いい音爆音アワー vol.135「追悼2022」
ただ、「いい音爆音アワー」としては、今年に入って亡くなられた方は来年ちゃんと追悼することとして、今回は2022年に他界された方限定です。
とは言え、それもたくさんいらっしゃるので、全員はとてもムリです。勝手にピックアップさせていただきました。ご了承ください。
- ①1月12日(78歳) Veronica Bennett (Ronnie Spector)>The Ronettes「Do I Love You?(恋しているかしら)」
ヴェロニカ・ベネットは、またの名をロニー・スペクターと言いますが、あの“The Ronettes”のメインボーカリストでした。フィル・スペクターのプロデュースによる「Be My Baby」(1963)他の傑作作品群と、盛大に盛ったヘアスタイルに代表されるヴィジュアルで、ロネッツはこの時代の一つの重要なアイコンになりました。
68年に彼女はスペクターと結婚して、ロニー・スペクターとなったのですが、フィル・スペクターという人はかなりの偏執狂だったようで、ロニーがアーティスト活動をすることを禁じたばかりか、一人で外出することもいやがり、家の周囲に鉄条網を張り巡らし、番犬を放ち、彼女の靴を取り上げたそうです。1972年にお母さんの助けを借りて、窓から裸足で逃げて、やっと離婚にこぎつけました。
そのフィルは、女優のラナ・クラークソンを射殺した廉により、2009年に禁固19年の判決を受け、カリフォルニア州立刑務所に収監されたまま、2021年1月16日にコロナで他界しました。そのほぼ1年後にヴェロニカも亡くなったというわけです。死因は癌。
昨年の「追悼2021」でフィルを悼んで「Be My Baby」を聴いたので、今回は、ロネッツの1964年のシングル「Do I Love You?」を聴きました。プロデュースはもちろんフィルです。
- ②1月22日(88歳) Don Wilson>The Ventures「Slaughter on Tenth Avenue(10番街の殺人)」
Don Wilsonは“The Ventures”のギタリストで、創設メンバーのうちの最後の生き残りでした。
ベンチャーズは1960年デビュー、日本に大エレキブームを巻き起こしたバンドですね。本国アメリカより日本での人気のほうが高かった。たとえば彼らの代表曲「Diamond Head」(1965)は米国では最高70位だったんですが、英語版wikiに「日本では1位、そして日本最初のミリオンセラーとなった」と書いてあります。ただその頃はまだオリコンがなかったので、何の1位なのか、どういう売上データなのかよく分かりませんが……ともかく当時の人気は、実感としてはビートルズと変わらないほどでした。
ドン・ウィルソンと言えば「テケテケテケ」=ギターの「トレモロ・グリッサンド」が代名詞ですが、彼はリズムギター担当で、ソロは全く弾きませんでした。だけどベンチャーズ・サウンドでは、アレンジ上リズムギターのほうが重要なので、「メロディを弾かないリードギター」と言われました。
選曲は1964年のシングル「Slaughter on Tenth Avenue(10番街の殺人)」。これは、「On Your Toes」という1936年のミュージカルの劇中曲をアレンジしたものです。作曲者はリチャード・ロジャース(Richard Rodgers)という、「南太平洋」や「サウンド・オブ・ミュージック」などを手掛けた超有名ミュージカル作曲家です。私はベンチャーズの中ではこの作品がいちばんカッコいいと思っています。
1月6日(79歳) Calvin Simon(“Parliament”、“Funkadelic”のボーカル)
1月11日(76歳) Rosa Hawkins(黒人女性グループ“Dixie Cups”のメインボーカル)
1月20日(74歳) Meat Loaf(ロック歌手、俳優)
- ③2月9日(75歳) Ian McDonald>Foreigner「Double Vision」
子供の頃からギターを学びましたが、15歳から5年間、英国陸軍の楽団に入り、そこでサックス、フルート、キーボードを覚え、クラシック、ジャズ、マーチなどいろんな音楽を経験しました。それが、イアン・マクドナルドがプログレッシブ・ロックの発展に大きな貢献をすることになった要因ですね。
1969年に“King Crimson”を結成。ロック史の金字塔と言われるデビュー・アルバム『クリムゾンキングの宮殿』をつくりました。この時点ではロバート・フリップより彼のほうが音楽的な主導権を持っていたのですが、やがて意見が合わなくなり、イアンはこの1枚のみでクリムゾンを辞めてしまいます。
1976年、今度はニューヨークで、Mick Jonesというギタリストらと“Foreigner”というバンドを結成します。こちらはもっとオーソドックスでポップなロックバンドで、イアンの資質としてはクリムゾンのほうが近いのですが、Foreignerのサウンドに深みと幅をもたらしていたのは彼だと思います。で、このバンドは1stアルバムから数百万枚も売れて、大成功だったんですが、ポップ志向のジョーンズとはやはりどんどん合わなくなって、3rdアルバムの後、脱退しました。
選曲はForeignerの、1978年の2nd アルバム『Double Vision』からタイトル曲「Double Vision」。彼はソングライティングには参加していませんが、プロデューサーとして、またミュージシャンとして、いい感じで一味足しています。
- ④2月20日(75歳) 西郷輝彦>西郷輝彦「星のフラメンコ」
60年代、橋幸夫、舟木一夫とともに昭和歌謡の「御三家」の1人として人気を博した西郷輝彦。1964年2月、17歳になったばかりで、シングル「君だけを」でデビュー、いきなり60万枚の大ヒットになりました。コンスタントにヒットを飛ばした後、1973年にテレビドラマ「どてらい男(ヤツ)」に主演してからは俳優に軸足を置いて、でもそちらでも大成功しました。
2011年に前立腺がんが発覚し、摘出手術を行ったのですが、2017年に再発。最先端治療を受けるためにシドニーに渡ったりもしたのですが、結局よくはならず、昨年2月20日に亡くなってしまいました。
私が子供の頃好きだった彼の歌は「星娘」(1965年9月)と「星のフラメンコ」という星シリーズ。どちらもラテン系のリズムを取り入れて、売れれば何でもありという歌謡曲の本領発揮の名作だと思いますが、今回は「星のフラメンコ」の方を。これは1966年7月に発売されて、デビュー曲から2年半弱しか経ってないのに、26枚目のシングルなんですよね。ほぼ一月に1枚くらいのペースでリリースしてるんです。作詞・作曲は浜口庫之助さん、編曲は小杉仁三[じんぞう]という人です。
2月6日(85歳) Syl Johnson(シカゴのソウル&ブルース・レジェンド)
2月9日(77歳) Betty Davis(ファンク&ソウル・シンガー/マイルスの2番目の妻)
2月12日(80歳) Howard Grimes(メンフィス・サウンドのドラマー)
2月19日(76歳) Gary Brooker(“Procol Harum”のボーカル、創設メンバー)
3月25日(50歳) Taylor Hawkins(“Foo Fighters”のドラマー)
- ⑤4月29日(73歳) 小坂忠>小坂忠「しらけちまうぜ」
小坂忠さんが柳田ヒロさん他と1966年に結成したのが“ザ・フローラル”、69年にそのベースとドラムが細野晴臣さんと松本隆さんに替わったのが“エイプリル・フール”、それが半年くらいで解散して、細野さんたちは“ヴァレンタイン・ブルー”をつくり、小坂さんを誘うのですが、小坂さんはロック・ミュージカル「HAIR」への出演が決まって参加できず、代わりに大瀧詠一さんを入れて“はっぴいえんど”ができる、という変遷がありました。小坂さんが“はっぴいえんど”に入っていたら、大瀧さんは入らなかったし、その後の日本のポップス史はずいぶん違う進み方をしたかもしれません。
76年にクリスチャンになって、それからはゴスペル・シンガーの道を歩みました。2017年、大腸癌と胃癌が見つかって、その後再発もあり、5年間の闘病の末、4月29日に亡くなりました。
1975年に、細野さんプロデュースでティン・パン・アレイのメンバーで演奏したアルバム『HORO』が「日本初の本格的R&Bアルバム」と高い評価をされています。この『HORO』に収録された松本隆さん作詞の2曲を、小坂さんは、亡くなる約半年前に、武道館で開催された松本さんの「50周年記念イベント 風街オデッセイ2021」に病を押して出演し、歌いました。「しらけちまうぜ」はそのうちの1曲です。作曲は細野さん、編曲は細野さんと矢野誠さんです。
4月4日(93歳) Joe Messina(モータウンのスタジオ・ミュージシャン集団、“Funk Brothers”のギタリスト)
4月9日(65歳) Chris Bailey(オーストラリアのバンド“The Saints”のボーカル)
4月24日(71歳) Andrew Woolfolk(“Earth, Wind & Fire”のサックス奏者)
4月26日(74歳) Klaus Schulze[シュルツェ](ドイツ出身の電子音楽のパイオニア)
- ⑥5月17日(78歳) Vangelis>Vangelis「Chariots of Fire (Titles)」
ギリシャ生まれの音楽家。4歳からピアノ演奏と作曲を始めた割には、譜面の読み書きができませんでした。映画「炎のランナー」(1981)、「ブレードランナー」(1982)、「南極物語」(1983)のサントラ音楽で特に有名ですが、「映画音楽家とは思われたくない」などという発言もしていて、「ブレードランナー」なんかは「炎のランナー」が売れた後だからということで、すぐにはサントラアルバムを出さず、1992年の「ディレクターズカット」の公開の後にやっと発売したんです。
また1974年には、リック・ウェイクマンの抜けたYesから後任のキーボード奏者として誘われたんですが、「売れることに興味がない」という理由で断ります。でもジョン・アンダーソンとは仲良くなって、1979年からは“Jon & Vangelis”というユニット活動も始めるんですけどね。とにかく、かなりの変わり者だったようです。
5月17日、新型コロナウイルス感染症の治療を受けていたフランスの病院で亡くなったそうです。コロナが直接の死因かどうかは不明です。
選曲は、映画「炎のランナー」のメインテーマである「Chariots of Fire」。アルバムの中ではなぜか「Titles」というタイトルです。アルバムとこのシングルはともに全米1位を獲得するという大ヒットで、アカデミー賞の作曲賞も受賞しました。
- ⑦5月26日(72歳) Alan White>Yes「Parallels(パラレルは宝)」
アラン・ホワイトは“Yes”のメンバーとして有名なドラマー。
1969年、まだ20歳の無名のセッション・ドラマーでしたが、突然ジョン・レノンから電話があって、翌日のトロントでのロック・フェスで“Plastic Ono Band”のドラムを叩いてくれ、と言われました。で、ジョン&ヨーコ、エリック・クラプトン、クラウス・フォアマンと一緒にプライベートジェットの中でリハを行って、なんとか乗り切りました。それで認められて、ジョンやジョージのアルバムに参加。「Imagine」のドラムは彼が叩いています。
1972年にはビル・ブルーフォードの抜けた“Yes”に参加。この時もワールドツアーの1週間前に言われて、Yesのあの複雑な曲をなんとか覚えたという状況でした。このツアーの日本公演を高校生の私は大阪フェスティバルホールで観て、レコードのまんまであることに感動しました。その時はよく分かってなかったので、アラン・ホワイトが『Close to the Edge(危機)』のレコードでもドラムをやっている人なんだと思って観ていました。それくらい違和感はなかったですね。
それからちょうど50年、昨年5月26日に米ワシントン州ニューキャッスルの自宅で亡くなりました。病気だったそうですが、何の病気かは未公表です。
選曲はYesの8th アルバム、1977年発売の『Going for the One(究極)』収録の「Parallels」という曲です。
5月26日(60歳) Andy Fletcher(“Depeche Mode”のキーボード奏者)
- ⑧6月23日(96歳) 渡辺宙明>デューク・エイセス「忍者部隊月光」
渡辺宙明さんは1925年大正生まれ(B.B.Kingと同い年、George Martinの一つ上)。1950年代半ばから映画音楽の作曲・編曲を始め、70年から主にテレビのアニメや特撮モノなど、多くの子供番組の主題歌、挿入歌、BGMを手掛けました。特撮モノは「忍者部隊月光」や「人造人間キカイダー」、「秘密戦隊ゴレンジャー」を初めとする「スーパー戦隊シリーズ」、「仮面ライダー・シリーズ」、アニメは「マジンガーZ」「野球狂の詩」「おれは鉄兵」などなど。
選曲は、私が子供の頃見ていた「忍者部隊月光」のオープニング・テーマです。1964年の作品で、歌はデューク・エイセス。作詞は山上路夫さん。作曲・編曲が渡辺宙明さんです。
6月11日(88歳) 松平直樹(和田弘とマヒナスターズのリード・ボーカル)
6月27日(72歳) 葛城ユキ(歌手)
- ⑨7月4日(73歳) 山本コウタロー>山本コウタローとウィークエンド「岬めぐり」
1969年、大学生の時に“ソルティー・シュガー”に参加、70年にリリースした「走れコウタロー」がミリオンセラーの大ヒット。競馬の馬の応援歌で、最初は実在の馬の名前にする予定でしたが、山本コウタローがいつも練習に遅刻して来るので、「コウタロー」としました。で、山本はリーダーでもボーカルでもないのに、この歌のヒットのおかげでひとり有名になりました。
3年後の74年には自分がリーダーとなって“山本コウタローとウィークエンド”を結成し、最初のシングル「岬めぐり」が大ヒット。これは彼が作曲もしています。作詞はなんと先程の「忍者部隊月光」と同じ山上路夫さん。
その後はテレビやラジオのパーソナリティ、役者などの活動をしつつ、1986年から10年間、毎年広島でチャリティ・コンサートを主催。さらには地球環境問題の専門家として、1987年から32年間、白鷗大学(栃木県小山市)で講師を務め、ついには名誉教授になるという、多方面の活躍をされた人でした。
選曲は代表曲「岬めぐり」です。
7月4日(66歳) 嵐ヨシユキ(“横浜銀蝿”のドラマーでリーダー)
7月5日(80歳) Manny Charlton(スコットランドのハードロックバンド“Nazareth”のギタリスト)
7月15日(58歳) Paul Ryder(英国のロックバンド“Happy Mondays”のベーシスト)
- ⑩8月8日(73歳) Olivia Newton-John>Olivia Newton-John「Jolene」
オーストラリア人という印象があるかもしれませんが、英国生まれで、5歳の時に家族でオーストラリアに移住。1965年、17歳で英国に戻り、66年デビュー。70年代から80年代前半にかけてヒットを連発しました。初めのうちはカントリー・テイストの曲が多かったですが、「グリース」や「Xanadu」などの映画出演とその主題歌で幅を広げて、81年には「Physical」が大ヒットという大活躍でした。その後は会社経営や環境保護活動などに重点を置きますが、1992年に乳癌を患います。それでもメルボルンに「オリビア・ニュートン・ジョン・がん健康研究センター」を設立するなど、がんばっていました。
選曲は、初期のカントリー・ポップの一つ「Jolene」という曲です。1976年の発売。作詞・作曲はドリー・パートン。ドリーは73年にこれをシングル発売しましたが、彼女のその次のシングルがあのホイットニーの「I Will Always Love You」でした。ところで、「Jolene」はなぜか日本でいちばんヒットしました。英米ではチャートインせず、オーストラリアで29位だったんですが、オリコンでは11位。この曲を含むアルバム『Come On Over(水のなかの妖精)』もオーストラリア30位、全米13位、全英49位、オリコン2位でした。
8月4日(87歳) Sam Gooden(黒人男性コーラスグループ“The Impressions”の創設メンバー)
8月8日(81歳) Lamont Dozier(Brian & Eddie Holandとともにモータウンの大成功を支えたソングライター)
8月11日(102歳) Bill Pitman(ロサンゼルスのスタジオ・ミュージシャン集団、“Wrecking Crew”のギタリスト)
- ⑪9月22日(72歳) John Hartman>The Doobie Brothers「Jesus Is Just Alright(キリストは最高/希望の炎)」
“The Doobie Brothers”はツインドラムがひとつの売りだったんですが、そのドラマーの一人がこのジョン・ハートマンで、バンド結成時(1970年)には彼一人でした。1年後にMichael Hossackが加入してツインドラム体制になりました。アルバム『Minute by Minute』のあとのツアー終了後、1979年に脱退したのですが、その理由が「カリフォルニアに持っていた牧場の馬の世話に専念するため」というものでした。
9月22日に72歳で亡くなったと発表されたのですが、その後バンドが、実は2021年12月29日に亡くなっていたと発表しました。どちらが正しいのか明確には分かりません。死因も不明です。
そして、さらに、Doobieでのハートマンの後任のドラマー、Chet McCracken(在籍:1979 - 1982)も昨年2月11日に亡くなっていたとのことです。
ドラムでカッコよく始まる「Jesus Is Just Alright」を選曲しました。2ndアルバム『Toulouse Street』に収録されています。これはカバーでオリジナルは作者のArthur Reid Reynoldsがいた“The Art Reynolds Singers”が1966年に発表しました。そして、先日亡くなったDavid Crosbyがいた“The Byrds”が、これを69年にカバーしてシングルでリリースしました。ただしCrosbyは67年にByrdsを辞めたのでもういなかったんですけど。で、そのByrdsのシングルを聴いて、Doobieはまずライブのレパートリーに取り入れ、評判がよかったので録音しました。Byrdsのは売れませんでしたが、Doobie盤は全米35位とまずまず売れて、しかも、メンバーは誰も信心深くなかったのに、キリスト教信者の間ですごい人気になったそうです。
9月2日(62歳) Angus “Drummie Zeb” Gaye(英国のレゲエバンド“Aswad”のドラマー兼ボーカリスト)
9月13日(51歳) Jesse Powell(R&Bシンガー)
9月16日(88歳) 彩木雅夫(作曲家。「長崎は今日も雨だった」など)
9月28日(59歳) Coolio(ラッパー)
- ⑫10月28日(87歳) Jerry Lee Lewis>Jerry Lee Lewis「Great Balls of Fire(火の玉ロック)」
50年代後半にロックンロールで一斉を風靡したジェリー・リー・ルイス。ピアノを立って弾きながらの激しいパフォーマンスで「The Killer=殺し屋」がニックネームでした。
ところが人気絶頂期の1958年に、いとこの娘の13歳の少女と結婚していたことが発覚、しかも15歳だと嘘をついていたことで、大非難を受けまして、ツアーはキャンセルされるわ、レコード会社からは愛想つかされるわ、出演料は下がるわ、でどん底に落ちてしまいます。
だけど、68年から今度はカントリー・ミュージックに切り替えて復活、70年代はカントリー・ヒットを連発しました。
実はその13歳の少女で既に3人目の妻、生涯に7人の女性と結婚したんです。7人目と結婚したのは2012年なんで、77歳。それも70から77歳までの7年間は独身なんですが、それ以外は隙間なく、別れたらすぐ結婚しているんですよね。いやあ、もてると言うか、元気と言うか、彼のプロフィールを調べて、それがいちばん印象に残りました。選曲は彼最大のヒット「Great Balls of Fire(火の玉ロック)」です。
10月1日(79歳) アントニオ猪木(プロレスラー/政治家)
10月7日(89歳) 一柳慧[とし](作曲家、ピアニスト、オノ・ヨーコの元夫)
10月19日(81歳) 仲本工事(コメディアン)
- ⑬11月21日(75歳) Wilko Johnson>Dr. Feelgood「She Does It Right」
イングランドのギタリスト。“Dr. Feelgood”の創設メンバーとしてキャリアをスタートしました。ピックを使わないのにシャープなカッティングが特徴で、カールコードを使用し、ステージを前後に移動しながら、カクカクと機械仕掛けのように動くアクションは「Clockwork movement」と呼ばれました。また客席に向かいギターをマシンガンのように構え、かき鳴らしながら開脚ジャンプを繰り返すなど、激しいパフォーマンスで知られ、「最も危険なギタリスト」と言われました。
2013年に、末期の膵臓癌で、余命9〜10ヶ月と診断されましたが、化学療法を拒否しました。で、結局昨年11月まで生き延びました。
選曲は、Dr. Feelgoodのデビューアルバム、1975年1月に発売された『Down by the Jetty』から第2弾シングルとしてカットされた「She Does It Right」です。
- ⑭11月9日(77歳) Gal Costa>Gal Costa「De Onde Vem O Baião(バイヨンはどこから)」
ブラジルを代表する女性歌手のひとり。10歳の子供の頃、サンドラ・ガデラとアンドレイア・ガデラという姉妹と友達だったのですが、そのサンドラがジルベルト・ジルと結婚、アンドレイアがカエターノ・ヴェローゾと結婚、いずれもブラジル音楽の重鎮となった人なので、ガル・コスタもその人たちと一緒に表舞台へ出ていきました。彼らが中心となって、60年代に「トロピカリア」あるいは「トロピカリズモ」という、伝統的なブラジル音楽をだいじにしつつ、それに欧米のロックやソウルのいい部分を取り込んでいくという、ジャンルというよりは音楽運動が盛んになり、ガルはその代表的な歌い手ともなりました。
選曲は、1978年にリリースされたアルバム『Água Viva(流氷)』から「De Onde Vem O Baião(バイヨンはどこから)」。作詞・作曲はジルベルト・ジルです。
- ⑮11月25日(63歳) Irene Cara>Irene Cara「Fame」
映画「Fame」と映画「フラッシュダンス」で有名なアイリーン・キャラ。1959年3月18日にニューヨークで生まれ、若い頃からミュージカル女優として活躍、1980年、21歳で映画「Fame」のメインキャラに抜擢され、映画も、歌った主題歌「Fame」もヒットして、スターダムに躍り出ました。これ、当初は単なるダンサー役での採用だったらしいのですが、プロデューサーと脚本家がその歌唱を聴いて、彼女の役を歌手に書き直したそうです。
そして、1983年には、映画「フラッシュダンス」。出演はしていませんが、主題歌「Flashdance... What a Feeling」を歌いました。作詞にも参加しています。作曲はジョルジオ・モロダーです。で、大ヒットして彼女の名声をさらに高めたのですが、レコード会社との契約条項のせいで報酬はすごく少なかったそうです。訴訟問題になって、10年後に勝訴するんですが、そのせいで80年代半ば以降はほとんど音楽活動が行えませんでした。なかなかたいへんな人生でしたね。
今回は、「Fame」のほうを聴きました。
- ⑯11月30日(79歳) Christine McVie>Fleetwood Mac「Say You Love Me」
Fleetwood Macのキーボード奏者、そしてボーカリストとして知られたクリスティン・マクヴィーですが、最初のキャリアは“Chicken Shack”というバンドでした。1968年に加入。でも69年に“Fleetwood Mac”のベーシスト、John McVieと結婚して辞めました。で、70年にPeter Greenが辞めた代わりとしてFleetwood Macに入りました。76年にはジョン・マクヴィーと離婚しましたが、名字はそのままで、バンドにも1998年までずっと在籍しました。
体調不良で短期間入院した病院で昨年11月30日、亡くなりました。死因は未公開です。
選曲は、Fleetwood Macの最初の全米1位アルバム、1975年の『Fleetwood Mac(ファンタスティック・マック)』からシングルカットされた「Say You Love Me」です。ボーカルはもちろん、作詞・作曲もクリスティンです。
11月8日(72歳) Garry Roberts(アイルランドのロックバンド“The Boomtown Rats”のギタリスト)
11月8日(76歳) Dan McCafferty(スコットランドのハードロックバンド“Nazareth”の創設メンバー/ボーカル)
11月11日(65歳) Keith Levene(元“The Clash”および“PiL”のギタリスト)
11月28日(61歳) 渡辺徹(俳優、歌手)
- ⑰12月18日(63歳) Terry Hall>The Specials「Gangsters」
1979年、英国に“The Specials”が登場して、スカという音楽が一斉を風靡しました。元は60年代にジャマイカで流行したスタイルですが、それをイギリスの若者が新しい解釈でリバイバルさせました。Coventryというイングランドの地方都市でスタートしたのも、バンドのキーボード奏者、Jerry Dammersが自ら立ち上げた「2 Tone」というレーベルで展開したのも、我が道を行くという感じでとてもカッコよかった。そのボーカルがテリー・ホールでした。このスカ・ブームに影響されて出てきた東京スカパラダイスオーケストラは今も人気ですが、Specialsのほうは、1981年にはテリーが抜けて、一旦崩壊してしまいます。そのテリーは一緒に抜けたLynval GoldingとNeville Stapleと3人で“Fun Boy Three”を結成。その後もテリーは3年から5年毎にいろんなバンドを立ち上げては精力的に活動を続けました。
選曲はThe Specialsのデビュー・シングル「Gangsters」です。1964年、ジャマイカのPrince Busterがつくったスカ・ナンバー「Al Capone」のサウンドを借りて、そこにJerry Dammersが詞曲をつけました。この曲から「2 toneスカ」は始まったのです。
- ⑱12月22日(79歳) Thom Bell>The Spinners「I’ll Be Around(いつもあなたと)」
トム・ベルはソングライター、アレンジャー、プロデューサーとして、「Philadelphia International Records」のKenny Gamble、Leon Huffとともに、フィラデルフィア・ソウルの中心人物として、主に70年代に活躍しました。ヒットソング・メーカーとしては達人で、“The Delfonics”、“The Stylistics”、“The Spinners”などでヒットを量産しました。
特にスピナーズは、モータウンに10年間いて、ヒットは「It’s a Shame」1曲のみで、それも14位でトップ10には届かなかったのですが、1972年にAtlanticに移籍して、トム・ベルがプロデュースし始めるといきなりヒットシングルを連発し始め、アルバムもトムが担当した8枚のうち5枚がゴールドレコードになるという結果を出して、世間を驚かせました。
選曲はそんなスピナーズの、Atlantic移籍直後、1972年8月に発売され、全米3位のヒットとなった「I’ll Be Around(いつもあなたと)」です。
12月6日(74歳) 水木一郎(アニメソング歌手の第一人者)
12月14日(60歳) 笠浩二(“C-C-B”のドラマー)
12月21日(60歳) 高見知佳(歌手、タレント)