【インタビュー】Kazuo、海外大規模フェスで掴んだ手応え「自分だけのSunflower、でっかいひまわりを咲かせたい」
日本人と黒人のダブルで、ラップとミクスチャーロックをクロスオーバーさせたサウンドで注目を浴びるKazuoが、メジャー1stアルバム『KAMI!』をリリースした。
◆Kazuo 画像
ラップ、歌、作詞作曲に始まり、映像制作やグラフィックデザインまで、すべてをD.I.Yで手がけるマルチな才能の持ち主は、現在までどのような道を歩んできたのか。生い立ちを振り返りつつ、活動を続ける中で感じた苦悩や、『KAMI!』の制作裏話、2023年8月に日本から唯一参加してきた海外フェスの体験談まで幅広く語ってもらった。
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■ビートの作り方を勉強しながら曲を作って
■クラスメイトに聞かせることが目標だった
──NY生まれで神奈川育ちだそうですが、いつまでNYにいたのですか?
Kazuo:4歳までNYにいて、その後、横浜に引っ越して、高1の始めの15歳頃にまたNYに戻って、2020年12月に日本に帰国しました。
──お父さんがアメリカ人でお母さんが日本人だそうですが、お父さんはどんな方ですか?
Kazuo:ブルックリン生まれの黒人です。だから小さい頃はブルックリンに住んでいました。
──日本にいた4歳〜15歳までは、日本の学校に通っていたのですか?
Kazuo:幼稚園から小学校3年生までは横須賀にある基地の中の学校に通っていました。小3から高1までは横須賀にある日本の学校でした。
──肌の色のことでいじめとかは?
Kazuo:基地の学校ではなかったです。日本の学校に移ってからはありました。肌の色のこと、人種のこと、「お前は本当の日本人じゃない」とか「純血じゃない」とか言われました。
──思春期の頃に自分のアイデンティティーをどう受け止めていましたか?
Kazuo:もとから俺は黒人と日本人の両方の血が入ってると思ってたんです。俺はハーフじゃなくてダブルだと。周りの人がそれを受け入れてないのは可哀想だと思ってたくらい。
──バイレイシャルであることがコンプレックスにはなっていなかった?
Kazuo:なってなかったです。むしろ、ちょっと得じゃんみたいな。俺は周りと違うんだ、特別なんだと思ってました。
──音楽に興味を持ったのはいつ頃ですか?
Kazuo:最初はラップでした。7歳のときから母と暮らしていて、親父の思い出はあまりないけど、親父はNY出身だからヒップホップ、特に90年代のラップが好きで。
──ブルックリン出身ということはNasとか?
Kazuo:Nasが一番好きでした。地元のヒーローだから。あとはLL Cool JとかRakimとか。俺がまだ母のお腹の中にいるときにビギー(The Notorious B.I.G.)のライブを一緒に観に行ったらしいです。
──そういうNY産ラップを小さい頃から自然と耳にしていた?
Kazuo:周りがヒップホップだらけでした。家にはCDがあって、みたいな。自分からヒップホップのCDを聞いたのは7歳の頃で、エミネムの「The Eminem Show」だったと思います。
──その頃からラップもやっていたのですか?
Kazuo:ふざけて、真似てやってましたね。当時流行っていたLil Wayneとかエミネムとか、Big Seanとか、いろいろ真似してやってました。
──音楽を作るようになったきっかけは?
Kazuo:13歳の頃です。DJをやっていた先輩がFL Studioというビートメイクのアプリを教えてくれて。その人のところに週末行ってフリースタイルをやったりとか。先輩もビギナーだったから、一緒にビートの作り方を勉強しながら曲を作ってクラスメイトに聞かせることを目標にしてました。だけど、結局そこまでいかなかったです(笑)。ふざけすぎてて、これじゃ誰にも聴かせられないよって。
──最初はビートメイクの方に興味があったのですね。
Kazuo:そうです。その頃は自分の声が好きじゃなかったから。ビートを作って、ラップが好きなクラスメイトにあげようと思っていました。
──15歳でNYに戻ってから、音楽への取り組み方はどう変わりましたか?
Kazuo:NYの高校に転校したら、クラスメイトにラップをやってるヤツが結構いて、それに影響されてビートメイクよりラップの方が好きになっていったんです。そこから、いろんなサイファーに参加するようになりました。
──本気でラッパーをめざしたのは?
Kazuo:高校卒業後です。同い年のクラスメイトは、みんな自分の人生を楽しんでいるのに俺はバイト生活で苦しんでるなって。そのときに俺は何ができるんだろう?と思って。死ぬまで続けられること、情熱を注げることは何だろう?って考えたときに、ラップを本気でやってみようと。2、3ヶ月でやめた趣味もあったけど、ラップだけはずっと続けていたからラップで行くべきだって気付いたんです。それが19でした。
──その頃から自分でビートを作ってラップを乗せるようになったのですか?
Kazuo:最初はタイプビートを使ったり、ビートジャックをしてました。ドレイクとかエミネムとか、本当にいろいろ片っ端からやってましたね。
──その頃、転機になったことは?
Kazuo:20歳頃かな。その頃はフリースタイルをやっても、俺がベストだ、俺が一番だ、みたいなことをラップしていて、自分のことを紹介する曲がなかったんです。俺はKazuoです、日本にオリジンを持つ男です、みたいな曲がなかったから、「GAIJIN」という曲を作って、2017年にMVをYouTubeに上げました。俺は日本人と黒人のダブルで、日本にいたときにめっちゃいじめを受けたというストーリーを書いて。そこが自分的にデビューでした。
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