【インタビュー】筋肉少女帯、デビュー35周年記念盤「医者にオカルトを止められた男」に浮かび上がった「35年も続いている理由」

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■「医者にオカルトを止められた男」という曲で
■35周年を祝うバンドなんて見たことない(笑)


──それに2007年に活動再開してから、アルバムタイトルにもありましたけど、余生は“おまけのいちにち”みたいな感覚でやってきたわけじゃないですか。でも活動を重ねるたび、本当に闘いの日々という感じで、バイタリティを増していってると思うんです。

橘高:そう言ってもらえるのは嬉しいですけどね。でも筋少は、再始動後もそうだし、30年前の『レティクル座妄想』の頃もそうだったんです。30年前に『レティクル座妄想』を制作するとき、世の中のバンドブームは衰退してきて、周りのバンド数もどんどん減ってきていた。“おお、これは…”と(苦笑)。ブームの衰退が俺たちの身近に迫ってきていたんですよ。そんな中でも我々はセールスもあったし、恵まれていたんだけど、バンドブームの頃と比べると、ちょっとセールスは落ちていた。それで所属マネージメントの経営がうまくいかなくなって、我々は離れることになって。同時にレコード会社からも、1993年の『UFOと恋人』で契約を打ち切られた。

──いろいろぶっちゃけますね(苦笑)。

橘高:MCAビクターに移籍しての第一弾アルバム『レティクル座妄想』で、周りのように我々も衰退していくのか。それとも、ここが踏ん張りどころだって、セールス的にV字回復していくのか。その瀬戸際でもあったのが30年前の1994年。結局、我々は他のバンドでは成し得ないようなカルト的で孤高なアルバムを作り上げて、売り上げも伸びたり。それで自信を得たところもあった。とにかく自分たちらしさを徹底的に追求するというのが、『レティクル座妄想』から身についたというかね。

──なるほど。

橘高:でもメンバー間にあった緊張感も含め、“このアルバムが最後かもしれない”、“ライブもこれが最後かもしれない”って気持ちで続けていた。再始動以降、変な仲違いで活動休止するのはファンに失礼だと思っているけど、やることにしがみつくようにアルバムリリースしようなんて思ったことは一度もないし。未だに毎回、これが最後になってもいいぐらいの気持ちで、アルバムもライブもやっているから。今回の新曲も筋少らしいよね。「医者にオカルトを止められた男」というタイトルの曲で、35周年を祝うバンドなんて、俺は見たことない(笑)。それゆえに35年以上も続いてきたバンドなんだなって、再確認したよ。


▲内田雄一郎 (B)

──メチャクチャ熱く語っていただきましたが、『レティクル座妄想』を作っていた30年前も、個人的には何度も取材させてもらいました。だから言っちゃいますけど、当時の筋肉少女帯にはメンバー間の団結力など全く感じられなかったんですよ(苦笑)。仲は悪くないけど、ちょっとした距離感を常に保っているような感じで。

橘高:そうなんだけど、筋少はたまに団結するときがあって。何年に一回というタイミングが、あの30年前だったよね(笑)。

内田:うん。団結して、みんなで映画を観に行ったよ。

橘高:そう。大槻くんが「映画を観に行ってくれ」と言ったの。『レティクル座妄想』の制作前にね。

──映画! 『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』(1969年公開映画)ですよね?

内田:そうそうそう。

本城:よく覚えてるな〜(笑)。

大槻:なんか、ハマってたんでしょうね、その頃。なんだろうね、「映画を観に行ってくれ」っていうのは(笑)。おもしろいな〜。僕は一緒には観に行かなかったけど。

橘高:そこは筋少って感じだね(笑)。

内田:「『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』を観て」っていうのと、もうひとつあったんだよ、『レティクル座妄想』を制作するにあたっての参考資料として提示されたものが。「こういうアルバムにしたいんだ!」っていうオーケン(大槻ケンヂ)からの参考資料。

大槻:うんうん、それはなんだったんだい?

内田:それは…。

大槻:うん!

内田:どこかのおばさんが書いた…。

大槻:うんうん!?

内田:チラシで。

大槻:おおっ!

内田:“うちの近くに高圧電線があって、毒電波が送られている”と。“うちの飼い犬が電波で攻撃されて困っている”という文章でね。町内の掲示板に貼ってあったりして。

大槻:怪文書みたいなやつだよね。昔、よく配られてたよ。でも、それを参考資料に? 本当?

内田:だってディレクター経由でそのチラシを渡されたよ、確か(笑)。

大槻:1980年代からの流れで、ちょっとそういう変な系というのかな、マッドカルチャーと呼ぶのかな、そういうのが興味深く感じるとか思うとか、あったよね?

内田:うん。結局、テーマはキ●ガイってことだったんだけど(笑)。


▲アルバム『レティクル座妄想』(1994年発表)

──この機会に改めてあの映画『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』を観たんですよ。

内田:あっ、あれを再び観た(笑)?

──医大を出た男が精神病棟に入れられているシーンから話が始まるんです。灰色の壁に囲まれている…というつぶやきと共に。

大槻:あれ、それは夢野久作の『ドグラ・マグラ』みたいな…、あっ、監督の石井輝男が混ぜたかもしれないな。

──男が檻に入れられてるんですけど、その冒頭のシーンから内田さんも言ったワードやシーンがズバズバ出てくる(笑)。

大槻:でも、ズバリそういう狂人とかがテーマではなかったと思うな。

──ですね。そこからいろんな物語が恐怖も伴ないながら展開していくんです。

大槻:うん。なんか、他のバンドの名前とかを出しちゃうと良くないと思うけど、やっぱりね、ピンク・フロイド的なことをやりたかったんじゃない?

本城:ああ、ザックリ言うと(笑)?

大槻:うん。『The Dark Side of the Moon』(邦題:狂気)みたいなことをさ。筋少版の『The Dark Side of the Moon』とか『The Wall』とか、ああいうコンセプトアルバムの決定版みたいなものを作りたかったんじゃないかな。

内田:そうだったんだ〜(笑)?

大槻:いや、ビートルズで言うところの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を。

橘高:筋少のね。それをやろうと思ったら、テーマがキ●ガイになったのね(笑)?

大槻:だから、そこは違うのよ。

──映画には前衛的な舞踏とか官能的なところも出て来たり、そればっかりじゃないですからね。

大槻:それで言ったら、あの映画のラストシーンは、バカバカしさの究極にいってるでしょ。でも、なんか泣ける人は泣けると思うのね。狂気の向こうにあるセンチメンタルみたいな感じ? だからやっぱり、ピンク・フロイドじゃないのかな〜。この世代として一度はやりたい『The Dark Side of the Moon』というかね。その前の世代というと、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』なんだろうな。『レティクル座妄想』を聴き直したら、非常にいいものができてましたよ。とてもコンセプチュアルで、狂気の向こうのノスタルジックな感じとか、センチメンタルな感じとかができていて。素晴らしいアルバムだと思ったな。

橘高:筋少は、カルト的なことをちゃんとメジャーでやっているなって感じたな。

大槻:だから今でも、若い人とかネットとかで筋少を観たり聴いたりして、響いてくれるんだよね。一定層いるんだよ、筋少世界みたいなものが好きな若い人って。

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