レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、オーディションでのチャド・スミスの第一印象は最悪

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Photo Credit: Clara Balzary

レッド・ホット・チリ・ペッパーズの『Mother‘s Milk』(1989年)をプロデュースしたマイケル・バインホーンによると、1988年にD.H.ペリグロが解雇された後行われた新ドラマーのオーディションは難航し、最後に姿を見せたチャド・スミスの第一印象は最悪だったという。

バインホーンは先月、アメリカ人のYouTuber、Rick Beatoのポッドキャストでこう語っている。「僕は、“チリ・ペッパーズだろ、新しいドラマーを見つけるのに大した問題はないだろう”って思ってた。でも実際のところ、(オーディションでは)あんなにぱっとしないドラマーの一団を目にしたのは人生初だった。ガッカリしたよ…。彼ら全員合わせてもD.H.(ペリグロ)のほうがいいじゃないかって思ったね」

オーディションの最終日、彼とバンド・メンバーたちが辟易し、早く終わることを願っていたとき、最後に現れたのがチャド・スミスだったという。バインホーンいわく、スミスは「我が物顔」で、入って来たらしい。

「僕ら全員、即座に彼を嫌った。彼を見た全員が、なんだこいつ…、最悪って思ったんだ。彼はメタル・バンドの一員のように見えた。頭にバンダナを巻き、なんかズレてるって感じだった。僕は、さっさと出て行って欲しいと思ったよ。“名前は?”“チャドだ”って、もう完璧な名前じゃないか。とっととプレイし、出てけってなもんだったよ」

「(でも)最初の一打で、僕は“オー・マイ・ゴッド”って思った。すごく滑稽なのに、彼は本当に、本当に良かった。そして、その場で、僕が人生で数回しか体験したことがない、何かが起きたんだ。エネルギーの扉が開いたような…。あらゆる扉が開き、魔法がかけられ、全てが上手くいくみたいな。映画の1シーンのようだった。全てが一変した。あれは凄かった」

その場にいたアンソニー・キーディス、フリー、ジョン・フルシアンテは、スミスがプレイする間、笑いをこらえていたそうだ。「彼らはスミスを嫌っていたのに、彼はオーディションしてきた中で最高のドラマーっていうだけでなく、おそらく、これまでプレイしてきた中で最高のドラマーだったからね」

スミスとフルシアンテが加入し制作された『Mother’s Milk』は、レッド・ホット・チリ・ペッパーズが世界的にブレイクする足掛かりとなった。


Ako Suzuki
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