【インタビュー】ALデビュー15周年&現体制10周年“兀突骨”リーダー高畑治央が振り返る今までの歩み
■ デス・メタル初心者の人が聴いて良いなと思えるものを
── そして2009年に記念すべき1stアルバム『魍魎』がリリースとなるのですね。
高畑:メンバー全員アルバムのレコーディングは初めてで苦戦して、自分も含めて当時のメンバーは演奏に満足いっていませんでした。ミックス作業はいつになったら終わるのなって感じでしたし。自分も含めて未熟だなって思い知らされて、アルバム1枚をレコーディングするのがこんなに大変なんだって思い知らされました。
── でも、この『魍魎』の時点で兀突骨のスタイルは確立された印象はありますね。テクニカル感もありますし。
高畑:でもテクニカルな面というのは目指していなかったんです。一風変わったオリジナル感を出そうとはしていて、難解にしてリスナーが追いつけないものは作りたくなかった。基本キャッチーに仕上げて多くの人に聴いてもらえるデス・メタルにしたいって思いがあったんです。デス・メタル初心者の人が聴いて良いなと思えるものを目指していました。
── デス・メタルにフックを与える手段と言う意味でテクニカルな部分を取り入れた感じですね。
高畑:そうです、曲にフックを与える為にテクニカルな展開を入れただけで、テクニカルなことを目指したのではないのです。
── 日本語で歌うのも「アジアのメタル・バンド」ということを意識してですか?
高畑:最初は日本のリスナーにアピールするなら日本語かなって思いがありました。この頃は海外ツアーに出るといった意識はなくて、国内デス・メタル・シーンの活性化に協力できたらなって思いが強かったんです。今から振り返ると若造が生意気なって感じですけど(笑)。
── 歌詞の世界観も戦国時代に関係したものが多いですが、それも同じ理由からだったのですか?
高畑:勿論そうです。それと自分が歴史小説や映画が大好きでイマジネーションを得て曲にしているというのもあります。日本人の歴史小説って負けた方の立場に立って書くのが多くて人気もあるんですよ。日本人向けに曲を書くなら敗軍の将のことを書いた方が良いかなって。
── 日本人は「敗者の美学」に惹かれますね。
高畑:日本人は新選組や赤穂の討ち入りとか最後には皆死んじゃうみたいなのが好きですよね。ところがアメリカは逆で勝者にスポットが当たるんです。MANOWARなんて負け戦を歌にしないで、いつも「VICTORY!」って歌っていますから(笑)。
── 『魍魎』のオープニングを飾る「出陣」はスラップ・ベースから始まりますね。
高畑:これでメタルをやっていくという目立とう精神の表れで、アーティストあるまじき不純な動機からですよ(笑)。
── 今回アルバムを通して全部聴いたのですが、振り返るとこの「出陣」で始まったということで何となく高畑さんの考えていることが分かった感じで(笑)。
高畑:承認欲求の塊です(笑)。
── このアルバムでは「カミソリ」や「川越ノ残虐王」が人気曲ですね。最近「川越ノ残虐王」はあまりやっていない感じがしますが。
高畑:実は東京以外のライブではよくやっているんです。歌詞で「川越」の部分をその都市の名前に変えてやっているんです。だからその時は「高崎ノ残虐王」や「南堀江ノ残虐王」といったタイトルになるんです。
── 東京でライブを観ることが殆どなのですがやっていないですよね。
高畑:地方に行った時にアンコールでこれをやるとウケるんです。この前もアンコールで「川崎ノ残虐王」をやりました。東京でもやらないといけないですね、「高円寺ノ残虐王」とか。今度やりますよ(笑)。
── 2011年に島田さんが脱退、高橋さんが加入して2013年に2ndアルバム『影ノ伝説』をリリースしますね。このアルバムは長尺の曲が殆どですね。
高畑:この頃プログレにハマってKING CRIMSONばかり聴いていました。それでエピックな曲ばかりを作る病気になってしまって(笑)。あのアルバム、全部で70分超えですから。
── 一番短い曲でも軽く5分超えでしたね。
高畑:7分、8分は当たり前でしたね。一時IRON MAIDENがプログレ路線になったのと同じ状態でした。同じリフを引っ張って引っ張って展開を変えて、それからまた頭に戻って感動ポジションを盛り込むって作曲プロセスでした。この時のレコーディングはクリックなしで頭から終わりまで皆一緒にせーのって感じでレコーディングしました。
── 70年代ならまだしも、今の時代にその方法でレコーディングはかなり大変だったと思うのですが、何故その手法を取ったのですか?
高畑:大変でした。別々にレコーディングするとライブでのドライブ感が出ないと思ったから一発録りでやろうとなったのですが、8分の曲だと8分ずっと弾き続けなければならなくて集中力の維持がキツくて。ちょっとした間違いなら修正できますが、失敗したらまた頭から録り直しでした。
── その手法で他のメンバーから反対はなかったのですか?
高畑:メンバー全員、間違えたらまたやり直したらいいじゃんって潔さを持っていて反対もなかったんです。でも本当に大変で、もう二度とこの手法はやりたくないってレベルでした(笑)。
── メンバー間で険悪にはならなかったのですか?
高畑:険悪になりましたよ(笑)。結局彼らとはこのアルバムが最後になりましたが、それが原因かもしれないですね(笑)。特にドラムは負担かけましたね。ツービートのテンポ260で8分叩き続ければ当たり前に大変でしたし。レコーディング終わって作品リリースしたら皆やったぜって感じで天狗になった部分も出てきてしまって。海外アーティストのオープニングもかなりやった頃で、イギリス、アジア、オーストラリア・ツアーもやりました。それで大きな仕事をやった感も出てきたことでギクシャクした原因にもなってしまいました。
── レコーディングで軋轢が生まれて、その後のツアーやら何やらでそれで足並みが揃わなくなっていったのですね。
高畑:あの時は自分も含めて地に足が付いていなかった気がします。このアルバムは呪われているかもですね(笑)。
── このアルバムのボーナス・トラックでPINK FLOYDの「吹けよ風、呼べよ嵐」(原題:One of These Days)をカヴァーしていますね。伊東潤の歴史小説「吹けよ風呼べよ嵐」に引っ掛けてですか?
高畑:アブドーラ・ザ・ブッチャーのテーマ曲でしたよね。それで伊東潤さんの小説タイトルを見たら「ブッチャーのテーマ曲じゃん」って興味を持ったのが切っ掛けで読んで、Twitter時代に伊東さんと繋がったんです。伊東さんはプログレが好きって分かって、兀突骨のライブにも来てくれたんです。5枚目のアルバムの帯にもコメント書いてくれました。他のメンバーはPINK FLOYDを通ってなかったし、何でこの曲を入れることになったか今となっては忘れてしまいました。スタジオの空き時間に何となく録ったら面白いじゃんとなったのは覚えていますが。
── 『魍魎』では邦題の他にローマ字読みも併記していましたが、この『影ノ伝説』では英訳的曲名も併記していますね。
高畑:邦題と洋題の2種あるものに憧れもあったんです。海外のアーティストの音源を買って、英語のタイトルがあるけど邦題はどんなのだろうって楽しみにしていたので。一時期、Toy’s Factoryのデス・メタル系の邦題が凄かったじゃないですか。CARCASSとかふざけてるかと思ったら原題に忠実だったりで、あれをやりたかったんです。それを海外のリスナーに仕掛けて興味を持ってくれたらって考えて。このアルバム以降は同じ手法を取っています。
── あとメンバーのルックスも『魍魎』の時はライダースに軍パンとデス・メタル的だったのが、甚兵衛に軍パンと変わってきましたね。
高畑:海外ツアーを組んでくれたプロモーターが海外でやるなら着物を着たら絶対にウケるって言ってきたんです。最初はイロモノで見られるかなって嫌で、曲だけで勝負したい思いもあったんです。彼らも兀突骨のことを思って助言してくれたのかなって思って、2012年のイギリス・ツアーは甚兵衛を着てやったらバカウケだったんです。その後12月にオーストラリア・ツアーだったのですが、その時は袴も履きました。『影ノ伝説』をリリースして3rアルバム『因果応報』をリリースする間は海外では着物で国内では甚兵衛に軍パンでした。今のギタリスト円城寺が加入してからは国内外全て着物で統一しています。
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