いい音爆音アワー vol.147 バクオン追悼2023

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いい音爆音アワー vol.147 バクオン追悼2023
2024年1月17日(水)@ニュー風知空知
ここ何年か、1月のバクオンは、前年亡くなった音楽業界の方々をまとめて追悼しているんですが、年々亡くなる人の数が増えていると感じます。それもそのはず、ポップミュージックは60年代、ビートルズ以降にどっと広がったので、その頃20歳前後だったアーティストはもう80代ですからね。
昨年もたくさんの音楽人が亡くなりました。曲を聴きながらの追悼はとても全員分はできませんので、私の判断で選ばせてもらいました。


ふくおかとも彦 [いい音研究所]
▶1月
  • ◆Jeff Beck 1月10日 78歳没
    ①Jeff Beck「You Know What I Mean(分かってくれるかい)」

    エリック・クラプトン、ジミー・ペイジとともに、世界の3大ギタリストと呼ばれたジェフ・ベックが細菌性髄膜炎にて亡くなりました。
    クラプトンはギター以外に歌もいいし、ペイジは作曲・編曲やプロデュースに長けていますが、ベックは歌わないし、作曲やプロデュースの能力もそんなにあるとは思えず、まさにギター・オンリーで勝負して、それでもずっと第一人者であり続けたという、潔いミュージシャンでした。
    "The Yardbirds"のギター担当がプロとしてのスタートですが、その後は、ストーンズやディープ・パープルに誘われるも、既存のバンドには入らず、自身のバンドをつくります。ただし、“Jeff Beck Group”とか“第2期Jeff Beck Group”とか“Beck, Bogert & Appice”など、バンド名が適当過ぎ、しかもアルバム2枚出したら終わってしまう。たぶん妥協を許さない性格なんだけど、人や物事をまとめるリーダータイプではなかったんじゃないかなと想像します。
    「You Know What I Mean」は『Blow by Blow』というジョージ・マーティンがプロデュースしたアルバムから。実質これが最初のソロアルバムなんですが、実は“Jeff Beck Group”の最初のアルバム『Truth』が“Jeff Beck Group”ではなく、Jeff Beck名義なんで、厳密に言えばこちらが1st ソロアルバム。このあいまいなところも、まあこの人らしいなと。

  • ◆高橋幸宏 1月11日 70歳没
    ◆信藤三雄 2月10日 75歳没
    ②高橋幸宏「青空」

    高橋幸宏さんは1972年から“サディスティック・ミカ・バンド”、78年から“イエロー・マジック・オーケストラ(YMO) ”に所属、日本を代表する2大プロデューサー、加藤和彦さんと細野晴臣さんの両方から信頼された優秀なドラマーですが、同時にシンガーとして、また作編曲家としても非常に才能のある人でした。脳腫瘍から併発した誤嚥性肺炎のため亡くなりました。
    信藤三雄さんはレコードジャケットのデザイナー。松任谷由実のシングル「VOYAGER〜日付のない墓標」(1984)が初めての作品だそうです。その後、“ピチカート・ファイヴ”や“フリッパーズ・ギター”を初めとする渋谷系はほとんど彼。ユーミン、サザンやミスチル、エレカシ、MISIA、“My Little Lover”などの有名どころも多く手掛けています。おそらくポップセンスでは日本一だったと思うし、その上でひと目で彼の作品と分かる独特のスタイルを持っていました。たとえば商品番号のような業務上必要な要素は、ふつうのデザイナーはイヤがって、小さく書いたり目立たないようにしようとしますが、信藤さんは逆にフィーチャーすることでかっこよく見せました。すばらしいセンスですね。2月に胃がんのため亡くなりました。
    信藤さんはユキヒロさんの作品もいくつか手掛けていますが、その中のひとつ、13thアルバム『Mr. YT』からのシングルが「青空」。シングルのデザインも信藤さんだと思います。とてもいい曲だと思うし、彼の特徴的なネバリ系の歌い方がいい感じです。

1月に亡くなられた方々
1月1日 Fred White(“Earth, Wind & Fire”のdrums Mauriceの異父弟) 67歳没
1月18日 David Crosby(“The Byrds”, “CSN”, “CSNY”) コロナ合併症? 81歳没
1月24日 燕真由美(“リリーズ”の妹) 脳腫瘍 62歳没
1月28日 Tom Verlaine(“Television”のvocal, guitar) 73歳没
1月28日 田川律(音楽評論家) 誤嚥性肺炎 87歳没
1月29日 鮎川誠(“シーナ&ロケッツ”) 膵臓がん 74歳没
▶2月
  • ◆Burt Bacharach 2月8日 94歳没
    ◆Jerry Moss 8月16日 88歳没
    ③Carpenters「Bacharach/David Medley(バカラック・メドレー):Knowing When to Leave(去りし時を知って)〜Make It Easy on Yourself(涙でさようなら)〜(There's) Always Something There to Remind Me(愛の思い出)〜I'll Never Fall in Love Again(恋よさようなら)〜Walk on By〜Do You Know the Way to San Jose(サン・ホセへの道)」

    バート・バカラックについては、昨年3月にこのイベントで追悼特集をやりましたが、改めて。
    1957年、29歳の時に作詞家のハル・デイヴィッドと出会い、60年代にヒット曲を連発しました。1970年にはB.J. Thomas「Raindrops Keep Fallin' on My Head(雨にぬれても)」(1969)が年間1位、“カーペンターズ”が歌った「(They Long to Be) Close to You(遥かなる影)」(1970)も年間5位と、売上的には最盛期を迎えましたが、70年代に入るとなぜかうまくいかなくなり、75年頃にはデイヴィッドとのコンビも解消してしまいました。
    そのカーペンターズの所属レーベルだった「A&M」を、トランペッターのハーブ・アルパートとともに設立したのがジェリー・モスですが、彼は8月に亡くなりました。死因は不明です。A&Mはもともとは、アルパートのレコードを出すためにつくったインディだったのですが、どんどんヒットが出て、世界的なレーベルとなりました。モスの経営手腕が優れていたのだと思います。
    A&Mには“ポリス”などもいましたが、基本はソフトロック路線のレーベルで、やはりカーペンターズなどがその代表的な存在でした。バカラックとモス、二人を追悼して、カーペンターズの、3rd アルバム『Carpenters』に入っている「バカラック・メドレー」を聴きました。

2月に亡くなられた方々
2月14日 岡田徹(“ムーンライダーズ”のkeyboard) 心不全 73歳没
2月14日 恒岡章(“Hi-STANDARD”のdrums) 51歳没
2月27日 有賀啓雄[のぶお](bass、SSW) 前立腺がん 58歳没
▶3月
  • ◆David Lindley 3月3日 78歳没
    ④Jackson Browne「The Lord-Out〜Stay」

    ラップ・スティール・ギター奏者、デイヴィッド・リンドレーは1972年からジャクソン・ブラウンのバンドに入って、70年代の彼の最盛期のサウンドを支えました。私も79年の武道館公演を観に行きましたが、リンドレーは独特の存在感を放っていました。彼はステージではいつもポリエステルの毳毳しいシャツを着ていたようで、「ポリエステル王子」と呼ばれたそうです。
    ジャクソン・ブラウンの5thアルバム『Running on Empty(孤独なランナー)』に収録の「Stay」という曲ではラップ・スティール以外にボーカルも披露していますが、この音源はライブで、その前の「The Load-Out」からつながっていて、そこから続けて聴かないとどうも盛り上がりません。「Stay」はシングルカットされたんですが、やはりラジオではたいてい、「The Load-Out」と連続でオンエアされたとのことです。で、「Stay」ではサビの"Oh won't you stay, just a little bit longer…"という部分を、最初はRosemary Butlerという女性が歌い、ギターソロを挟んで次の回をリンドレーがファルセットで歌います。変な声ですが、なんか味があって、観客にも受けてるのが分かります。

  • ◆Bobby Caldwell 3月14日 71歳没
    ⑤Bobby Caldwell「Special to Me」

    ボビー・コールドウェルは、日本では70年代末にはボズ・スキャッグスと同じくらい人気があったAORシンガーです。なぜか日本ではAORというジャンルが人気なんですが、そもそもこのAOR=Adult Oriented Rockは和製英語で、米英にはそういうジャンル名はありません。あちらでは「Adult Contemporary」というのがそれに近いものとしてあります。
    80年代以降はシンガーとしての実績は低迷したコールドウェルですが、日本では引き続き人気があって、たばこのパーラメントのCMで流れて話題になったことで、1992年の第34回日本レコード大賞で、「外国アーティスト賞」を受賞しています。
    「Special to Me」は彼のデビューアルバム、なぜか「イブニング・スキャンダル」という邦題がついている『Bobby Caldwell』に収録されています。

  • ◆坂本龍一 3月28日 71歳没
    ⑥坂本龍一「PARADISE LOST」

    ユキヒロさんに続いて、坂本龍一さんも亡くなりました。2014年に中咽頭がんと発表があって、その後もいろんな仕事を精力的にされていましたが、20年には直腸がん、21年には肺がんと、あちこちに転移していったみたいですね。
    坂本さんは歌のメロディではそれほどすごいと思うものはないんですけど、インストポップチューンのメロディはすばらしい。なんてことないようでいて、何度聴いても飽きない。ここに彼の天才性があったと思っています。
    そんな曲のひとつ、「PARADISE LOST」は名盤『音楽図鑑』に収録されています。

3月に亡くなられた方々
3月2日 Wayne Shorter(t-sax & s-sax “Weather Report”創設者) 89歳没
3月4日 Michael Rhodes(bass) 膵臓がん 69歳没
3月5日 Gary Rossington(“Lynyrd Skynyrd”のguitar) 71歳没
3月23日 Keith Reid(“Procol Harum”の作詞家) 大腸がん 76歳没
4月に亡くなられた方々
4月25日 Harry Belafonte(歌手、俳優、「バナナ・ボート」、「USA for Africa」の提唱者) うっ血性心不全 96歳没
5月に亡くなられた方々
5月19日 上岡龍太郎(元“漫画トリオ”の横山パンチ 2000年引退) 肺癌と間質性肺炎 81歳没
5月24日 Tina Turner(“Ike & Tina Turner”) 83歳没
▶6月
  • ◆Astrud Gilberto 6月5日 83歳没
    ⑦Stan Getz & João Gilberto「The Girl from Ipanema(イパネマの娘)」

    アストラッド・ジルベルトはブラジル人歌手。1959年、19歳でジョアン・ジルベルトと結婚。63年に、彼が米サックス奏者のスタン・ゲッツと組んでつくったアルバム『Getz/Gilberto』で、「イパネマの娘」を英語でやろうということになり、アストラッドはプロのシンガーじゃなかったのに、その場に英語で歌える人が彼女しかいなかったので、歌わせてみると、素人っぽい朴訥とした感じがよいと、プロデューサーのクリード・テイラーが気に入って、シングルでリリースしました。そしたら全米5位、Easy Listeningチャートでは1位の大ヒット。1965年のグラミー賞ではなんと「Record of the Year」を受賞し、アルバムも「Album of the Year」をゲットしました。「Album of the Year」を獲得した最初のジャズ・アルバムだそうです。

6月に亡くなられた方々
6月1日 Cynthia Weil(作詞家 Barry Mannとコンビ) 82歳没
6月20日 佐藤剛(音楽プロデューサー、ノンフィクション作家) 大腸がん 71歳没
▶7月
  • ◆Sinéad O'Connor 7月26日 56歳没
    ⑧Sinéad O'Connor「Nothing Compares 2 U」

    アイルランド、ダブリン生まれのSSW、シネイド・オコナーが長年に渡るメンタルヘルスとの闘いの末、56歳の若さで亡くなりました。
    デビューの時はまだハタチだったんですが、いきなり丸坊主で、その説得力のある歌唱とともにかなりインパクトのある登場でした。母親に虐待されながら育ち、15歳で非行少女のためのカトリックの施設に入れられるなどで、心に深い傷を負ってたようで、そういうものが歌や言動にも現れていたんでしょうね。
    「Nothing Compares 2 U」はPrinceが“The Family”に書いた曲のカバーで、2nd アルバム『I Do Not Want What I Haven't Got(蒼い囁き)』のリードシングルとしてリリースされ、シングル、アルバムともに、全英でも全米でも1位という大ヒットになりました。

  • ◆Randy Meisner 7月26日 77歳没
    ⑨Eagles「Take It to the Limit」

    “Eagles”のオリジナル・メンバーの一人だったベーシスト、ランディ・マイズナーは慢性閉塞性肺疾患(COPD)の合併症でなくなりました。
    1stから5thアルバム『Hotel California』(1976年12月発売)まで在籍して、その間、何曲かソングライティング、そしてリードボーカルもとっていますが、いちばん成功したのが4thアルバム『One of These Nights(呪われた夜)』からの第3弾シングルとなった「Take It to the Limit」です。マイズナーが歌った中で、唯一シングルになった曲で、全米4位のヒット、Eaglesの代表曲のひとつになったのですが、高音部がマイズナーにとってもギリギリの高さで、ライブではしんどいらしく、あまり唄いたくなかったそうです。でも人気曲だからやらないわけにはいかないと、しょっちゅうグレン・フライと揉めていたようで、『Hotel California』のあとのツアーで、一度殴り合いの喧嘩になって、その後、マイズナーはバンドを辞めました。

7月に亡くなられた方々
7月7日 PANTA(本名:中村治雄 “頭脳警察”、“PANTA & HAL”) 肺がんによる呼吸不全と心不全 73歳没
7月16日 Jane Birkin(女優・歌手 夫:セルジュ・ゲンズブール 娘:シャルロット・ゲンズブール) 76歳没
7月21日 Tony Bennett(歌手 イタリア系アメリカ人) 96歳没
▶8月
  • ◆Robbie Robertson 8月9日 80歳没
    ⑩The Band「Ophelia」

    “The Band”のギタリストだったロビー・ロバートソンが、1958年、15歳で参加した“Hawks”というバンドがやがてThe Bandとなったのですが、1976年11月、「The Last Waltz」というコンサートをやって解散しました。これはマーティン・スコセッシ監督によって映画化されましたが、この縁がもとで、以降はスコセッシ監督の映画の音楽をいろいろ(「レイジング・ブル」(1980)、「ギャング・オブ・ニューヨーク」(2002)、「アイリッシュマン」(2019)など)担当します。昨年10月に公開された、同監督・レオナルド・ディカプリオ主演の「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」も音楽はロバートソンで、これが最後の仕事でした。
    The Bandの6thアルバム、ロバートソンが全曲ソングライティングを担当している『Northern Lights – Southern Cross(南十字星)』に「Ophelia」は収録されています。ボーカルはリヴォン・ヘルムですが、ロバートソンの個性的なギターソロが聴けます。

8月に亡くなられた方々
8月4日 John Gosling(“The Kinks”のkeyboard) 75歳没
8月5日 ISSAY(“DER ZIBET”のvocal) 不慮の事故 61歳没
8月16日 Jerry Moss(A&M創業者) 88歳没
8月24日 Bernie Marsden(“Whitesnake”のguitar) 72歳没
8月30日 Jack Sonni(1984に“Dire Straits”に加入 1988から楽器メーカー社員 2001にGuitar Center副社長) 68歳没
9月に亡くなられた方々
9月19日 棚橋静雄(“ロス・インディオス”前リーダー) 多臓器不全 85歳没
9月20日 Katherine Anderson(“the Marvelettes”メンバー) 心疾患 79歳没
▶10月
  • ◆谷村新司 10月8日 74歳没
    ⑪アリス「明日への讃歌」

    “アリス”として、ソロシンガーとして、またソングライターとして大きな実績を残された谷村新司さんも早い死でした。3月に急性腸炎で入院して手術、療養中だったそうです。
    1971年の暮にアリスを結成しまして、桑名正博の実家の蔵で練習を重ねたということです。桑名さんの実家はお金持ちで大きな家だったそうなんですね。アリスがまだ売れてなかった頃、よく大阪のデパートの催し物会場なんかで、やはり売れてなかった桑名さんの“ファニー・カンパニー”と対バンで無料ライブをやってたのを、何度か観たことがありますが、彼らにはそういうつながりがあったんですね。
    「明日への讃歌」はデビューから2枚目のシングルです。もちろん谷村新司作詞作曲で、パチンコ屋でこれがかかると調子よくなった、アリスで私がいちばん好きな曲です。

  • ◆Rudolph Isley 10月11日 84歳没
    ⑫The Isley Brothers「Harvest for the World」

    あの“アイズレー・ブラザーズ”の次男、ルドルフ・アイズレーは心臓発作で亡くなりました。
    50年代から兄弟の上3人でアイズレー・ブラザーズを結成して、59年にデビュー、60年代半ばにはまだ無名だったJimi Hendrixをバックバンドのメンバーとして雇っていました。ジミはアイズレー家に居候していまして、その練習を見て、幼かった四男のアーニー(Ernie Islay)は大きな影響を受けました。1971年頃にそのアーニーと五男マーヴィン(Marvin)、さらにルドルフの妻の弟のクリス・ジャスパー(Chris Jasper)も加わって6人組となり、アーニーはギターソロを弾きまくります。
    1986年に長兄のケリー(O’Kelly)が突然、心臓発作で亡くなり、そのショックから立ち直れずに、ルドルフは1989年にグループを辞めて、キリスト教の聖職者になりました。
    「Harvest for the World」はグループの代表曲のひとつ。次男ロナルド(Ronald)がリードボーカルを担当していて、ルドルフはコーラスのみですが、ソングライティングにはメンバー全員で参加しています。

10月に亡くなられた方々
10月15日 有働誠次郎(ウドー音楽事務所ファウンダー) 老衰 92歳没
10月18日 もんたよしのり(“もんた&ブラザーズ”) 大動脈解離 72歳没
10月19日 櫻井敦司(“BUCK-TICK”のvocal) 脳幹出血 57歳没
10月26日 犬塚弘(“クレージーキャッツ”) 94歳没
10月29日 HEATH(“X JAPAN”のbass 本名:森江博) 大腸癌 55歳没
▶11月
  • ◆三浦徳子 11月6日 75歳没
    ⑬吉川晃司「モニカ」

    作詞家の三浦徳子さんが肺炎で亡くなりました。
    1977年、高田みづえのシングル「硝子坂」のB面「DÔMO DÔMO」にて作詞家デビュー。78年9月発売の八神純子「みずいろの雨」が出世作。以降80年代にかけてヒットを連発しました。代表作には杏里「CAT'S EYE」、郷ひろみ「お嫁サンバ」、沢田研二「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」、早見優「夏色のナンシー」、松田聖子「青い珊瑚礁」、松原みき「真夜中のドア〜Stay With Me」などなど。私は音楽Dとして、山下久美子「LOVIN' YOU」を書いてもらいました。
    吉川晃司のデビュー曲「モニカ」も彼女の代表作のひとつです。三浦さんは基本的に曲先で書く人で、作曲の“NOBODY”という二人組は基本、曲を先につくる人たちなんですが、この曲は木﨑賢治プロデューサーの要望で、歌詞を先に、それに曲をつける形でつくられました。いつもと違うやり方をすることで、新鮮な感覚を引き出そうということと、歌詞が先のほうがヒットが出やすいというのも、木﨑さんの持論なんです。この曲も、サビの「Thanks, thanks, thanks, thanks モニカ」のところは元の歌詞では「thanks」ひとつだったんですが、曲をつけるに際して4回繰り返して、結局そこがこの曲のアピールポイントになりました。たしかに曲が先だとこういうメロディは出てこないでしょうね。

  • ◆大橋純子 11月11日 73歳没
    ⑭大橋純子「ペイパー・ムーン」

    大橋純子さんは2018年に食道がんを発表されて、でもその後よくなって、21年の松本隆さんの50周年イベント「風街オデッセイ」でも元気に唄っておられましたが、23年3月に再発し、そこからは早かった。
    大橋さんというとニューミュージック、SSWのイメージがありますが、実際は歌詞はいくつか書いているものの、ソングライターではありません。しかも歌謡曲系の作詞・作曲家の作品が多い。それでも歌謡曲の匂いがしないところが、彼女の個性ですね。
    そんな作品のひとつが、最初のスマッシュヒット、2ndシングルの「ペイパー・ムーン」。作詞:松本隆/作曲:筒美京平の黄金コンビ。編曲は深町純でこれはちょっと意外かな。同名の2ndアルバムにも収録されました。

11月に亡くなられた方々
11月12日 KAN(本名:木村和) メッケル憩室癌 61歳没
11月17日 George Brown(“Kool & the Gang”のdrums 創設メンバー) 肺癌 74歳没
11月26日 チバユウスケ(“THEE MICHELLE GUN ELEPHANT”〜“The Birthday”)食道癌 55歳没
11月30日 Shane MacGowan(“The Pogues”のvocal) 肺炎 65歳没
▶12月
  • ◆Denny Laine 12月5日 79歳没
    ⑮Wings「Mull of Kintyre(夢の旅人)」

    元“Wings”のデニー・レインが新型コロナウイルスの後遺症である間質性肺疾患(ILD)によって亡くなりました。
    1964年、“ムーディ・ブルース”の創設メンバーとなりますが、どんどんシンフォニック化していくのがイヤで、66年に脱退。以降いくつかのバンドに加入しつつも、いずれも長続きせず、だけど71年、ポール・マッカートニーに誘われて、“Wings”を結成すると、これは長く、ドラムやベースはころころ替わったんですが、デニーは81年の解散までずっといました。
    ポールの存在感が大き過ぎて、目立たなかった人ですが、Wings最大のヒットである「Mull of Kintyre(夢の旅人)」はポールとデニーの共作です。この曲は米国ではあまり売れなかったんですが、英国では9週連続1位、200万枚以上売り上げました。これはビートルズで一番売れたシングル「She Loves You」を超え、1984年にBand Aidの「Do They Know It’s Christmas」に抜かれるまで、英国史上1位だったとのことです。

  • ◆八代亜紀 12月30日 73歳没
    ⑯八代亜紀「なみだ恋」

    年明け、1月10日の朝刊に八代亜紀さんの訃報が載ったのですが、年末に亡くなっておられました。抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎と急速進行性間質性肺炎で9月に入院して療養中でした。昨年3月に「徹子の部屋」に出演されて、その時はまったくお元気な様子だったので、こんなに急に亡くなられるとは驚きました。
    私が八代亜紀さんを知ったのは「全日本歌謡選手権」というテレビ番組。オーディション番組なんですが、アマ・プロ問わずで、100点満点で70点以上取れば翌週も出れる、10週連続勝ち残ればグランドチャンピオンということだったんですが、審査員が淡谷のり子さんとか竹中労さん、船村徹さん、鈴木淳さんらで、すごい辛口で、ほんとに歌がうまくないと通らない。その点、同時期の「スター誕生」はアイドル性のみが勝負でしたから好対照。高校生だった僕はだんぜん「全日本歌謡選手権」のほうが好きでした。で、初代グランドチャンピオンが“胡浜三郎”という人で、デビューしたものの、あまり売れなかった。2代目は“井口きよ”という女性だったんですが、この人は全然情報がない。3代目が「三谷謙」と名乗っていた五木ひろしで、4代目が八代亜紀さんでした。彼女はもうデビューしていたのですが、まだ全然売れてなかった。で、この番組がきっかけで広がりだして、4枚目のシングル「なみだ恋」でブレイクしました。
    彼女のいちばんの代表曲は「舟唄」でしょうし、あれもいい歌なんですけど、今回聴き直して、やはり「なみだ恋」の歌唱が好きでした。「♪夜の新宿」の「く」の発声がとても難しいようで、テレビ出演などで本人もうまく歌えてないことがあるんですが、レコードではバッチリです。

12月に亡くなられた方々
12月6日 島崎俊郎(お笑い芸人 元“ヒップ・アップ”) 急性心不全 68歳没
12月29日 坂田利夫(「吉本新喜劇」の喜劇役者) 老衰 82歳没
12月31日 中村メイコ(女優) 肺塞栓症 89歳没

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