【インタビュー】FANTASTIC◇CIRCUS、純度高めた至極のリテイクベスト盤「全て僕が恵まれていたらこういう曲は書いていない」

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■青春は「FANATIC◇CRISIS」に捧げてきた
■今もこうして活動できていることに感謝です


──ギターの音作りにもこだわりましたか。

kazuya:特にSHUN.はめちゃめちゃこだわっていましたね。ギターを自分でも買ってきたり、借りてきたりと、ものすごい数を持ってきていました。個人的にはマイキングを変えて、新しい発見が結構ありました。

──音の厚みが格段に増しているなと感じました。

kazuya:音の太さは以前より出ていると思います。ギターは2005年の「FANATIC◇CRISIS」のラストライブで使ったストラトキャスターがあるんですけど、これで録りました。

──そのギター1本でレコーディングを?

kazuya:ほぼ1本ですね。あまり多くのギターを置いておくことが好きじゃないこともあるんですけど、このギターは「FANATIC◇CRISIS」の思い出でもあるので、使いたいなと。

──他に新調した機材はありますか。

kazuya:機材は最新型で揃えていますね。エフェクターも当時とは全然違います。ピックも自分に合うピックを見つけたので、今は前よりもギターを弾くのが楽しいです。これなんですけど。

──プラスチックのおにぎり型ピックですね。厚さは1mm。手に馴染む感じがします。

kazuya:これ頂いてから変わりましたね。

石月:10円玉もあったよね。

kazuya:10代のときは10円玉をピックにしてギターを弾いていましたね。お金がなくて。

──音に関して様々アップデートしているのですね。

kazuya:あと、エンジニアさんがすごく優秀な方で。なんとエンジニア さんも「FANATIC◇CRISIS」が好きだったらしく、録り音をミックスでオリジナルに寄せてくれるんですよ。愛があるなぁと思いました。

石月:今回リリースさせて頂くワーナーミュージック・ジャパンさんにも「FANATIC◇CRISIS」を聞いていましたとか 、やりたいと思ってたっていう方がいらっしゃって。本当に恵まれていますよね。もう感謝しかないです。

──あと、今作もリズム隊は同年代を駆け抜けたNATCHINさん(B / SIAM SHADE)と、LEVINさん(Dr / La'cryma Christi)。

石月:そうです。今回もライブからの流れで全曲お二人にお願いしました。基本原曲に忠実にコピーしてくれましたが、よりカッコよくなっているところもあって。今のFANTASTIC◇CIRCUSの音で録れたかなと思っています。


──ここからお二人にアルバムタイトルにちなみ、「2001-2004」の印象的な出来事を聞きたいと思います。

石月:今から20年前くらいなので、「FANATIC◇CRISIS」が完成されてきた時期じゃないですかね。これ以前は実験的な要素が多かったと思いますが、この頃の「FANATIC◇CRISIS」のシングルとなると、信頼してもらえてきたというか。あとライブをたくさんやっていましたね。

──リリースペースもかなり早かったですよね。

石月:リリースもそうですね。だからほぼ僕は、ライブやってリハーサルやって曲作っての延々ループですよ。変な話、恋愛する時間はもちろん多くの人が経験をするようなことが何もなかったんですよね。どうしようと思っていました。とりあえず本と映画を時間を見つけては見て、その世界観に入り込んで曲を書いたりとか。あとは時間が少しできたら街に繰り出してみて散歩とか。ほとんどそれ以外していないという。

──音楽のことばかり考えていたのですか。

石月:毎日毎日そうですね

──多忙だった。

石月:今考えると「ちょっと無理」となりますね(笑)。

──kazuyaさんにとって「2001-2004」はどのような時期でしたか。

kazuya: 前回のシングルスの時期っていうのは僕の中で結構闇で。もうどうしていいかも分からなくて、本当にちょっとダメになっていました。でもそれは何が悪かったかと言うと自分の知識不足だったり、言語能力が無かったことに尽きるんですよ。でもその頃はそれが分からないから、とりあえず人のせいにしたりバンドのせいにしたりしてましたね。でも必死にもがいている自分がいたんです。

──かなり辛い時期が続いていたのですね。

kazuya:でも「2001-2004」ぐらいになってくるとちょっと友人関係の幅が広がりました。 僕らって友人がほぼメンバーしかいなくて、本当にメンバーと遊ぶ以外の選択肢がなかったんですよ。でもそこからちょっとずつ交友関係が広がって、メジャーの世界で活躍している人のデモテープを聞くことが増えました。

──転機の時期だったのですね。

kazuya:ただこれがかなり衝撃だったんですよ。デモテープが発売している音源とほぼ変わらなくて。「これはいかん」と思って、全財産を握りしめてパソコンを買いに行って1日でぶっ壊して、みたいな一連の話があるんですけど。

──かなりハードなエピソードです。

kazuya:なんと買ってきたパソコンが1日で火を吹いたんですよね。それを直してから徹くん(Dr /FANATIC◇CRISIS)にもパソコンやソフトの使い方を聞いたりして学んで、好きな作曲家の書いた曲を全部コピーして、良いと思ったことを全部言語化できるようにしたんですよ。そこからようやく「moonlight」のカップリングの「サクラ咲く街で」ができて、僕個人の作曲名義っていうのはここからスタートしたんですね。

──凄まじい努力です。

kazuya:僕は歌が歌えないので、自分は作曲ができるようにならないと価値がないんだと思っていたからですね。そこから一生懸命頑張って「月の魔法」とか「追憶をこえるスピードで」でようやく結果が出てきたのかなと。僕にとってこの時期は革命期でしたね。今では作曲のお仕事を頂いているので、この経験も良かったなと思っています。

石月:それでいうと「ダウンコード」も、大元のアレンジはkazuyaだったと思います。kazuyaがマニピュレーションを始めてやったのが「ダウンコード」でしたね。

──この時期は、kazuyaさんがまさに覚醒した時期だったのですね。ほかに印象的なエピソードはありましたか。

石月:本当にこの時期はメンバーと一緒にいました。僕の家兼スタジオみたいなところで録ったりしていたんですけど、この頃からほぼ家に徹がいるっていう(笑)。家賃払ってもらおうかなってぐらいに。

kazuya:今考えたらそうやな。

石月:常に誰かしらがいるっていう。

kazuya:食べる物も一緒だったしね。ずっと。

石月:それで俺が。

kazuya:カレー作って。

石月:そうそう。カレー作って振る舞うという。ビーフシチューとか煮込んで二、三食いけるものを全員に振る舞う。合宿所兼スタジオみたいな感じでしたね。

──音楽に全てを捧げたという時期だった。

石月:それ以外のなにものでもないです。

kazuya:本当にデビューから休みがなかったよね。そう言って頂いてOKです。

石月:でもその中でもSHUN.とかはたまに 2〜3日間とか空くと、アクティブにインドに行ったりしていた記憶があるんですけど、僕はそんな休みがあるなら曲を書くみたいな。それぐらい本当にずっとやってましたね。

kazuya:でもこの時期も忙しい中、SHUN.にはいろいろ笑わせてもらいましたね。

石月:なぜか彼のところには奇跡的に面白いことが起こるんですよ。面白いことも災難も寄ってくるという。

石月:犬も寄ってくるよね。

kazuya:うん。そういう関係図って変わらないんでしょうね。


──素敵な関係性ですね。

石月:紆余曲折経て、また帰ってきたみたいな感じですかね。このバンドの始まりは、僕がkazuyaのライブを見た時から始まっているんで。ライブでギターを弾いているところを見て、「分かった。彼を誘えばいいんだって」思ったところから。

kazuya:「ひらめいた」って(笑)。

石月:うん。リュウちゃん(RYUJI:B /FANATIC◇CRISIS)もそうなんだけどね。その頃は携帯もなかったので毎日家に電話ですよ。kazuyaから「バンドやっとるんで」と言われても「いや!」って。そこからはじまっているんでね。

──石月さんがkazuyaさんに「俺とやったら売れるから一緒にやろう!」と言ったエピソードですよね。これは電話だったのですか。

石月:そうそう。僕は一番年下の15、6歳のガキンチョだったんですけど、自信だけはなぜかあって。あとは何もないんですよ。でもビジョンだけは浮かんでいました。その頃だったらkazuyaがいて、SHUN.がいてリュウちゃんがいて。僕は戦隊もののイメージだったんですよ。バンドって。いろんなカラーがあって。結局1人だと負けちゃうんだけど、5人そろうと強いみたいな。だから売れるイメージしかなかったですね。

──kazuyaさんのライブを見たときにイメージできた。

石月:そうですね。なんなんでしょうね。あの自信は。今考えるといっちゃってますよね。

──紛れもなく運命の一言ですけどね。kazuyaさんはこの発言を聞いたときどう思いましたか。

kazuya:実は「FANATIC◇CRISIS」を結成した理由は、努が面白いからなんですよね。歌がどうこう、音楽がどうこうじゃなくて。さっき言ったように発言すら面白くて。

石月:ははは(笑)

kazuya:で、ライブを2人で見ていると、いつも「俺だったらこうやるよね、こうだよね」って言っていて。何もないのに(笑)。すごい自信で2人でしゃべったりしているのが、僕はすごく楽しかったんですよ。


石月:自分の居場所が見つかった気がして、何の用もないのに、なんならスタジオがない日も遊んでいましたからね。

──音楽というより人柄の面で惹かれ合っていたんですね。

石月:今思えば、青春は「FANATIC◇CRISIS」に僕も捧げてきたし、今もこうして活動できていることに感謝です。転生したことの意味合いみたいなことはリテイクベスト盤 2枚を通して伝わってくれればと思いますね。



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