【コラム】屈折したダークな内面に強く訴えかける、ザ・キュアー屈指の傑作『ウィッシュ』
photo by Paul Cox
イギリス映画「シング・ストリート」の一コマ。1980年代前半にロックスターに憧れる少年コナーがモデル志望の年上の女の子ラフィーニャに「あなたの問題はハッピー・サッドね。でも、それが恋というものよ」と言われる。「ハッピー・サッドってなんだろう」。コナーは兄ブレンダンにその疑問をラフィーニャへの熱い恋心と共に伝える。それを聞いたブレンダンは優しく微笑むと、「これがハッピー・サッドだ」と言ってザ・キュアーのLPレコードを手渡した…。
ザ・キュアーというバンドをこの瞬間ほど端的に表現された例はなかったと思う。1980年代前半から90年代初頭にかけて、国際的にバブルの世の中で、賑やかなパーティとド派手なファッションで世が浮かれていたそんな時代に、ザ・スミスやデペッシュ・モード、ニュー・オーダー、そしてザ・キュアーといったバンドたちは、そんな時代に違和感を覚える少年少女たちにとっての隠れた聖典のようなものだった。「時代に同調したくないわけではないけど、でもできない」。これらのバンドはそんな青春の影の部分を絶妙につく存在だったが、とりわけザ・キュアーはそこにぴったりの存在だったように思う。
それはとりわけ、ザ・キュアーの最盛期に顕著だったように思う。キャリア初期にあたる80sの初めころまではストレートにダークな印象が強かったが、一旦活動を停止させて戻ってきた1984年以降に全盛をきわめていく彼らは、曲調そのものは明るさやほのぼのしたテイストが顔をのぞかせるようになるが、そこに微妙な心理的陰影を言葉やサウンドで多彩に表現してくるようになる。それはロバート・スミスの悩ましげな歌声だったり、彼のつまびくフランジャーのかかったギターの哀愁味あふれるアルペジオのフレーズだったり、メランコリックな気持ちのカタルシスをぐっと高めていくように単音ベースラインに導かれるメロディ・ラインだったり。
それらの表現が絶頂を極めた瞬間といえばやはり1985年のアルバム『ザ・ヘッド・オン・ザ・ドアー』にはじまり、『キス・ミー、キス・ミー、キス・ミー』(1987年)、最高傑作と称されることも多い『ディスインテグレーション」(1989年)、そして『ウィッシュ』(1992年)の頃までだろう。創作的にも商業的にも、この頃がザ・キュアーのピークだったと言って異論を挟む人もそう多くはないはずだ。
そのピークの最後を飾る『ウィッシュ』も、このたびリリースから30周年を迎えた。当時を知る立場からすれば時は本当に流れたものだとの感慨も覚えるが、今回、その30年を記念しての新装デラックス盤が登場した。
この『ウィッシュ』だが、前作にあたる『ディスインテグレーション』が緊迫感の高いアルバムであったことからの反動か、それを少し緩和させて晴れやかな表情が目立つ作風となっていた。また、メンバーの布陣的にはギタリストとして新たにペリー・バモンテを迎えていたこともあり、ロバート、ポール・トンプソン、バモンテによるトリプル・ギター編成となったこともあり、ギター・サウンドが強化された側面も強かった。
今、改めてこのデラックス盤で本編を聞きなおすに、かなりダイナミックなギター・ロック・アルバムであったことが確認できる。シングルとなった「ハイ」、そして結果的にザ・キュアー屈指の人気曲となった「フライデイ・アイム・イン・ラヴ」では、何かから解き放たれたかのような晴れやかさを感じるが、オープニング・トラックの「オープン」、その後の彼らのライブで不可欠な存在となった「フロム・ジ・エッジ・オブ・ザ・ディープ・グリーン・シー」「カット」といった曲は、繊細なイメージの強いザ・キュアーの曲の中でもひときわストレートな力強さが光るロックンロール。そうかと思えば「アパート」「ドゥーイング・ジ・アンスタック」「トラスト」「ア・レター・トゥ・エリーズ」といったナンバーでは、ミッドテンポからの緩急の変化や自由度の高いソロなど、巧みな楽曲展開力で聞かせる。ラスト・ナンバーのサイケデリック風味の、その名も「エンド」まで、全12曲がすべて緻密に無駄なく丁寧に作られている。ギター・ロックの完成度のダイナミズムの観点でいえばザ・キュアー史上でもかなり屈指だと改めて思った次第だ。
そこに今回は33曲もの追加収録曲が加わっている。フィジカルでいうところのCD2は『未発表デモ』と名付けられ、文字通り21曲のデモ・トラックを集めたものとなっている。それは主に「ウィッシュ」の収録曲の完成前の状態のものだが、そのほかにも「プレイ」「ヘイロー」「ザ・ビッグ・ハンド」「ア・フーリッシュ・アレンジメント」といったシングルのB面曲で終わった曲のそれも収録されている。中には、結局のところ世に出ることのなかった曲も歌詞のないインストの状態で収められている。こうした曲たちの存在は、このアルバム制作中の彼らの頭の中が垣間見れるようで興味深い。
さらに12曲入りのCD3は、1994年にメール・オーダーのみの限定で発表されたこのアルバムのセッションからの4曲のカセット『ロスト・ウィッシズ』を中心に、これまでの未発表曲や、シングルの12インチ・ヴァージョンのみに収録されていた既存曲の別ヴァージョンなどが収められた、熱心なコレクター向けのアイテムとなっている。
この『ウィッシュ』をもって、ザ・キュアーの1980年代半ばからの快進撃はひとまず止まってしまうことになる。彼らの内部的なことをいえば、ギタリストのポール・トンプソンとドラムのボリス・ウィリアムスの、黄金期を支えた2人のメンバーが抜けたことが大きい。また、時代的なことをいえば、バブルの時代が終わり世が混沌とした本格的に暗い時代になったことでグランジのようなより直接的な激しい怒りをぶつけるタイプのロックが好まれたことでトレンドが少しずれたことなどが考えられる。ただ、より屈折したダークな内面に強く訴えかけるザ・キュアーの普遍的な音楽性やメッセージ性が廃れたなどとは思わないが。
また、ザ・キュアーの近況だが、この12月はイギリスでアリーナ・ツアーを行なっている。奇しくも、一時脱退していた『ウィッシュ』の立役者、ペリー・バモンテがカムバック。ロバート、そしてデヴィッド・ボウイの片腕的ギタリストを務めていたことで知られるリーヴス・ガブレルズとのトリプル・ギター編成となっている。
『ウィッシュ』の曲を轟かす準備はできているようだ。望むらくはこの後に、ロバート自身が長らく「出す出す」といっては頓挫してきた2008年以来の新作アルバムが出ることを期待したいのだが。
文◎沢田太陽
ザ・キュアー『ウィッシュ(30周年記念エディション)』
3CDデラックス:UICY-16091/3/5,280円(税込)/日本盤のみSHM-CD仕様
1CD通常盤:UICY-16094/2,750円(税込)/日本盤のみSHM-CD仕様
試聴・購入:https://umj.lnk.to/TheCure_Wish30
CD 1:ウィッシュ(リマスター2022)
1.Open / オープン
2.High / ハイ
3.Apart / アパート
4.From The Edge Of The Deep Green Sea / フロム・ジ・エッジ・オブ・ザ・ディープ・グリーン・シー
5.Wendy Time / ウェンディ・タイム
6.Doing The Unstuck / ドゥーイング・ジ・アンスタック
7.Friday I'm In Love / フライデイ・アイム・イン・ラヴ
8.Trust / トラスト
9.A Letter To Elise / ア・レター・トゥ・エリーズ
10.Cut / カット
11.To Wish Impossible Things / トゥ・ウィッシュ・インポシブル・シング
12.End / エンド
CD 2:未発表デモ(すべて未発表音源、*未発表曲)
1.The Big Hand [1990 Demo] / ザ・ビッグ・ハンド(1990デモ)
2.Cut [1990 Demo] / カット(1990デモ)
3.A Letter To Elise [1990 Demo] / ア・レター・トゥ・エリーズ(1990デモ)
4.Wendy Time [1990 Demo] / ウェンディ・タイム(1990デモ)
5.This Twilight Garden [Instrumental Demo] / ディス・トワイライト・ガーデン(インストゥルメンタル・デモ)
6.Scared As You [Instrumental Demo] / スケアード・アズ・ユー(インストゥルメンタル・デモ)
7.To Wish Impossible Things [Instrumental Demo] / トゥ・ウィッシュ・インポシブル・シング(インストゥルメンタル・デモ)
8.Apart [Instrumental Demo] / アパート(インストゥルメンタル・デモ)
9.T7 [Instrumental Demo] / T7(インストゥルメンタル・デモ)*
10.Now Is The Time [Instrumental demo] / ナウ・イズ・ザ・タイム(インストゥルメンタル・デモ)*
11.Miss van Gogh [Instrumental demo] / ミス・ヴァン・ゴッホ(インストゥルメンタル・デモ)*
12.T6 [Instrumental Demo] / T6(インストゥルメンタル・デモ)*
13.Play [Instrumental Demo] / プレイ(インストゥルメンタル・デモ)
14.A Foolish Arrangement [Instrumental Demo] / ア・フーリッシュ・アレンジメント(インストゥルメンタル・デモ)
15.Halo [Instrumental Demo] / ヘイロー(インストゥルメンタル・デモ)
16.Trust [Instrumental Demo] / トラスト(インストゥルメンタル・デモ)
17.Abetabw [Instrumental Demo] / Abetabw(インストゥルメンタル・デモ)*
18.T8 [Instrumental Demo] / T8(インストゥルメンタル・デモ)*
19.Heart Attack [Instrumental Demo] / ハート・アタック(インストゥルメンタル・デモ)*
20.Swing Change [Instrumental Demo] / スウィング・チェンジ(インストゥルメンタル・デモ)*
21.Frogfish [Instrumental Demo] / フロッグフィッシュ(インストゥルメンタル・デモ)*
CD 3:レア&未発表トラック(*未発表曲、**未発表ヴァージョン、***初CD化)
1.Uyea Sound [Dim-D Mix] / オイエ・サウンド(Dim-D Mix)***
2.Cloudberry [Dim-D Mix] / クラウドベリー(Dim-D Mix)***
3.Off To Sleep… [Dim-D Mix] / オフ・トゥ・スリープ…(Dim-D Mix)***
4.The Three Sisters [Dim-D Mix] / ザ・スリー・シスターズ(Dim-D Mix)***
5.A Wendy Band [Instrumental] / ア・ウェンディ・バンド(インストゥルメンタル・ミックス)*
6.From The Edge Of The Deep Green Sea [Partscheckruf Mix] / フロム・ジ・エッジ・オブ・ザ・ディープ・グリーン・シー(Partscheckruf Mix)**
7.Open [Fix Mix] / オープン(Fix Mix)
8.High [Higher Mix] / ハイ(Higher Mix)
9.Doing The Unstuck [Extended 12” Mix] / ドゥーイング・ジ・アンスタック(Extended 12" Mix)
10.Friday I'm In Love [Strangelove Mix] / フライデイ・アイム・イン・ラヴ(Strangelove Mix)
11.A Letter To Elise [Blue Mix] / ア・レター・トゥ・エリーズ(Blue Mix)
12.End [Live In Paris 1992] / エンド(パリ・ライヴ1992)**
◆ザ・キュアー・レーベルサイト