【プロミュージシャンのスペシャル楽器が見たい】SHOW-YA 仙波さとみ、年季の入ったビルローレンスBP JR-60G

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デビュー38周年を経て、ますます存在感を放っているSHOW-YA。2022年は精力的な活動が続き、LINE CUBE SHIBUYA公演では初のフルオーケストラとの競演。その公演を収めたDVD+CD『BATTLE ORCHESTRA 2022』もリリース。そして2023年には、SHOW-YAの楽曲とカバー曲で構成されたライブ第2弾『SHOW-YA × COVERS』vol.2を開催。有観客ライブということで大きな盛り上がりを見せた。
そのSHOW-YAのリズム隊の1人としてこのバンドを支え続けている仙波さとみ(Bass)が、愛用の機材について語るインタビュー。同席した角田“mittan”美喜(Drums)とのやり取りを交えつつ、微笑ましい思い出にも触れてくれた。

■自分たちの信じた道を進むだけでした
■何かを言われても気になることはなかった


――ロックや楽器に興味を持つようになったのはいつ頃ですか?

仙波さとみ(以下、仙波):中学1年生の時にテレビでベイ・シティ・ローラーズを観まして、ミーハー的に憧れたのが最初です。それで友だちと「バンドやってみようか?」っていうことになりました。『ぎんざNOW!』『アメリカン・トップ40』とかも放送されていた時代なので、いろんな音楽が日本に入ってきた頃だったんですよね。他の子たちはやりたい楽器があって、残ったのがベース。「じゃあ私はベースで大丈夫だよ」と(笑)。でも、結果的に自分には向いていたのかもしれないなあって思います。

――もともと習っていた楽器はあったんですか?

仙波:ピアノは1年くらい習って挫折しました。先生が厳しかったので。ト音記号とヘ音記号の違いがわからなくて、「違う!」って言われるだけで、何も教えてくれなかったんです。小学校1年生の頃です。「何が違うんだろう? 同じドの音じゃないの?」ってなっていましたね。

――それほど音楽に関心が強いお子さんではなかったんですね。

仙波:そうだったと思います。中1の時も、「バンドを組んでみたい」って漠然と思っただけでしたから。

――「バンドを組もう」という話になって、すぐにベースを買いました?

仙波:私がうだうだしていたので、友達が勝手に通販で買っていました。「ベース買ったよ。お金ください」と(笑)。そんな感じで手に入れて、基礎を教えてくれる友達のところに行ったんですけど、ケースを持っていなかったので紙袋に入れてバスに乗りました。アメリカのロスとかだったらベースをそのまま持って移動するとかかっこ良いんでしょうけど、日本ですからね。

――初めて買ったのは、どこのメーカーのベースでした?

仙波:メーカーは覚えていないんですけど、プレシジョンベース・タイプだったと思います。白いボディに黒のピックガードでした。

――高校に入ってからは、どうなっていきました?

仙波:周りに音楽が好きな人たちが増えて、「バンドをやろう」っていうことになったんです。ビートルズをやったり、Chage & Askaやったり。主体性のないバンドでした(笑)。

――(笑)。リスナーとしては、どういう音楽がお好きでした?

仙波:高校の時はビートルズ。最初のライブは文化祭だったんですけど、そこで初めてコピーしたのが「ハロー・グッドバイ」。ステージで一応ボーカルなんてやったりして。

――ベーシストとしての原点は、ポール・マッカートニーということになるんですかね?

仙波:わりとそういうことなのかもしれないです(笑)。そんな感じでバンドをやるようになって、ライブの対バンで音楽仲間が広がっていきました。周りの影響でアイアン・メイデンも聴くようになりましたから。スティーヴ・ハリスのベースの独特なフレーズの速弾きに惹かれて、弾いてみるようにもなりましたね。「彼は3本指で弾いてる」っていう噂を聞いて真似してみたりもして。

――高校に入ってからは、学園祭以外でもライブをやっていたんですか?

仙波:ライブハウスっていうより、ちょっとした会場を借りて対バンの人たちと自主企画でやる感じでした。

――「ベース、上手いね」とか、周囲から言われていました?

仙波:「上手い」なんて言われたことはないですよ。でも、「ステージに立ってる姿、かっこ良いね」って言われるのは気持ちよかったです。通っていた高校は女子高で、初めての文化祭のステージに立った時、既にファンみたいな人たちがいてくれて(笑)。「かっこ良いって言ってもらえるのって気持ちいいんだなあ」って思いました。

――そんな高校時代を経て、SHOW-YAに加入するまでの経緯は、どのようなものだったんでしょうか?

仙波:SHOW-YAに入る前にバンドを2つくらいやっていたんです。その内の1つはプロを目指していまして、いろんなコンテストにも出ていました。「今年は優勝したいんだ」っていうバンドで、「ベース抜けたんで入りませんか?」って言われて、「やるやる!」と。でも、その頃の私はいい加減だったので、ちゃんと練習もせずにやっていたらクビになっちゃったんですよ(笑)。「私はこのままじゃいけない。奮起しないと!」ってなって、雑誌のメンバー募集を見ていろんなバンドと連絡を取り合うようになりました。「見返してやる!」じゃないですけど。そんな中で、SHOW-YAと出会いました。知り合いから「SHOW-YAのベースが抜けて、メンバーを探してるよ。ライブハウスで活躍してる女の子バンドで、かっこいいよ」っていう話を聞いてオーディションを受けました。SHOW-YAは、オーディションの前からちょっと知っていたんですけど。


――一目置かれているバンドだったんじゃないですか?

仙波:そうでしたね。かっこ良かったですよ。独特な感じがあって、例えばランナウェイズみたいな感じに分類されるようなバンドでもなくて。当時のSHOW-YAはプログレっぽい雰囲気もあったんです。私が入る前にmittanが既に加入していて、「女の子で、こんなにパワフルなドラムを叩く人がいるんだ?」って、初めてライブを観た時に思ったのも覚えています。

――オーディションを受けた時、「入りたい」という強い気持ちはありました?

仙波:はい。この時はさすがに一生懸命練習して準備しましたよ。「もう後がないぞ」って思っていましたから。

――「ミュージシャンとしてやっていきたい」という気持ちは、明確にあったんですか?

仙波:漠然とでしたけどね。中学の時から何もやっていなかったんですけど、「私は音楽でプロになるんだ」っていうのは漠然とあったんです。それでずっとやってきて、チャンスを掴んでプロになることができました。改めて思い返すと、ラッキーだったなと思います。

――加入したSHOW-YAの雰囲気は、いかがでした?

仙波:みんな、最初から良くしてくれました。mittanは、私を怖がっていたみたいですけど。

角田“mittan”美喜(以下、角田):なんか怖かったんですよ。茶髪の長髪で、日に焼けていて、ちょっとサーファーっぽくて。

仙波:超ミニスカートだったし?

角田:うん。弾き方に迫力があって、かっこ良かったんですけど、「こんなに怖い人と一緒にできるのかな?」って思って(笑)。でも、良い人だってすぐにわかりました。

仙波:すぐに仲良くなりましたからね。車で家まで送ってくれたんですよ。

角田:家が近かったので、帰りに「乗っていく?」って。運転しながら喋って、降りる時にちゃんとお礼を言ったんですよね。「ありがとう」って。

仙波:普通のことですよ。

角田:意外と他のロック仲間って降りる時に「じゃーねー!」みたいな感じでしたから。でも、ちゃんと「ありがとう」ってお礼を言ったので、「良い人なんだ」って。

仙波:ギャップって大事なんですね(笑)。

――(笑)。80年代は、女性がロックバンドをやることに対して今以上に様々なことを言う人がいましたけど、その頃、どんな気持ちを抱きながら活動していました?

仙波:「世界進出」という自分たちの大きな夢が固まっていたんです。みんなで向かっているところが一緒だったので、誰かと較べられたとしても自分たちの信じた道を進むだけでしたね。何かを言われたとしても、そんなに気になることはなかったように思います。

――その頃から今日に至るまで、SHOW-YAはずっとかっこいいですからね。

仙波:昔のものを聴くと、自分の中で反省点はあったりするんですけど(笑)。最近のバンドの女の子たちは上手くて器用でびっくりします。2022年の<NAONのYAON>で私がセッションした曲はテンポが結構速くて、BPM190くらいだったんです。そういう曲も疲れる様子も見せずに平気でみんなやっていましたからね。

――SHOW-YAが道を切り拓かなかったら、日本の女性ロックバンドシーンは全然違った感じになっていたと思いますよ。

仙波:まあ……そうかな?(笑)。早い時期にああいう活動をできたっていうのは、ありがたかったことかもしれないですね。

■ベースにはこだわりが本当にないんです
■弾いて慣れて手に馴染んでしまえば自分のものになる


――仙波さんはベースを弾き続けてきましたが、加入前も含めると、どのような機材と共に歩んできましたか?

仙波:通販で買った最初のベースは、高校くらいまでずっと使っていました。弦の替え方も知らなかったので、弦はずっと一緒だったと思います(笑)。その次に買ったのは、友達から譲ってもらったフェンダーのプレシジョンベース。

――通販ベースからいきなりフェンダーUSAに行ったんですか?

仙波:はい。友達が「どう?」って言って、かっこ良かったので買いました。17、18歳くらいの時だったと思います。でも、そのベースはそんなに弾いた覚えはないんですよね。18歳の終わりくらいにSHOW-YAに入って、「良いベースあるんだよ」って言われてスタッフから薦められたのがヤマハのBB3000でした。BB3000を買ってからは、そっちを弾いていましたね。

――ベースを何本か手にする中で、音の好みは見えてきました?

仙波:音の好みは今もそんなにないんです。でも、当時はテクニックがなかったからなのか、バキバキした音があまり好きじゃなかったですね。今はちょっと違いますけど。

――新しいベースを次々欲しくなる感じはありました?

仙波:なかったです。1本あれば、それで十分だったんです。気に入った1本があればそれを使い続ける一途なところがあるんです。良く言えばですけど(笑)。こだわりが本当にないんですよ。手に取って、弾いて、慣れて、馴染んでしまえば自分のものになるので。

――ジャズべース、プレシジョンベースだと、どちらが好きとかはありますか?

仙波:ジャズベにしたことはないですね。基本はずっとプレベです。バイオリンベースを持っていたりはするんですけど、SHOW-YAで弾くのは違うので。

――バイオリンベースをSHOW-YAで弾いたら、みんなびっくりですよ。

仙波:そうですよね(笑)。

――使用しているのは、全て4弦ベースですね。

仙波:はい。たまに5弦ベースを勧められたりしますし、「もっと低いところが欲しい」って思うこともあるんですけど、今のところまだそれほど必要性は感じていないです。ベースに関しては、今も使っているビルローレンスを一番長く愛用させてもらっています。もう30年くらいになるんですかね? それでずっと来ちゃっているので、これがいろんな面で一番しっくりくる感覚があります。


――ビルローレンスに至るまでには、どんなベースを使ってきました?

仙波:BB3000を使った後にヤマハさんのモニターをして、次にアリアさんのモニターもして、その後にモリダイラさんのビルローレンスです。

――ビルローレンスBP JR-60Gは、仙波さんの象徴的存在だと思います。

仙波:そうなんでしょうね。モリダイラさんはもうあのベースを作っていないので、「あれがもしなくなったらどうしよう?」って思っているくらいです。



――BP JR-60Gは、オリジナルモデルですか?

仙波:一応「仙波さとみモデル」として作っていただいたんですけど、土台になったベースはあったみたいです。

――作ってもらう時、どのようなことをお願いしました?

仙波:一番求めていたのはライブでの使いやすさでした。自分の体形、手を置く位置とか、そういうことはお話をしたと思います。あと、軽さも欲しかったんです。これは3.5kgです。ライブでずっと使っていても身体への負担が少ないです。ボディとネックのバランスがすごく良くて、弾き終わったポジションでネックから手を放しても、そのままの角度でいてくれるんです。そういうフィット感、一体感があります。


――回しやすいベースですか?

仙波:回しやすいとは思いません(笑)。でも、軽い方が重いよりも回しやすいというのはありますね。

――回しても大丈夫なように、ストラップはビスでしっかり固定されていますね。

仙波:はい。昔、ストラップをちゃんと留めないで回したら外れて飛んで行っちゃって、ベースを1本折ったことがあります(笑)。

――(笑)。ベースを回すのを観て衝撃を受けたお客さんは、たくさんいると思います。

仙波:なんとかやらせていただいております。回すのはsun-goと結構練習しました。


――ビルローレンスのピックアップはアクティブ、EMGですね。

仙波:はい。やはりEMGはパワー感とアタック感が出るので。SHOW-YAの再結成後はピック弾きの方が多くなって、テンポの速い曲の中で刻むのには、そういう方が合っているんですよね。例えば「限界LOVERS」もそうなんですけど、細かい刻みも音の粒立ちが良くて、音の芯もちゃんとあるのが良いんです。アタック感とスピード感も出る感じが、EMGにはあるんですかね?

――ビルローレンスは白色のベースの写真を撮らせていただきましたが、色違いもあるんですよね?

仙波:はい。同じ羽のモチーフが付いている黒と、モチーフのない白も入れると3本です。

――羽のモチーフは、どういう経緯で生まれたんですか?

仙波:これは当時のローディーと一緒に考えてデザインしました。「自由に飛ぶ」みたいなイメージで作ったんだと思います。真ん中の「S」は、仙波さとみのイニシャルとSHOW-YAの「S」です。ネックのポジションマークも「S」というのは、見た目に関してこだわったところですね。


――写真からも使い込んできたことがよくわかります。迫力がありますね。

仙波:色がもう白じゃないですからね(笑)。解散してから7年くらいずっと倉庫で眠っていて、久しぶりに取り出してからメンテナンスをしてもらったんですけど。

角田:倉庫で眠り続けていたビンテージカーがレストアでよみがえる感じだね?

仙波:上手い具合に言ってくれるね(笑)。良く言えば、そういうことです。

――ビルローレンスは、かけがえのない存在ですよね?

仙波:本当にそうですね。これ以外は考えられないので、なんとかこれからも生きていて欲しいです。フィットするこれがあって、SHOW-YAのステージに立っているので。

――ビルローレンスの他にも2本のベースの写真を撮らせていただきましたが、ARIA ProIIの黒色のベースもEMG搭載ですね。

仙波:はい。これはビルローレンスに少し寄せたようなキャラで作ってくださって、「試してみてください」とお借りしているものです。とてもしっかりした造りで、音抜けが良いです。今のSHOW-YAの曲はレギュラーチューニングと半音下げチューニングの両方があるので、そういう使い分けで弾いています。



――ビルローレンスと較べると、何か違いを特に感じる部分はありますか?

仙波:出力はビルローレンスの方が大きいのかなと思います。どちらかと言うとARIA ProIIの方が、暴れる音のような気がします。

――ボリュームやトーンのノブの横にシールを貼って、セッティングの位置をわかりやすくしていますね。

仙波:スタッフがやってくれました。その時のライブの「ここが定位置だよ」っていう目印ですね。



――そして、Sadowskyの白いベースも弾いていらっしゃいますね。

仙波:はい。これもSadowskyさんが「使ってみてください」とおっしゃってくださったんです。このベース、音がすごく良いです。レコーディングで使ったんですけど、評判が良かったです。私は褒められなくて、ベースだけ褒められるっていう(笑)。それくらいの感じでした。音の安定感、低音が素晴らしいです。


――これを使ってみて、いろいろなベースを欲しがる人の気持ちがわかりました?

仙波:そうですね。「こんなに音が良いんだ?」ってびっくりしましたから。

――ビンテージ楽器が欲しくなったことも、今までにないんですか?

仙波:そうなんです。興味がないまま今に至っています(笑)。「好きなのが1本あればいい」っていう考えなので。



――やはり一途な人なんですね。

仙波:そうなんです(笑)。

――Sadowskyは、ボリューム、トーンのノブの目印が赤いハートのシールなのがかわいいですね。

仙波:これはシールをスタッフに渡して貼ってもらったんですけど、一応乙女なところを出してみました(笑)。


――(笑)。キャビネットはAguilarですね。

仙波:はい。

――調べてみたんですが、型番はDB 412、1200Wです。

仙波:レンタルする時に、「さとちゃんはこれだよ」ってスタッフにおすすめされたんです。SHOW-YAで使うんだったら、しっかりと中低音が抜けるものが良いっていうのが、おすすめされた理由だと思います。大きいホールでもしっかりと音が聞こえてくるんです。昔は低音ばっかり出していたんですけど、最近はパキッ!とした音が自分の中でしっくりくるようになっているんですよね。ホールで「何を弾いてるかわからない」っていうのでは困るので、その点でもこれはすごく頼りになります。

――アンプやエフェクター類のこだわりは、何かありますか?

仙波:あんまりエフェクターは使っていないんですけど、フレーズを際立たせたいところにオーバードライブをかけています。スタッフさんからお借りしているんですけど、EBSのBilly Sheehan Signature Drive Pedalですね。オーバードライブとコンプも内蔵されているらしいです。「私は嵐」のギターソロの終わりのベースを際立たせたくて、これで歪ませて使ってみているところです。

――アンプに関しては、こだわりはありますか?

仙波:スタッフさんが会場に合わせたセッティングしてくださっているので、こだわりはないですね。


――仙波さんにとっての唯一のこだわりは、「ビルローレンスのベース」ということみたいですね。お話をさせていただいて、ビルローレンスのベースが全ての基準になっているという印象がしました。

仙波:そうですね。こだわっていることって、そこくらいしかないのかもしれないです。

――SHOW-YAでベースを弾く喜びとして感じていることは、何かありますか?

仙波:途中で空いている期間はありますけど、ずっと一緒にやっているので、阿吽の呼吸で何でもできるんです。本当に自然体のままできるっていうのは、やっぱりSHOW-YAなんですよね。どこまで行けるのかはわからないですけど、ステージにできるだけ長く立ち続けたいです。若い頃の行け行けの勢いはなくなっているかもしれないけど、だからこそ丁寧にリズムを刻んで、メンバー全員で音を合わせることを大事にしていきたいですね。

取材・文:田中大

ライブ・イベント情報

<NAONのYAON 2023>詳細
【会場】日比谷野外大音楽堂
【日時】2023年4月29日(土・祝) 14:00開場 / 15:00開演
【出演アーティスト】
SHOW-YA、千秋、松本梨香、JILL(PERSONZ)、相川七瀬、土屋アンナ、渡辺敦子(ex.PRINCESS PRINCESS)、富田京子(ex.PRINCESS PRINCESS)、NEMOPHILA、Gacharic Spin、Lonesome_Blue、PARADOXX、菅原潤子、池尻喜子(池尻家)、ハタイク、AZU、YUI、大竹美希
<オープニングアクト>
Faulieu.
Caprice Me
【チケット】全席指定 8,000円(税込)
★4/1(土)10:00~イープラスにて一般発売開始★
https://eplus.jp/naonnoyaon/
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