【インタビュー】猫戦、古今東西のポップスへの深い愛情を多彩なサウンドで開花
2018年に立命館大学の音楽サークル“ロックコミューン”で結成され、メンバーチェンジを経て2020年から活動を本格化させた猫戦。ファンク、ソウルミュージック、古今東西のポップスへの深い愛情を多彩なサウンドで開花させているこのバンドの音楽は、着々とリスナー層を広げている。既発曲、ライブでお馴染みの曲のリアレンジ、新曲が収録されている1stアルバム『蜜・月・紀・行』によって、さらに注目を集めることになるだろう。メンバーの原田美桜(Vo)、小原太一(G)、澤井悠人(B)、井手内陸(Dr)に音楽的背景、最新アルバムの制作エピソードなどについて語ってもらった。
■ロックコミューンの音楽性に憧れてという感じではなかった
■ここなら大丈夫そうだと思って入部したという感じです。
――くるりなどを輩出した立命館大学の“ロックコミューン”で結成されたバンドですが、オリジナル楽曲指向が強いサークルですよね?
原田美桜(以下、原田):その辺は、元部長の澤井がお話をさせていただきます。
澤井悠人(以下、澤井):コピーをほとんどすることがなくて、合宿やイベントとかで遊びでするくらいですね。他はオリジナルっていう感じです。
――やはり腕に覚えがあるプロ志向の学生が集まるんですか?
澤井:そんなことはないです。結構、初心者もいて、あんまり上手い人もいないので。変なやつしか来ないです。
原田:突然“ドラムやりたい!”って思った18歳、19歳が土足で上がれる空間(笑)。それがロックコミューンです。
澤井:普通の人がいないというか、全体的にイケてない……。
原田:先輩も話をしてみると、どうかしていたり……。
▲原田美桜(Vo)
――ロックコミューンの部室があるのは、衣笠キャンパスですよね?
原田:はい。山奥にあって都会にある大学ではないので、モラトリアム感が特に強いのかもしれないです。下宿している人も多くて、閉鎖的な空間でもあるので。
――ドラマーの井手内さんにとっても、ロックコミューンは思いっきり音を出せる素敵な環境ですか?
井手内陸(以下、井手内):僕は厳密にはロックコミューンではなくて。普通にコピーとかをやる軽音楽部の部員なんです。ロックコミューンと軽音楽部が合同イベントをやることがあって、それがきっかけで猫戦でドラムを叩くことになったんです。
原田:ロックコミューンは部員が少なくて、“ドラムがいない”っていう事態が起きるんですよ。猫戦のドラムの先輩が引退した時に外部発注しました。
▲小原太一(G)
――小原さんがロックコミューンに入部した理由は何だったんですか?
小原太一(以下、小原):あんまり“ロックコミューンの音楽性に憧れて”という感じではなかったです。大学でできた友だちが先に入部していたんですけど、彼がイケていない匂いを発していまして(笑)。“ここなら大丈夫そうだ”と思って入部したという感じです。
――こういう言い方をすると失礼なのかもしれないですが、猫戦の4人の共通項は“イケていない”?
原田:軽音部の井手内だけはイケています。
井手内:そんなことはない(笑)。
澤井:でも、僕らはロックコミューンの中ではマシな方なので。
原田:履いている靴がいつも右左違う人もいるサークルですからね。私たちはそういう中での“下の上”みたいな感じなんでしょうか?(笑)。
▲澤井悠人(B)
――(笑)。猫戦を結成した時は、どういうバンドをやりたいと思っていました?
原田:初期メンが私と澤井くん、あと鍵盤の先輩だったんです。その先輩と私とで好きなものが近かったんですよね。その先輩の家で遊んでいる時にキリンジの曲を弾いていたり、私も持っている山下達郎さんのCDがあったり。私は鍵盤が弾けないですけど、そういう音楽をやりたかったんです。澤井くんともそういう音楽をシェアしていた時期だったのもあって、“鍵盤があってベースが動く感じのバンドをしようか?”ということになりました。
――山下達郎さんとかの昔の作品も聴いていたんですか?
原田:はい。私たちの世代からするとコアな音楽という印象はなくて。小原に関しても“入部してきたあいつ、部室でヤマタツ弾いてたぞ”っていう噂が流れてきたりしていました。ロックコミューンが特にそうなのかもしれないですけど、昔の音楽も好きで聴く人が結構多い気がします。
――原田さんの音楽のルーツはどの辺りなんですか?
原田:私はインディーポップです。そういう音楽のCDを売っているレコード屋さんに行くようになったら、国内のインディーバンドも扱っていて、“日本のインディーバンドだったらライブに行ける”って思って(笑)。Pictured Resortさんとかを聴くようになってから、その人たちのルーツも辿るようになりました。
――澤井さんのルーツは?
澤井:僕は小学生の頃から高校までレッド・ホット・チリ・ペッパーズ一筋。でも、大学に入ってからいろんな音楽について話をする人が増えて、今僕が辿り着いているのはソウルミュージックです。
▲井手内陸(Dr)
――井手内さんは?
井手内:母が槇原敬之さんが好きで、僕も幼稚園くらいの頃から聴いていました。槇原さんはブラックミュージックの要素が強いので、当時はそういう意識はなかったですけど、“こういうの、かっこいいなあ”って思っていた気がします。そして小学校に上がってから槇原さんのライブに行って、ドラムを叩いていた屋敷豪太さんを観て、“ドラム、かっこいいなあ!”って思ってドラムを始めました。その後は神保彰さんに出会って、“俺はドラムをやるんやなあ”と。あと、僕はゲームが好きなので、ゲーム音楽もずっと聴いていましたね。初代プレイステーションの音楽とか、今聴くとチープな感じではあるんですけど、すごいかっこいいビートミュージックなんです。そんなこんなあってフュージョンも聴くようになって、“ブラックミュージックってかっこいいなあ”って感じるようになったんだと思います。
――小学生の頃に屋敷さんのドラムに衝撃を受けるなんて、ものすごく鋭い小学生じゃないですか。
井手内:そんなことないです。
原田:神童です(笑)。
井手内:あんまり生でドラムを聴く機会がなかったので、そこで刷り込まれるものがあったのかもしれないですね。
――なるほど。小原さんのルーツは?
小原:多分なんですけど、子供の頃を振り返ってみると、父と釣りに行く時に車の中で流れていたのが70年代、80年代の邦楽のヒット曲だったんです。スタジオミュージシャンで、いろんな作品に参加されている松原正樹さんが好きだったことに、後になってから気がつきました。“この曲好きだったけど、松原さんが弾いていたんや!”っていうことがたくさんあったので。子供の頃は自分がギターを弾くとは思っていなかったんですけど、知らない内に啓蒙されていたのかもしれないです。
原田:彼も“神童!”と言ってあげてください。
――神童!
小原:そんなことないです(笑)。
――“あの曲、松原さんだったんだ!”ってなったのは、例えばどんな曲ですか?
小原:渡辺美里さんの「My Revolution」ですね。今になって聴いてみるとサビ前の長いディストーションのギターがすごいんです。もともとは“サックスなのかな?”と思っていたんですけど、ギターなんですよね。
――「My Revolution」は小室哲哉さんが作曲ですし、シンセサイザーに惹かれる子供は結構いたと思うんですけど、ギターに反応するなんて、なかなかマニアックですよ。
原田:私のルーツを答え直していいですか? みんなの神童エピソードを聴いていたら、そっちに寄せたくなってきたので(笑)。
――(笑)。どうぞ、答え直してください。
原田:小学生の頃は姉の影響で当時流行っていたJ-POPを聴いていたんです。私、嵐をめっちゃ聴きまくっていて、作曲をしている人の曲を聴いたりもしていましたね。嵐の二宮さんが柴田淳さんの曲をカバーをしていて、それがきっかけでアルバムを聴いたらめちゃめちゃハマりました。あと、『恋空』という映画が小学生の頃に流行って、その頃に新垣結衣さんがアルバムを出したんですけど、作曲クレジットの1つに古内東子さんのお名前があって、古内さんも好きになりました。今もビルボードでのライブとかに行くくらい大好きです。
――これで4人の神童エピソードが、ばっちり揃いました。
原田:“みんな、そんな昔まで遡るんだ?”って思ったので、私も小学生の頃の話をしてみました(笑)。
◆インタビュー(2)へ