【楽器人インタビュー】TAKUYAが描く成功への道筋「アウェイに強い人にならないとダメだよ」
Wikipediaにも記載がある通り、TAKUYAが音楽を始めたきっかけは起伏に満ちた波乱なものだった。
「中学生の頃に長崎で寮生活をしていて、中2のときにケンカして頭蓋骨を骨折して運動ができなくなって、仕方なくバンドやろうかなって。キーボードを先輩に借りて練習していたんですけど、いざシンセサイザーを買ってもらおうと思って親に電話したら繋がらなくて。実は京都の実家が、放火された家から火が燃え移っていて「キーボードを買って」と言える状況じゃなくなってた。そんなときに、先輩が「僕のギターだったら安く売ってやるよ」って言うので買わせてもらって、ギターを始めた」──TAKUYA
いちギタリストからJUDY AND MARYという人気バンドで頂点を極め、そのままトッププロデューサーへの道程をひた走るTAKUYAだが、成功の道筋はどのように描いてきたのか。天賦の才を持った男は、何を見つめ、何を狙い、どこに向かったのか。音楽家として高みを目指す彼の言葉に耳を傾けてみよう。
──怪我によるスポーツの断念後、次に目を向けたのは音楽だったのですか?
TAKUYA:バンドをやっている先輩も何人かいて、ちょうど1980年代のチェッカーズとかが売れていた頃だから、「バンドブームがくる前夜」みたいな匂いはあったんでしょうね。
──ギターを手にしたときのことは覚えていますか?
TAKUYA:ギターを持って2日目くらいで「僕はプロになるんだな」っていうのはわかっていました。予感じゃなくて確信してました。あとは「僕が頑張れるかだけ」だなと。
──え?どういうことですか?
TAKUYA:それまでスポーツとか色んなことをやっていたんですけど、ギターは圧倒的に僕の性格に向いていると思ったんです。スポーツじゃないからフィジカルはあんまり要らないんですよね。例えば野球選手になりたいと思っても、生まれた時点で身体つきでなれるかなれないか大きく左右されるでしょ。僕が14歳でギターを持った時、「普通の人と比べたら相当早くギターというものに出会った」と思ったんです。よほどのお金持ちの家や親が興味のある家でもなければ、ギターなんてものはなかなか家にないだろうと。
──そうですね。
TAKUYA:1日ギターを触って思ったのは「異常に難しいものだ」ってこと。ただ僕は、そういう努力をする…ひとつのことに打ち込むのは得意だったから、僕がこれを毎日ずーっと欠かさず練習したら、何年後には僕が世代で一番前のポジションにいるだろう…99%そうだな、と思った。あとは「ゴールに向かって練習するだけだ」みたいな。
──もしギターじゃなくて、ベースやドラムだったらどうだったんでしょう。
TAKUYA:攻略がもうちょっと簡単そうだから、そうは思わなかったかも。ピアノ(キーボード)を触った時にピアノに対してそう思わなかったのは、習っている人口や家にピアノがある人が圧倒的に多いと思ったからです。でもギターはまだ競技人口が少なかったから、こりゃ「勝てる」と。
──練習していく間も、その「勝てる」という感覚はずっと変わらなかった?
TAKUYA:そうですね。あくまで「同年代では」が前提なんですけどね。始めて1年後くらいにバンドを組んだりするんですけど、やっぱりその時点で僕が一番うまかったし、行く場所で全部勝っていけばいつかトップだなって思っていました。16~17歳のときにYAMAHAの<TEENS' MUSIC FESTIVAL >とか地元のコンテストにも出たけど、バンドとしては評価されなくても僕がベスト・ギタリスト賞をもらっていたし、一生懸命頑張ってましたよ。
──ミュージシャンというよりもギタープレイヤーになる感覚でしょうか。
TAKUYA:まだそこまでギターが何かもわかっていなかったと思うけど、人生かけて社会に殴り込みかけるときの武器としてのギターかな。
──その頃はどんなギターを使っていたんですか?
TAKUYA:最初は寮で先輩に売ってもらったアリアプロIIの赤いラメのやつ。最初に自分でちゃんと買ったのは、京都に戻る前にローンを組んで手に入れたクレイマーのヴァン・ヘイレン・モデル。バナナヘッドの白いやつ。
──それでどんな練習を?
TAKUYA:15~16歳はチェッカーズが流行っていたからかオールディーズとかから弾き始めました。中3の頃に先輩のバンドでベースやってくれって言われて、それでLOUDNESSを弾くんですよ。それでLOUDNESSスゲーってなって一生懸命コピーしました。もちろんそれと同時にヴァン・ヘイレンとかね。2か月くらい前に30年ぶりにLOUDNESSのライブを観に行ったんですけど、壮絶にギターを練習していた自分の10代の頃を思い出してマジで泣きましたよ。
──人に歴史あり、ですね。
TAKUYA:バンドは、15歳くらいにオリジナル曲をつくって大阪のライブハウスにブッキングしてやり始めるんですけど、その頃はちょっとビジュアル系の走りみたいな感じでした。ちょうどBOØWYを知った頃なのかな、パンクロック系で歌ものみたいな感じで髪も整えて化粧して。そのころはグレコのレスポールタイプだったかな。
──その後、どういう流れでテレキャスを?
TAKUYA:18歳で上京して鳴かず飛ばずだったんですけど、ある時先輩から「LA-PPISCHの弟分バンド的なSKAFUNKがギターを募集してるから紹介するよ」と電話がかかってきて、チャンスだと思った。LA-PPISCHも好きだったしバンドブームは始まっていたし。ただ、その頃は割とビジュアル系の先輩バンドのライブの手伝いとか行ったりしていたので、それが急にロフト系のバンドにコロっと変わってしまっていいのかなって友人に相談してたのを覚えている。でも僕にはこだわるほどのモノはないしチャンスだから乗るしかないと思って「入ります」って。で19歳でSKAFUNKでデビューするんですけど、スカだったんでパキッとしているシングルコイルでストラトかテレキャスかの2択のなかで、なんとなくテレキャスのほうがキース・リチャーズっぽくて男気あってかっこよさそうだなと思って「テレキャスかな」みたいな。
──そしてJUDY AND MARYに?
TAKUYA:実は、SKAFUNKに入った次の週に「THE MAD CAPSULE MARKETSがギター募集してるんですけどTAKUYAくんどうですか」って電話かかってきた。
──え?室姫深が辞めてISHIG∀KIが加入したあのタイミングですか?
TAKUYA:そう。ギターのISHIG∀KI君は、彼がマッドに入る前から既に友達だったんですよ。そういうおもしろい運命もあってね。
──それはドラマだなぁ。SKAFUNKじゃなくてTHE MAD CAPSULE MARKETSだったら、また日本のロックシーンが変わっていましたね。
TAKUYA:SKAFUNKが解散して、また1年くらいバイトしたりとかの生活になったけど、その頃から趣味でROBOTSをやっていたら「JUDY AND MARYのオーディションにTAKUYAを紹介したい」っていう話がきてね。オーディションを受けに行ったらYUKIがいて「あー、これは出会ったな」っていう。まさか、女性ボーカルのバンドで跳ねるとは僕も予想できなかったけどね。それでいよいよ作曲を頑張るんですけど。悲しいかな嬉しいかな、僕が女の子の歌を書くのが上手かったという…作詞も含めてね(笑)。
──なぜ女性向けの作品作りが得意だったのでしょう。
TAKUYA:それだけJ-POPの女性の歌もちゃんと聴いていたってことだと思うよ。スポーツ系の男気な性格でもないし、もうちょっとアート/文学的なもののほうが好きな質だから、向いていたのかも。
──その頃は、自分をどんなギタリストと捉えていましたか?
TAKUYA:みんな突っ立って弾いているだけで、暴れまわってギターを弾く人はいないから、それがいいなと15歳くらいのときから思っていました。暴れまわってコーラスできてハモれて。布袋さんとかLA-PPISCHの恭一さんとかは華やかでステージングも凄いですけど、この二人のハイブリッドみたいな感じかなって。
──それは、自分がどうありたいかをセルフプロデュースする感覚なのかな。
TAKUYA:当時からだけど「自分がやりたい」じゃなくて、「どこにどういうニーズがあって、どの席が空いているかな」って考えてた。10代のときに一番怖かったのは、僕が思い描いている空いてるポジションを、同じように考えている誰かに先に座られることで、それが一番不安でしたね。だから10代は、とにかくすべての時間を音楽にかけてた。SKAFUNKで1年間活動したことで、やっと業界の人に「TAKUYAが出現したこと」をお披露目できてちょっと安心したかな。目標がないとゴールに近づけないし、ゴールが見えてないとたどり着かない。なんとなく頑張るとか闇雲ではダメだから。
──それがTAKUYAイズムなんですね。
TAKUYA:そうですね。だから作曲の仕事をいただくときも、依頼内容をものすごく詳しく言ってもらいます。で、1曲だけバリッと作って、ほぼ外さずそれでOKをもらうんです。あやふやな依頼は良い答えが出てこないし、クライアントさんがあやふやならその仕事は受けないようにしています。
──それはもともとの性格?
TAKUYA:いや、成功の確率を上げるため。これまで色々やってきたけれど、経験上そうしたほうが成功する確率が高いと思っています。もちろん、未知の作曲キャンプに飛び込んだりして、わざと不確定要素を作る時もあるので、よくわかんないけど飛び込んだほうがいいみたいな時と、ちゃんとプランを立てて決めて進んでいったほうがいいときの2パターンがありますよね。
──なるほど。
TAKUYA:仕事はちゃんと出口まで決めてやったほうがいい。ただ、いい仕事をするために、プライベートの時間でいかにギャンブルみたいにあやふやな出会いとか、不安定な状態で様々な経験できるかっていうところ…ですかね。
──ギタープレイ/ギターサウンドに関して、TAKUYA印ブランドを意識したことはありますか?
TAKUYA:ジャキーンとしている音は僕っぽいと言われていますけど、ギターはほぼ右手…ピッキングがすべてなんで、僕が弾いたらどの楽器でも僕の音になるからどうでもいいかな。逆に角度とか変えたりしたら、他の誰かみたいな音で弾けるから、これも練習かな。
──ほう。
TAKUYA:練習以外ないですよ。果てしないけど。練習していない人は多いと思いますね。JUDY AND MARYも最初の頃は荒々しい様子が映像にも残っているけど、勢いとファッションだけでいけるような気がしてるのは大間違い。人生の最終目標が1~2曲売れてMステでタモリさんに会うことならそれでいいけど。
──…。
TAKUYA:僕も20代でJUDY AND MARY解散までくらいしか想像してなかったけど、意外にもまだ生きてるし人生どうやら長そうだなって思ったときに、そこからの先のことマジで考えてなかったからどうしようって思った。30歳の頃暗闇の中に落ちた時も一瞬あるんですけど、やっぱりわからない時こそ勉強しかないよなって思った。語学も勉強したし、楽器は弾かないとうまくならないし、歌も歌わないとうまくならないし。
──音楽で食っていきたいという若い子たちは、どうすれば良いミュージシャンになれますか?
TAKUYA:良い仲間、お互い高められる誰か…そういう渦の中に入ること。良いミュージシャンっていう定義がわからないけど、ひとりじゃなれないと思う。「BLUE GIANT」っていうジャズのサックスプレイヤーが成功していく漫画があるけれど、リアルに近いことが書かれているよね。主人公は日本でバンドをやって解散して、ひとりでヨーロッパに行ってメンバー見つけて、またそれも辞めて今度はアメリカを放浪して色んな人と出会って回っている。やっぱ、色んな人との出会いかな。向上できる人との出会いだよね。僕はバンドを作ると、いつしか僕が飛び抜けて、またひとつ上のレベルの人と演ることの繰り返し。色んな多ジャンルもやらないとね。
──切磋琢磨の大切さですか。
TAKUYA:アウェイに強い人にならないとダメだよ。好きな音楽だけやっていったら永遠に殻が割れない。僕なんて好きな音楽をやったことなんてほとんどなくて、全部人の音楽をよくするためにやっていますよ。数年前はももいろクローバーZのバックもやっていましたけど、大学受験かっていうくらいめちゃくちゃ難しくて、まあ大変なんですよ。でもそういうのをやるから、自分の枠の外のことができるようになって成長できる。自分の知ってる範囲外の音楽をいかに頑張ってやれるか、ですよね。
──それは音楽に限った話ではないかもしれませんね。
TAKUYA:そう。そうやってみんなキャリアアップしていくから。
──ミュージシャン人生のキャリアの中で、今どの辺を歩いていますか?
TAKUYA:死んでも頂上が見えないくらい高い山に挑んでいて、まだ登ってます。なかなか大変でしたけど、でもここまで登ってくると見下ろす世界は美しいって感じかな(笑)。最近は、どんな音楽でも聴けば何がどうなってるのかわかるようになったし、映画でもBGM含めて色んな音の効果とか、作り手の状況が全部分かるようになってきたから、すごく楽しいですよ。最初の頃はドレミファソラシドもわからなかったのにね。
──これから企んでいることはありますか?
TAKUYA:ないかな。今日で精一杯ですって感じ。最近は腰を痛めてリハビリも大変。
──頑張りすぎちゃった?
TAKUYA:それもあるかも知れないけど、ここまでくると、1年後を考えていても思い通りにならないし意味なくない?とも思う。別に野望があるわけでもないし、そんなに欲もない。
──ただ音楽が好きというだけ?
TAKUYA:得意ではあるし商売にして生きてるから、好きな音楽もあるけど、別に音楽が好きなわけではないかな。好きなバンドはあるけど、バンドをやるっていう行為は好きじゃないし。
──え、そうなんですか?
TAKUYA:仲間とやる、みたいなそういう楽しみはとっくに終わったかな。バンドってなあなあになっちゃうし、メンバーの誰かが甘えちゃう。この前はラブライブ!のCYaRon!で初めてのメンバーと演ったんですけど、次はないというメンバーと今日を大事に演奏するほうがスリリングだし甘えもないし、そういう方がいい。
──自分モデルのギターを設計・製作するのは?
TAKUYA:新素材って意味では新しいテクノロジーで楽器を作る余地はあるのかなと思って、3Dプリンタで作ったりしていますよ。
──それは面白そう。
TAKUYA:テレキャスターみたいに70年もデザインが変わらない道具ってかなり珍しいですよね。これがひとつの正解だったんだろうけど、これだけ色々な新素材があるなら、また違う正解を生み出せるチャンスとは思っています。でも楽器屋さんが儲けを出すためのビジネス規模だと開発費とのバランスが取れないから、Appleとかがやりだす時代が来るのかもしれないですね。
取材・文◎烏丸哲也(JMN統括編集長)
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