ちょうどコロナ禍になってしまった頃。ファンの方々と会う機会もなかなかなくて、どうなるんやろうって不安も混じりつつの活動スタートだったんです。アルバムやシングルもリリースして、ライヴもできる世の中の状況になって、やっとみんなが喜んでくれているって感じになりましたね。ただそんな中でも始動当初から興味を持って応援してくれているファンの方には感謝の言葉もありません。

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