【楽器人インタビュー】Non Stop Rabbit、ライブを封印してどこへ行く?

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V系ならぬY系バンドというなんだかゆるめなキャッチコピーも話題となったNon Stop Rabbitだけれど、YouTube人気もさることながら、彼らの最大の魅力は圧倒的な歌の良さと、それに伴う作品のクオリティコントロール能力にほかならない。

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YouTubeではアホなことでも笑いを誘うものの、視点のシャープさと機転のスマートさをみれば、今の世の中を渡り泳ぎ成功の道筋を描く才覚と嗅覚の鋭さは疑う余地もない。そしてその資質の高さこそが、お茶の間とマスコミが衰退しつつある多様性の現代社会において、音楽家が生き抜いていくために必須とも言える素養であり、彼らの立ちふるまいを見れば、成功のストーリーは約束されたようにも見える。

3人の男たちの考え方、その生き方、そして揺るがぬポリシー。彼らの発言に乗せて、すべての若者へエールの言葉を届けよう。

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■僕らはAかBでどっちが早く売れるかを選んで取捨選択していく

──もともと他のバンドで活動していた3人が、どのようなきっかけでNon Stop Rabbit結成に至ったのでしょうか。

田口達也(G):太我とハルが同じバンドだったんですけど、太我が「25歳までにこの業界でご飯を食べれてなかったら、もう僕はこの世界を辞めます」と親と約束していたから焦ってたんだよね。そんなときに、たまたま僕がいるバンドと対バンしたの。そしたら太我がバンドメンバーのハルだけを誘って僕のバイト先に来て「達也くんと3人だったら売れると思うけどどうですか」って。僕即答で「OK」って言って、その場でそれまでのバンドに「辞めます」って連絡して、そこからスタート。

──絵に描いたようなストーリーですけど、何故この3人で?

太我(Dr):バンドって「ライブしてなんぼ」みたいな考え方があって、前のバンドでも2年くらいライブ活動していたんだけど、俺らは「人が居ないライブハウスでライブするのってめっちゃ意味ないよな」って話をしきりに言っていたんです。

──ノンラビはライブハウスでは演らないと公言していた話ですね。

太我:大体のバンドマンってライブハウスを捨てられないんです。でもこの3人だったら、ライブハウスを捨てて活動できるなって思った。うまくいくかは分からないけど「ここ捨てて大丈夫」「路上ライブとか演らない?」「いいね」ってなったんで、このマインドだったら何か起きるかなって思った。環境を思いっきり変えられる3人だったし、これでダメだったら就職でいいから。


──達也さんがふたつ返事でOKした要因は?

田口達也:めっちゃ歌がうまかったから。初めて見て「歌うまっ」って思って、この世界で身近にコイツ(晴人)がいたら自分のバンドは勝てないなって思っていたんですよね。

──めっちゃ褒められていますけど。

矢野晴人(Vo,B):気持ち悪いっすよね。

田口達也:なんでやねん、ありがとうでええやないか。でも、こいつらはバンドとして長くやってたし完成していたから、ここで頑張っていくんだろうなって仲のいい友達としてみていたんだけど、急に「や、やりたいです」って言われたんで、僕からしたら願ってもない話で「あんな上手い人たちが向こうから来たわ」ってふたつ返事以外なくて。

──それまでのバンドが崩壊してしまうことは、どのようにクリアを?

太我:すげえ仲のいいメンバーで、みんなめっちゃいいやつなんです。だからこそちゃんと「俺もこのままじゃダメだし、ずるずるやってもダメだから」と筋を通して自分の思いをガッツリ伝えましたし、めっちゃ謝りもしました。最後は「わかった」「太我が言うなら俺らも応援する」と納得してもらって解決させました。結局、今でもスタッフとかやってくれてるんですよ。

──なんかドラマチックだな。

田口達也:ある意味残酷っていうか、僕らはAかBでどっちが早く売れるかを選んで取捨選択していくんです。

──その考え方は今も?

田口達也:はい。到達点までどっちがより早く辿り着けるか、誰も通ってない道で行けるか。そうしたら先駆者になれるという感覚ですよね。そもそもライブハウスをやめるって考え方も面白かったんで、だからふたつ返事で「やろう」って。

──そこから結果的にここまで到達したわけですが、順調でしたか?

田口達也:いや、地獄っすね。来世があったとしたらやんないす(笑)。

──そんな。

田口達也:全然イヤですね(笑)。バンドは楽しいすけど、下積みが…ね。

──下積みというのは?

田口達也:僕らでいうと路上ライブ。ライブハウスもわざと嫌われに行きましたから。ライブハウスって、それまでの関係値で呼んでもらえたりするじゃないですか。「路上ライブが上手くいかなかったらもう一回ライブハウスに戻ろう」っていう選択肢を切るために、晴人をそそのかして全ライブハウスの店長に「もう出ません。一生出ません」ってメール送れって。ここで「やるときになったら呼んでください」っていう少しでも中途半端な心構えがあると、逃げたくなったら逃げてしまうから。で、ハルだけライブハウスから嫌われて(笑)。

矢野晴人:前のバンドを知っているから、ノンラビを組んだ時も僕に連絡が来るんです。けど、もうやらないって決めちゃったし、誘われ続けて断り続けるのもあれなんで、全員に一発で「すみませんけど、もうライブハウスではしばらく演らないので誘わないでください」って。バンドからそんな言葉、聞いたことないでしょ?


──いやほんと。何様ですか?って思われる。

矢野晴人:そうなんです。でも今考えたらそれぐらいする価値はあったな。

──リスクを考えても、その決断は簡単だったんですか?

田口達也:簡単でしたよ。僕らが立ちたいのはZepp以上だったんで、そこに辿り着くために取捨選択をしていくと、「ライブハウスで20人のお客さんより、駅前でウロウロしてる何千人の方がZepp埋まるよね」「そうだよね」「そうだそうだ」って。だからバカなんですよ、多分(笑)。

──むじゃきか(笑)。

矢野晴人:だから、ライブハウスが悪いんじゃないんだよね。そこにお客さんがいたら俺らも続けている。けど呼べないことには意味がない。売れていない俺らが悪いし、売れてない俺らの周りも悪いだけで、ライブハウスに悪いことなんて一切ないの。ライブハウスが嫌いとかでもない。

──その言葉を聞いて安心した。

矢野晴人:もちろん今でも演りたいですよ。で、いつか恩返しできればいいなって思ってるんで、断ったライブハウスも今後ワンマンで埋める気でいますし。

田口達也:自分らのお客さんでいっぱいになっているライブハウスは好きです。

──そんな路上ライブですが、その時の手応えは?

田口達也:まあ…それこそ200~300人は埋まるところまではもっていけましたけど、でもそれも地道ですよ。日本人は名刺は捨てないだろと計算したりして、チラシの代わりに名刺を配ったり。

──それは賢いかも。

田口達也:売れなきゃいけなかったんで必死に計算してコツコツやってましたけど、ある時「さいたまスタジアムで試合やってるところの帰り道を狙おう」「5万人いるぞ」って。


──それは凄そう。

田口達也:でも、ふたりくらいしか止まらなかった。5万分の2!

矢野晴人:日本が試合に負けたんで、勝ってたらもうちょっと優しかったと思うんですけど(笑)。

田口達也:あれは忘れられない失敗やな。やっぱ音楽好きじゃないとダメだなっていうのが。

太我:屈辱だった〜。

矢野晴人:いっぱい失敗もしたな。サービスエリアでCD配ったりとか。

──それはいいんじゃないですか?

田口達也:車ですぐ聴くんじゃないかって思って「聴いてください」ってやったんですけど…。

矢野晴人:全然受け取ってもらえなかった。あとで気付いたんですけど、観光客で大型バスの人って多いんですよ。だからもらってもCDかけられないの。そういう失敗もしましたね。

──路上ライブの場合、その音響環境の劣悪さにもどかしさやストレスはありませんでしたか?

田口達也:それは一度も感じてないです。機材もちゃんと用意しましたけど、それより何よりハルの声だけ出てればいいって思っていたから。この歌声で「うまい」と思わせればいいから、歌だけどーんと出すというところに割り切ってました。バンドで出したい音とかじゃなくて、「この声聞けやとりあえず」「すごいと思わんのかお前らは」みたいな、演説に近かった。

──コンセプト/やりたいことははっきりしていたんですね。

田口達也:音作りとかは、売れてからやろうよって。

──AB選択という最短コースを歩むような思考性のバンドって他にもいましたか?

田口達也:いなかったんで「周りがやってない方向に進む」ことを参考にしました。でも、台車にパンパンに積んで行っても警察に止められたり…だけどそのまま帰ったら交通費の赤字ですから、どうにかして名刺とCDだけでも配るんですけど「こんなことしてて恥ずかしくないの?」とか言われたりして、へこむことはいっぱいありましたよ。

──それでも続けたモチベーションというのは?

田口達也:絶対売れるって思いました。漠然としてるんですけど、売れてるバンドにはなんかいけると思う瞬間があるんです。メンバーチェンジした瞬間なのか、新しくバンドを組んだ瞬間なのか、いけてる人たちって絶対「あっ」っていう音が聞こえるというか、「こいつらとだったら絶対飯食える」って分かっている気がするんですよね。僕はもろにそれを感じたんで、だからそこを信じていただけ。勘違いかもしれないですけど、組んだ瞬間に「勝った」って思ってたんで、だから苦だったことも耐えられましたね。

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