【対談】MASATAKA(MSTK) vs 松田樹利亜、1990年代リバイバルと真価を語る「海外には真似できない日本独自の文化」

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MASATAKAこと藤重政孝率いるバンドMSTKが、新シリーズ<対バンしてみた>をスタートさせる。2020年秋に本格始動したMSTKは、配信ライブやYouTube“プロミュージシャンがアレンジしてみた”企画を続々と展開。この世界的パンデミックの憂鬱を木っ端微塵に吹き飛ばすべく、新たな試みを立て続けに実践してきた。その最新企画がシリーズ<対バンしてみた>であり、第一弾に迎えられるアーティストはMASATAKAの朋友である、松田樹利亜だ。

◆MSTK × 松田樹利亜 画像

テーマは“1990年代リバイバル”。藤重政孝はシングル「愛してるなんて言葉より…」で1994年6月にデビュー。松田樹利亜はシングル「抱きしめても止まらない」に1993年8月にデビュー。格調高雅なルックスはもとより、シンガーとしてのスキルの高さは折り紙付き。表現スタイルや環境の変化を経つつも実績を重ね、デビューから30年弱、現在もステージ中央で歌い続けている。

対談では、藤重政孝と松田樹利亜の馴れ初めや当時のムーブメント、知られざるマル秘エピソード、両氏の現在はもとより、1990年代リバイバルとその魅力についてじっくりと語ってもらった。浮かび上がったのは、J-POPという言葉が隆盛した1990年代初頭から現在まで、多様化を極めながらも変わらぬ核が1990年代サウンドにあるという事実。MSTKの新シリーズ<対バンしてみた>は、それを実証すべくムーブメントを起こそうというものだ。

<『対バンしてみたvol.1』MSTK vs 松田樹利亜>は松田樹利亜の誕生日となる2月7日(月)に東京・渋谷WOMBで開催、翌々日9日はMASATAKAの誕生日でもある。同時代を駆け抜けてきた同世代のガチンコ対バンは、それぞれがスーパーバンドの名にふさわしいメンツを従えて行うリバイバルの狼煙だ。なお、ライブ当日の模様は生配信を実施することが決定している。

   ◆   ◆   ◆

■樹利亜ちゃんと一緒で“自分でありたかった”
■そういう気持ちが強かったんだと思います

──藤重政孝さんと松田樹利亜さんは、いつ頃からの知り合いなのでしょう?

松田:ふたりのデビューが近くて、私が1993年で、まー君(MASATAKA)は1994年なので、その当時からですね。デビュー2年後くらいに知り合って、現在までずっと仲良くさせてもらっています。

MASATAKA:1対1で会うことはほぼないけど、プライベートでもたまに会ってるからね。しょっちゅう何人かで集まってるし、なんならそのメンツで彼女の実家に行ったこともあります(笑)。

松田:そうそう、お正月に実家にも来たね(笑)。

MASATAKA:なので、ご家族のことも知っているという(笑)。


──あの……一応の確認ですが、付き合っていたとか、そういう仲ではないですよね?

松田:それは全くないです(笑)!

MASATAKA:ないない(笑)。なんて言うんだろう、女性としてではなく人間として見ているというか。性別を超えて、人として素敵だったんですよね。

松田:“素敵だった”って……なんで過去形なの?

MASATAKA:いや、知り合ったときから素敵で、ずっと変わらないという意味だよ。

松田:ああ、そう(笑)?

──気心の知れた関係ですね。だからこそ語れる、それぞれの性格や人となりをお互いに教えていただけますか?

MASATAKA:樹利亜ちゃんはプライベートでも、もうこのままなんですよ。20歳の頃に知り合って、当時から話し方とか立ち振る舞いも、肌の艶も変わらない(笑)。当時からあまり驚かない、動揺しないタイプで、どっしりしたキャラクターでしたから。20歳そこそこなのに寛容さがあったというか。あの頃は分からなかったけど、若い頃からいろいろな人生経験を積んできた人なんだろうなと、今振り返って思いますね。

松田:若い頃の私はとにかく大人に憧れていて、早く自立したいと思っていたんです。結構早くに父親を亡くして、家の中でのポジションが父親に近い感じだったということもあったし。なので、18歳くらいの頃から物怖じしないというか、契約とかも普通にできる感じだったんです。で、まー君の人柄というと……。

MASATAKA:いやいい! 俺のことは話さなくていい(笑)。

松田:ははは。まー君は出会う前から、“ブチ切れる人”というイメージがあったんです(笑)。アーティストとして声が魅力的だし、歌もめっちゃよかった。だから、知り合う前からテレビで見て注目していたんですよ。でも、性格的にはブチ切れる(笑)。

MASATAKA:ブチ切れないよ! これを読んでいる皆さん、僕は温厚なタイプですよ(笑)。


──なにか切れるようなことがあったんですか?

松田:知り合う前から、“ブチ切れる”という噂を聞いていたんですよ。でも、実際に会ってみたら、カッコいい人だなと思いましたし、佇まいとかに雰囲気があったので、プライベートからアーティストなんだなっていう印象でした。ところが、仲良くなってから喧嘩して、そのときにブチ切れてました(笑)。ビックリしましたよ。当時の私は周りの方々から大事にしていただいていたところ、まー君だけにはブチ切れられたんですから。

MASATAKA:あー、当時喧嘩もしたね(笑)。いつも切れていたわけじゃなくて、その日に限って切れるようなことがあったんじゃないかな……覚えてない(笑)。まぁ、喧嘩するくらい仲がいいってことですよ。

松田:その後、私もキレたしね(笑)。「なんでキレられなきゃいけないの!」って。なので、お互いさまです(笑)。

MASATAKA:とにかくそういう距離感だったんですよ。異性としてではなくて、人として何でも言える関係性が、今までずっと続いています。

松田:20数年来の仲なのに男と女みたいなことは一度もないんですよ(笑)。

MASATAKA:なんもない(笑)。

松田:だから逆に、すごく特別な感じがしますね。


──異性の友情関係は築くことが難しいので、お互いにとって貴重な存在でしょうね。では、年齢もデビュー時期も近いということで、それぞれの音楽的なバックボーンにも近しいものがあるんでしょうか?

松田:そのへんってあんまり話したことがないよね? 私は両親が音楽好きだったので、2~3歳の頃から家に流れてる曲に合わせて歌うような子だったんです。父親の影響で渡哲也さんの「くちなしの花」(1973年8月発表)を歌ったりしていました。幼稚園に入ってからは、ピアノに興味を持ち始めて。先生が弾くピアノを最前列で見て、鍵盤の位置を覚えて、家にオルガンがあったので、先生が弾いていた音を探しながら弾くということが好きだった。

MASATAKA:幼稚園の頃から耳コピをしていたとは。

松田:そうだね(笑)。そうやってピアノを弾くようになって、ピアノで弾き語るようになったのは小学校4~5年くらいかな。その頃にバンドブームが起こって、REBECCAとかBARBEE BOYS、BOØWYの曲とかがテレビの音楽番組で流れていたんです。そういう人達の曲をピアノを弾きながら歌うようになったんですけど、それがピアノよりも歌が勝った瞬間でしたね。それに、さっきのまー君の「いろいろな人生経験」じゃないですけど、当時の私はとにかく京都から出たかったんです。

MASATAKA:なにかがあったんだ?

松田:家庭内の事情で、母親と姉を京都から東京に出したいという思いが強くあったの。私が2人の面倒をみたいというか。だから幼少期から芸能界に目を向けていたんです。ただ、歌を歌って生きていくということは決めていつつも、当時は小学生が歌でデビューするなんてことはまずなかったし、中学とか高校生でも早い時代だったので。だから、芸能界に入るためにオーディションを受け続けて。結果、母と姉を上京させました。

──進む方向性も道程も自分で切り開いたんですね。それだけ固い決意があったんだと思いますが、歌うことを本気で考えた頃に影響を受けたシンガーはいましたか?

松田:浜田麻里さんには影響を受けましたね。“こういうボーカリストになりたい”と思って、浜田さんのボーカルに近いボイストレーナーの方に歌を習ったんです。そうすると、私の歌が先生に近づいて「似てきたね」と言われたり。そのことがショックで、その先生に習うのはやめました。似せることそれよりも、自分のスタイルを作ることが大事だと思ったので。


──オリジナリティを重視していたという、かなり意識が高いですね。MASATAKAさんは?

MASATAKA:父親がグループサウンズやフォークが好きで、家にはそういう曲が流れていたので、子供の頃から音楽が身近なところにありましたね。叔父が音楽の先生だったし、自宅にグランドピアノがあったんですよ。今思うと、自宅にグランドピアノってすごい環境ですけど、まあ、田舎だったんで(笑)。

──松田さんと同じように、音楽的な自我の育ちやすい環境ですね。

MASATAKA:そうですね。そういう環境もあって自然と音楽が好きになりました。ただね、「好きなボーカリストは誰ですか?」って、これまでの数十年に取材とかで何度も訊かれたんですけど、“特にこのボーカル!”って思い浮かぶ人がいないんですよ。子供の頃から好きな音楽はいっぱいあったし、いろんな曲を聴いて、友達とバンドもやっていたんですけどね。友達とバンドを始めたのはBOØWYが解散した直後くらいだから1980年代後半。同じ学年にBOØWYのコピーバンドが5つくらいいた(笑)。

松田:あとは、ZIGGYとかね(笑)。

MASATAKA:そうそう。先輩の学年はZIGGYだらけで、僕の学年はBOØWYだらけだったな(笑)。そういう意味では、氷室(京介)さん、森重(樹一)さん、KATZEの中村敦さんとかは僕もコピーさせてもらってて好きでしたね。同時に、「これ、カッコいいから聴いてみなよ」と先輩から言われて知ったエアロスミスとかスキッドロウみたいなアメリカのハードロックバンドも大好きだったんですよ。だから、いろんなバンドが好きだったので、特定の誰かに憧れて歌い方を研究したことがないんです。樹利亜ちゃんと一緒で、誰かに似せて歌えることよりも、自分でありたいという気持ちが強かったんだと思います。

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