【インタビュー】筋肉少女帯、デビュー35周年記念盤「医者にオカルトを止められた男」に浮かび上がった「35年も続いている理由」
■アルバムコンセプトとして狂気を歌っているけど
■メンバー間がギスギスな制作現場ではなかった
──カルト的であり、とてもチャレンジしている作風ですよ。今回、セルフカバーでシングルに入れた「さらば桃子 (2024ver.)」なんて、いきなり投身するストーリーから始まりますけど。
大槻:しかも「さらば桃子」は歌詞がふたつあるんだよね。
本城:そうだね。シングルでは「1,000,000人の少女」というタイトルで。
大槻:歌詞が違うんだよ。あと『レティクル座妄想』に入っている「蜘蛛の糸」って、第二章が実はあるんだよね。「蜘蛛の糸〜第二章〜」っていうのが。
本城:あるね。それもシングルに入っている。
橘高:シングルのカップリングには、必ずそういう別バージョンとか入れてたね。
大槻:あの頃って、なんか、すごいやる気だよね(笑)。いろいろ試みていたな。『レティクル座妄想』には「パリ・恋の都」も入っていたよね?
──入ってます。恋人の亡霊と一緒にパリ旅行へ行くという歌です。
大槻:あれもバカバカしくていいなあ。やっぱり、おもしろいわと思った(笑)。でも、あの「パリ・恋の都」は、「ロックン傘地蔵」にするはずだったんだよね。傘地蔵をロックで描くというのをやりたかったんだけど、ちょっと前衛的すぎるって、ダメだなって。
橘高:あれはオイちゃんが珍しく「それだけはやめてくれ」と言ってた(笑)。
本城:言った言った(笑)。
大槻:おもしろいと思ったんだけどな。
──着想からキャッチーで。
大槻:うん。今だったら水曜日のカンパネラの「一休さん」のような名作路線だったよね。考えるのが早すぎたな、「ロックン傘地蔵」って(笑)。
▲橘高文彦 (G)
──話を聞いていると、“おもしろそう”とか“バカバカしてしくていい”とか、すごく楽しみながら作っていた感じだったんですね、当時。『レティクル座妄想』の後にバンドの活動が一度休止になったから、病みそうなギリギリの精神状況に陥っていたのかなと思っていたんですよ。歌詞の内容もすごいことになってますから。
本城:僕が唯一覚えているのは、『レティクル座妄想』を作ったときに、長いこと飼っていた猫が死んだので、ちょっとヘコんでたなって。それ以外はよく覚えてない。レコーディング中、みんなでゲームやっていたことぐらいしか。
橘高:アルバムのコンセプトとして狂気的なことを歌っているけど、メンバー間がギスギスで顔を合わせたくもないという制作現場ではなかったよ。スタジオの応接室で、みんなでゲームしながらギャハギャハやってたから。アーティストとして、その明るさをアルバムには入れないようにしてたけど。『レティクル座妄想』という作品を、作家として最大の力を使って、みんなで生み出したってことだよね。
大槻:あの頃、僕はテレビタレントさんもやらせていただいて、突然、岡本夏生さんからメロンを送ってもらったことあって(笑)。それを今、強烈に思い出したな〜。
橘高:『レティクル座妄想』を作った当時の思い出は、岡本夏生さんからのメロンなんだね(笑)?
大槻:しかもマスクメロンだよ。
本城:それは忘れられないよ。強烈な思い出になるよね。
大槻:なんか、そういうのはよく覚えてるな〜(笑)。あと安部譲二さんとさ、ダチョウ倶楽部とさ、テレビが一緒になってさ。本番前に楽屋裏で安部譲二さんが振り向いて、ダチョウ倶楽部にコソコソってなにか言って出ていったんだよ。上島竜兵ちゃんが「先生は今、俺らにネタ試しをしたんだよ」って言ったのが、芸人さんの言葉っぽくてすごくおかしかったんだよな〜。…ごめん、全然伝わらないね(笑)。でも、あと一個だけ。楽屋袖のタレントさんの前で、小堺一機さんと柳沢慎吾さんが、『警視庁24時』みたいなのをガッツリやってくれるんだよ。見事としか言いようがなくてさ。ああいうのが見れただけでもいい経験したね。
橘高:今度はタレント活動の思い出(笑)?
大槻:うん。
本城:いいよー、オーケン、いい(笑)。そういう話。
大槻:この頃って、まだ30代になっていなかったよね? 27〜28歳。だから、いろいろ芸の幅を広げたかったんじゃないかな。僕個人で言うと。
橘高:バンド的に言うと、実は『レティクル座妄想』を作った後に、しばらくバンド活動は休むっていう話は、もともとしていたんだよね。2年休むって言ってた。その休みの時期になにをするってことでもなくてね。2年契約の最後に筋少のアルバムを出すつもりはあったんだけど、その間はソロ活動をやってもいいよっていう、すごくいい条件でレコード会社が我々を受け入れてくれていたから。そのレーベルでバンドもソロも出していたから、別に不義理な行為でもなかったんだよ。結果、2年間で俺のEUPHORIAと大槻くんのソロを合わせたら5枚ぐらい出ているから。そういう意味では活動休止と言いながら、全然休止していなかった(笑)。ただ、デビューしてからバンドしかやっていなかった筋少のメンバーが、オトナになってちょっと離れた時期ではあったよね。結果、次の『ステーシーの美術』(1996年)では、メンバーそれぞれのキャラがハッキリしたものが、より楽曲に出てきた。
▲アルバム『ステーシーの美術』(1996年発表)
大槻:バンドとしては普通だよね、そういう時期があるというのは。
橘高:『レティクル座妄想』までは、バンドメンバーみんなでスタジオで固まっていろいろやってた。バンド青春期というか、昭和のやり方みたいな。そこから先が、いい意味で分業化できるようになっていったんだよね。セルフのプロデュース力も強くなったし、分業しても1枚のまとまったアルバムを作れる自信が付いていった。その制作スタンスがずっと続いているからね。
大槻:まあ、30年も経つと、いろいろあったけど、今となってはどうでもいいね(笑)。ねっ、ホントそう思うわ。
内田:覚えてるのは、EUPHORIAを橘高が始めるってのをオーケンが聞いて、「ソロやろう」って言ったこと。ああ、二人がそれぞれソロ活動するなら、僕もなにかやろうかなと思っていたら、両方から引っ張られた(笑)。EUPHORIAとオーケンのレコーディングして、ライブもやって。手伝わされましたよ。分かってないね、二人とも(笑)。
大槻:ああ、そうか。つまり内田くんはそんな乗り気じゃなかったんだね(笑)? いや、でも僕はおぞましいぐらい、なにも覚えてないんだよね。
──病んでる気配は微塵もなかったというわけですね。
大槻:だからライブをどういうふうにやってたんかなって。MCをどういうふうに持っていってたんかな。
橘高:いつも通りだったよ(笑)。
大槻:『レティクル座妄想』以外の馴染みある曲とかもライブでやってたわけでしょ?
橘高:もちろんだよ。いつも通りに(笑)。
大槻:この前、TVドラマ『不適切にもほどがある』を観たんだけどさ。あの頃、僕はステージでビールの一気飲みとかしてたよね。いやぁ〜、不適切にもほどがあるよ(笑)。あと「おヌードちょうだい」つって脱いだりとかさ。
橘高:やってた。あと、あなたは鼻かんだティッシュを客席に投げてましたよ(笑)。
大槻:それはもっと昔だと思うよ。投げたか、いや〜、凄いね。
本城:今となっては、“フテホド”ですな(笑)。
──コンプライアンスって言葉で全て禁止されそうな事柄ばかりですから。
橘高:昔からコンプライアンスがあったら、俺たち、今ここにいないよ(笑)。
──こういう時代に、こんな内容のニューシングルを、よくぞ作りましたね。
大槻:結果的にシングルですけど、いわゆるシングルの曲じゃないですよね。
橘高:それこそが35周年だなと思ってる。こういうスタンスでずっとやってきたバンドが、35周年に出す楽曲として、すごく適切だなと思う。普通じゃない楽曲をアニバーサリーシングルで出すというのが筋少らしさだし、筋少が35年も続いている理由がここにある、と俺は思ってる。だって「医者にオカルトを止められた男」だよ(笑)。
──『レティクル座妄想』の時期と比べたら、「医者にオカルトを止められた男」は明るい側面も感じられましたが?
大槻:まあ、そうですね。あんまり破滅的な詞はいかがなものか、と僕は思いますよね。やっぱ希望がないと。希望があったほうがいい、絶対。
橘高:ずいぶんポジティヴなコーティングがされている。でも中身は変わってないなとも思う。新曲は『レティクル座妄想』的な面も持っているし。
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